精神科医は死刑への関与を直ちにやめろ 学会は死刑問題小委員会を発足させろ

= 精神科医は死刑への関与を直ちにやめろ 学会は死刑問題小委員会を発足させろ=
 

 1993年3月26日3人の死刑囚の死刑が執行された。

 その内の一人大阪拘置所で処刑されたK氏が「精神病」者と判明している。Kさんは事実関係の誤りを求めて再審準備中であった。
彼の代理人である中道弁護士によると、中道弁護士の問い合わせに対して、
大阪拘置所当局は1985年11月12日付で以下のように回答している。「Kさんの確定判決前、
1982年1月14日に外部の精神科医がKさんを診察し『幻覚妄想状態(分裂病の疑い)』であると診断した」。
しかし拘置所はKさんを病院や医療刑務所に移送することはせず、半年に1回専門医の診察を受けさせるだけで、漫然と投薬を続け放置していた。

 そのあげくに政府はKさんを処刑した。

 「死刑に直面している者の権利の保護と保証の履行に関する国連決議(1989年1のD)」では「判決の段階又は処刑の段階を問わず、
精神障害者又は極度に限定された精神能力者に対する死刑は排除すること」と明記されている。
また国内の刑訴法479条には死刑の言い渡しを受けた者が「心神喪失の状態にあるときは法務大臣の命令によって執行を停止する」とある。
Kさんの処刑は明らかにこれらに違反した不当違法な処刑であった。

 その後も精神障害を疑われる死刑囚の処刑が続いている。1995年に大阪拘置所で「知的障害」疑われるFさん
(1審のみで確定再審準備中)が処刑され、また1996年に福岡拘置所で覚醒剤使用中の事件であると再審請求を繰り返し、
処刑直前にも再審請求書を書き続けていたHさん(覚醒剤の後遺症に苦しんでいたと伝えられている)が処刑され、
1997年8月1日には精神障害を疑われるNさんが東京拘置所で処刑された。

<WPAの死刑への関与禁止ガイドラインと日本の精神科医>

 1996年WPA(世界精神医学会)はマドリッドにおいて精神医療の倫理面における宣言を出し、
同時に特別領域におけるそのガイドラインを出した。このマドリッド宣言はWPAに参加する各国学会によって支持されたものであり、
「どの国の学会でも尊重されなければいけないものである」(日本精神神経学会とWPA執行委員との合同会議録よりOkasha氏発言、
学会誌99巻10号)。このガイドラインは死刑について以下のように述べている。
「いかなる場合であろうと精神科医は法の下での死刑執行に関与すべきでない。
また処刑できるか否かの囚人の能力評価に精神科医は関与すべきでない」。

 元法相佐藤恵氏によれば死刑執行のサインを求められる際に、添付資料として「精神的に健康」という資料がつけられていたそうである。
裏面資料にもあるように、死刑執行の過程においては「執行できる心身の状態にあるか否か」がチェックされることになっている。

 この「執行できる心神の状態にあるか否か」を矯正局が判断するにあたり、精神科医は専門家としての意見を求められているはずである。
この段階において明らかに精神科医は「処刑できるか否かの囚人の能力評価」を行っている。
日本では精神科医はWPAのガイドラインに反した行動をとっている。

 Kさんについても必ず精神科医が「執行できる」という判断をしているはずである。
まさにこの精神科医はKさんの処刑に加担したのである。この処刑に関してはWPAからも「どの医師がいかに関与したか」
と当学会は追求されている。

<今日本精神神経学会がなすべきこと>

 1998年に当学会会員でありまた全国「精神病」者集団の会員でもある大野萌子と山本真理がKさんの処刑に関連し、
学会内に死刑問題小委員会を作るよう要請した際、理事会としては「この(死刑)問題は法制度全体に関わり、
大きすぎて一医学会である精神神経学会で扱う範囲をはるかに越えています。
したがって死刑制度そのものについて委員会を特に設置するには無理があります。ただし精神障害者の死刑問題に関しては個々に
『精神医療と法に関する委員会』で検討いたします」旨の回答があった。
この結果精神医療と法に関する委員会および保安処分と司法に関する小委員会において、
とりあえず無実の死刑囚袴田さんの処遇問題に取り組むとの方針が出された。

 袴田さんの問題に対する取り組みに関しては一歩前進として評価するが、今一度WPAのガイドラインを見るとき、
日本の死刑執行過程における精神科医の果たしている役割につき、学会総体として態度表明が求められていると判断する。
例えば日本と同じように死刑制度が存続しているアメリカにおいてはアメリカ精神医学会は1980年に精神科医の死刑への関与を禁止した以下の決議をあげている。
「直接的であれ間接的であれ、医師が国家に処刑者として仕えることは、医療倫理の退廃であり、
治療者であり癒やし手であるべき医師の役割を腐敗させることである。したがってAPAは精神科医の処刑への関与に強く反対する」。
昨年総会において理事長もこの問題につき理事会で改めて検討したい旨発言しているが、今だその検討が理事会で行われていないようである。
当学会もWPAガイドラインにそって何らかの意志表示をすべきである。

 もちろん態度表明だけでは何ら実効性がない。アメリカ精神医学会の決議にも関わらず、アメリカにおいても多数の「精神障害者」
が処刑されている。精神科医が死刑に関与することがないよう具体的で実効性のある行動が求められている。
それゆえ精神科医がいかなる形で死刑に関与しているかその実態、精神障害の獄中処遇の実態とりわけ精神医療の実態等々を調査し、
学会として何ができるのか、何をすべきか検討していくためにも死刑問題小委員会の発足が求められている。

 私たちは日本精神神経学会に対し以下を要請する。

 ①精神科医の死刑への関与を否定する決議をあげること

 ②その決議を実行するために死刑問題小委員会を発足させること

2000年5月9日

全国「精神病」者集団

 


 

資料

死刑執行までの手続き

 一般には知られていない死刑執行までの手続きは、次の通りある。

①裁判での死刑確定

    判決・裁判記録

②高等検察庁・検事長→法務大臣へ上申書

    判決・裁判記録

③法務省刑事局付け検事の審査

    疑問があれば再調査→刑事局会議

    (1)刑執行を停止する事由はあるか

(2)非常上告の事由があるか

(3)恩赦に相当する事由があるか

  死刑執行起案書 

(1)犯罪事実

(2)証拠関係

(3)情状

(4)結論

④刑事局・参事官→総務課長→刑事局長

    各担当者が精読の上決済

⑤矯正局・参事官→総務課長→矯正局長

    (1)執行していい心身の状態か否か   

(2)恩赦の上申をする事由があるか否かを確認

⑥保護局・参事官→恩赦課長→保護局長

    恩赦に相当する事由があるか否かを確認

⑦刑事局

⑧法務大臣官房・秘書課長→官房長→事務次官(事前に大臣の内諾をとってから提出)

⑨法務大臣

執行命令書にサインする

⑩高等検察局

⑪拘置所長

    発令されてから 5 日以内に死刑執行

 

本人の同意なしの電気ショックをやめろ 学会は電気ショック廃絶決議をあげろ

= 本人の同意なしの電気ショックをやめろ 学会は電気ショック廃絶決議をあげろ=

<よみがえる電気ショック>

 この数年来日本精神神経学会始め各学会で電気ショックを肯定した研究発表が相次いでいる。
また私たち自身電気ショックについて相談を受ける件数が増えている。

 電気ショックを体験した仲間たちは口々のその恐怖を語り、そしてそれは精神医療への不信精神病院への恐怖の大きな原因となっている。
しかし問題はこうした心的外傷だけではない、肉体的後遺症に苦しむ仲間も存在する。大きなものは記憶障害である。
数年前の学会でうつ病への電気ショック療法の発表があったときに、電気ショックのインフォームド・コンセントにおいては
「一時的記憶障害がある」と説明していると発表していた医師は回答していた。
しかし電気ショックにおける記憶障害は一時的なものでないことは電気ショック被害者は口々に証言している。

 例えばこの総会会場ロビーで販売している『赤い鳥を見たか――ある「殺し屋」の半生』を読んでも分かるように、
この作者飯田博久氏は電気ショックによるさかのぼった記憶障害に苦しみ続けている。記憶を失うことは人生の一部を失うことであり、
その打撃の大きさは計り知れない。あるいは全国「精神病」者集団への手紙である電気ショック被害者はこう述べている。
「私は27年前始めて入院した病院で数回にわたり電気ショックを受けましたが、その前後の記憶がなくなっています。
写真を見てかろうじて記憶をつないでいます。……中略……
電気ショックの後の私はまるで別人のようにだらしなくぼーっとして母が私であるとは認めがたい形相になっていたそうです。
ちなみに私はその時母親が面会に来たことすら記憶にありません。……中略……電気ショックを受けなければ受けないで方策は別にあります。
記憶を失いなくなかったらきっぱり断って下さいお願いします」。

 電気ショックのメーカー(ソマティックス)の作った電気ショック宣伝ビデオの中ですら、電気ショックを推進しているマックス・
フィンク(Max Fink)医師は「仮に記憶を失うことがあったとしても入院中の記憶をなくすだけである。
入院中の記憶をなくすことは喜ぶべきことで、いずれにしろ入院期間というのは楽しい記憶ではないのだから、
その記憶をなくすのはむしろ歓迎すべきことだ」と発言している。そして記憶障害が一時的でないのにも関わらず、電気ショックの「効果」
は一時的なものである。

<学会は電気ショックの強制を禁止しろ> 

 電気ショックの発祥の地イタリアでは、電気ショックに関する利益のみならず不利益そして代替手段も含めた説明を受けた上での、
本人の明白で自由な同意なしの電気ショックの原則的な禁止、子ども高齢者への電気ショックの全面的禁止、
妊婦への原則的な電気ショック禁止が定められた条例がピエモント州で可決された。この条例ではロボトミーも全面的に禁止されている。

 こうした電気ショックへの批判があるにもかかわらず、現在日本では精神医療の現場とりわけ精神科救急の現場では、
電気ショックが本人の同意なしにあるいは保護者の同意のみで強制されている。これを正当化する法的倫理的根拠は一切ない。
私たちはこうした電気ショックの強制を断じて認めるわけにはいかない。
直ちに学会は本人の同意なしの電気ショックを禁止する決議をあげるべきだ。

 そして電気ショックの廃絶をめざし、学会は電気ショックの是非をめぐる討論をすぐ開始すべきである。
いままでそうした討論が一切されず、電気ショックは野放しとなり私たちに強制されている。
また同意のもとと言っても極めて一方的な説明がされるだけで電気ショックが強制されている。もちろん強制入院中の患者、
獄中の患者に自由な同意の条件があるとは私たちは一切考えない。強制入院中、獄中にいる患者への電気ショックは直ちに禁止されるべきである。

 私たちは学会に以下を要請する。

①本人の同意なしの電気ショック強制禁止を決議すること

②強制入院中、獄中の患者への電気ショックを禁止する決議をあげること

③電気ショック廃絶に向け、電気ショックをめぐる議論を開始すること

2000年5月9日

  全国「精神病」者集団

学会は移送制度への警官出動要請を撤回しろ

学会は移送制度への警官出動要請を撤回しろ

<警察の協力を要請する精神医療従事者>

 私たちの反対にも関わらず精神保健福祉法は改悪され、強制移送制度が4月から始まった。
この移送制度に対して学会は見逃すことのできない要請を行っている。

 精神保健福祉法見直しに際して設けられた専門委員会において、全国精神保健相談員会会長A氏は以下のように述べている。
「行政権力の発動なので吏員の立会い、付き添い、告知は必ず必要です。また、状況によっては『警察官の協力』は不可欠なため、
法施行前に厚生省は警察庁と消防庁の調整を行いどこかに文言化してほしい。といいますのは『都道府県知事は』となっていても、
警察は県ではないかということがあるのですけれども、全然県知事の方を向いていません。そういうことで、
今までスムーズに警察と連携できていた保健所が、34条の成立で協力してもらえないこと、それは県の仕事だろうということで、
連携がうまくいっているところが実際あるわけですけれども、協力してもらえなくなるのではということを会員は非常に危惧しています。
救急車の所管も市町村などて(ママ)同じ心配をしています。」

 また当学会副理事長M医師も以下述べている。「4番目に、これが特に強調されたことなんですが、
現場では当然職員の身体的危険ということもあるわけで、そういうことに配慮を含めて、その状況に応じて、
この場合は特に警察官との協力体制をきちんとできるよう、もちろん地域での協力体制もさることながら、
本庁でぜひその協力体制をつくるように合意形成をぜひお願いしたい。こういうことがないと現場は恐らく不安で動けない、
あるいは混乱することになると思います。」(議事録より)

 精神医療従事者の見事なまでの本音である。「精神障害者への偏見をなくそう」と言っている人たち自身がもっとも「精神障害者」
を危険だと主張しているのだ。この議事録を読んだ人々はどう考えるだろうか? 「専門家ですら、患者の家を訪ねるのに、
警官付きでなければ身の危険を感じると言っている。やはり精神障害者は危険なのだ」と考えるだろう。

 これほどの裏切りがあろうか? こういう発言をする精神科医を信じろと言われても私たちは一切信じることはできない。
1987年に全国の精神科医は一方的に「困った患者=嫌な患者」と決めつけた仲間を道下アンケートに売り渡した。
この売り渡し行為を自己批判した精神科医は一人もいない。そして今さらに「患者が恐いから警官が来てくれなければ移送制度はできない」
と宣言したのだ。私たち「精神病」者に対しこうした裏切りを重ねて一体どうやって精神医療が成り立つというのか?

<まず害する精神医療> 

 ヒポクラテスの誓いは言う、「まず害すなかれ」。しかし「まず害している」のが精神医療である。A氏の発言にあるように、
すでに警官によって精神病院に連行された経験を持つ仲間は存在する。彼らにとって精神医療とは何であったか。
こうした仲間にとっては精神医療とは医療ではなく「権力による弾圧」である。「誘拐と監禁」でしかない。警官に連行され、
監禁されて精神医療に出会い、どうして精神医療を医療と認識することができようか? この心的外傷の深さをどう癒やすことができるのか?
 一体どうやって精神医療に対する信頼をもてというのか? 

 その上強制的に連れ込まれた精神病院でのいわゆる「精神科救急」は何をしているのか。
そこにあるのは本人の同意なしの電気ショックの強制であり、大量の薬漬けであり、身体拘束である。
長い闘病と養生に立ち向かうにはまず患者が主人公となれる患者自身の力が必要であり、
医療は患者のこの力を強め支えるものでなければならない。
しかしこうした精神科救急による医療への導入では患者は自覚的に養生に立ち向かう力を持つことはできず、無力な受け身の立場に追い込まれ、
その後の養生に決定的な妨害となる。まさに反医療的なことが精神科救急では行われているのだ。

 病苦にあえぐ私たちをまず傷つけることで医療に導入するいまの強制入院制度を私たちは一切認めることはできない。
その上強制移送制度の新設はいままでの強制入院をより強化するものであり、警官出動の全国化は全国各地で今まで以上に傷つけられる「精神病」
者仲間を生み出すものでしかない。

 本来の病苦に加え、警官付きの強制移送、強制入院によって心的外傷による後遺障害を私たちは押しつけられるのだ。
苦痛を加え新たな障害を加えて医療などと言えるのか! これはすでに医療ではなく、まさに「権力による弾圧」である。

 この強制移送制度の対象となる仲間は、おそらくそれまでの精神医療によって痛めつけられ心的外傷に苦しんでいる仲間であり、
それゆえにこそ精神医療を拒否している仲間である。こうした私たち「精神病」
者をさらに再々度傷つけ害する移送制度を私たちは一切認めるわけにはいかない。ましてや警官付きの移送制度は断じて許せない。

 私たち全国「精神病」者集団は日本精神神経学会に対して以下を要請する。

①精神保健福祉法上の強制移送制度の撤廃を国に要請すること

②移送制度に関し警官出動要請を撤回すること
2000年5月9日

学会は患者本人の利益に奉仕しろ 学会は北陽病院に関する報告書を撤回しろ

= 学会は患者本人の利益に奉仕しろ 学会は北陽病院に関する報告書を撤回しろ=

 「北陽病院問題に関する報告書(以下報告書とする)」を一読し私たちは怒りを禁じ得ない。何でこんなくだらない報告書のために、
一人の患者が個人情報を公開され一方的に切り刻まれなければならないのか!という怒りである。
私たちはこのように同胞をさらし者にされることを許すことはできない。

<なぜ北陽病院事件が問題となるのか>

 北陽病院に措置入院中の患者の起こした事件につき被害者側が県を訴え、1億2千万円の民事賠償の判決が出た。
県側の一方的敗訴また高額な賠償金は精神医療業界に衝撃を与えた。「入院患者の事件の責任を負わせられてはたまらない」
というのが精神医療業界の本音である。それゆえ「危険な入院患者は自分の病院ではなくどこか特別なところへ行ってほしい」、
「違法行為を行った精神障害者に対しては特別な強制入院制度を、特別な施設を」という主張が盛んにされるようになった。
また一貫して保安処分導入を主張している精神科医にとってはこの民事判決は保安処分導入を図る絶好のチャンスであった。 

 だからこそ日精協はこの問題を即取り上げ、従来からの保安処分導入へのキャンペーンを強化していった。
95年には日精協はマスコミへのアンケート調査という名目でマスコミへのオルグ(例えば質問項目には
「殺人を犯した患者と一緒の病棟に入れられるのは不安だという訴えを他の入院患者から聞くことがありますが、このことを知っていますか」
というものまであった)を開始し、それ以降も積極的にマスコミオルグを行ってきた。それは一定程度成功し、マスコミの違法行為を行った
「精神障害者」の実名報道や保安処分扇動キャンペーン(例えば98年の週刊朝日)として結実している。

 また今年4月から施行される精神保健福祉法の見直しにおいても、
日精協だけでなく様々な団体が措置入院制度の強化や違法行為を行った「精神障害者」への特別な施策、施設が必要という主張をしてきた。
こうした主張は民主党の海野徹議員の参院予算委員会での保安処分新設要求質問、衆参両院委員会の
「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」という全会一致の決議に反映し、自民党では
「精神保健問題小委員会」が作られ「触法精神障害者」問題につき2001年までに結論を出すというところまで来ている。
そして日本精神神経学会においても昨年の保安処分推進シンポジウム(司法精神医学の現代的課題――
日本の触法精神障害者対策の在り方を巡って――)が行われた。

 北陽病院事件はその当の本人である脱院した入院患者個人の問題から離れ、保安処分をめぐる政治的課題のとなったのだ。

<なぜ学会は北陽病院の民事訴訟に関する報告書を出すのか>

 報告書はこの調査を行う経緯および目的として以下述べている。「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、
精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、開放的な精神医療を著しく後退させるものである」
という理由で北陽病院院長から東北精神神経学会に日本精神神経学会で取り上げるよう要請があり、
東北精神神経学会はこの要請を受け日本精神神経学会理事会に対しこの民事判決に対する学会としての声明をあげるよう要請をした。
理事会は事実経過の調査が必要であるとして精神医療と法に関する委員会に調査を命じた。そして委員会は「(脱院した患者の)強盗殺人に関し、
北陽病院に責任があるか否か、特に日本精神神経学会として、精神医学・医療に従事しているものの立場から検討することを目的」として調査し、
この報告書が出された。

 したがって報告書は北陽病院問題の民事訴訟判決を個別事例として検討し、民事判決批判をすることになる。
それゆえ患者本人の生活歴や病歴、北陽病院入院中の医療従事者による観察の記録、などがつぶさに検討されることとなる。

 報告書の結論は必ずしも明確ではないが、本人に対して行われた刑務所の処遇および精神保健福祉法上の処遇も適切であり、
とりわけ北陽病院の処遇および治療も適切であるとした上で、この事件に関し病院の責任を重く認定した民事判決に疑問を投げかけている。

 この報告書のきっかけとなった北陽病院院長の要請でも分かるように、入院患者が違法行為を行った場合に、
病院がその責任を問われ多額の賠償金を求められるようになれば、精神病院としては自己防衛上入院患者を厳重に監禁せざるを得なくなる、
という判断がこの報告書作成の動機である。そこには、医療とは何か、精神科医の任務とは何か、医者は誰のために働くのか、
といった哲学は一切ない。あるのは保身とソロバン勘定だけだ。

 だからこそこの報告書は「北陽病院問題」を「北陽病院対被害者の民事訴訟問題」に矮小化し、
民事訴訟の範囲内で北陽病院に責任があったか否か、を問うことしかしないのだ。

<「北陽病院問題に関する報告書」はその目的を達成できない>

 この報告書は二つの側面から批判することができる。一つはこの報告書の中身がその作成動機にある
「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、
開放的な精神医療を著しく後退させる」ことを防ぐのに役に立つか否か、
今一つはこの報告書が脱院し事件を起こした患者当人にとってどういう意味があるか、である。

 前者について報告書は、北陽病院に落ち度がなかったことを主張し、
それによりこの民事判決を批判することでその目的を達成しようとしている。
しかし学会が報告書を出したり声明を出すことが有効か否かの問題はさておき、
報告書はその内容からいってこの目的を達成することができるとは考えられない。北陽病院は適切な医療と処遇をとっており、
この事件に一切責任はない、と主張しこの賠償金は不当であると主張し、仮にそれが受け入れられたとしてどうなるだろうか
(もっとも報告書自体あいまいであり明確な結論を出していないが)? 前述したように北陽病院事件は保安処分があるいは「精神障害者」
の分断と厳重な監禁が必要であるという主張の根拠として利用されている現実がある。したがって保安処分を推進する者たち、
あるいは入院患者のより厳重な拘禁を求める者たちの論理はこうなる。「北陽病院に落ち度がないとしたら、
現行の精神病院の実態そして制度の下ではいかに適切な処遇、治療をしても事件は起こることになる。必要なのはこうした事件を防ぐ新たな制度、
施設である」。

 保安処分をめぐる政治課題となった北陽病院問題は、いくら個別の民事訴訟を分析調査しても、理解し何らかの方針が出る問題ではない。
事件を予測できたか否か、回避できたか否か、北陽病院に責任があるか否か、は問題の本質と一切関係ない。
北陽病院問題の本質は精神医療の目的とは何か、言い換えれば、精神医療は本人の利益のためにあるのか、
それとも社会防衛のため治安に奉仕するため、犯罪を防止するためにあるのか、である。そしてさらにいうなら、「精神障害者」
を犯罪予備軍と想定する「精神障害者」観、報告書も触れているように「精神障害者の行為一つ一つにつき、監督すべき主体が想定され、
監督が不十分であったということになれば責を問われるのである」という現状を支えている「精神障害者」観である。
健常者の成人が個人として殺人事件を起こしたとき、誰も監督責任を追及されないし、
本人に支払い能力がなければ被害者は民事訴訟を起こしても何ら賠償されることはないではないか。なぜ「精神障害者」だけが監督され、
監督責任のあるとされるものの責任が追及されなければならないのか?

 いま学会に求められているのは、精神科医は患者本人の利益に奉仕するために精神医療を実践する、
精神医療は犯罪の防止のためあるいは社会防衛のために使われてはならない、という宣言であり、明確な反保安処分の宣言である。
そうでなければいかなる事件が起きいかなる民事判決が出ても、医療目的を貫徹するためには開放的処遇が必要であるという主張はできないし、
入院患者の厳重な監禁をという主張に対抗することはできない。

<「北陽病院事件に関する報告書」は撤回を> 

 報告書は脱院した患者本人にとってはどういう意味があるだろうか? まず許せないのは個人情報の開示である。
たしかにこれらの個人情報(生活歴、入院歴その他)はすでに公判において開示されているものであろうし、
法的には公開したところで問題ない情報かもしれない。
しかしながら精神科医が医者としてこうした個人情報を再び三度公開することには倫理的な問題がある。
学会も少なくともその点を考慮したからこそ患者名を匿名にしたのだろうが、病院名事件内容が明らかな以上、誰でもこの患者名を特定できる。
精神医療が患者個々人の利益のためにあり、精神科医は個々の患者の利益に奉仕するものであるなら、
この脱院した患者本人にとって個人情報の開示がどういう意味を持つかが問題にされなければならない。患者本人にとっては、
自分個人の利益には一切ならない調査において、自分の利益に奉仕すべき精神科医によって、
さらには自分の入院していた精神病院の医者によって、自分の個人情報が再々度公にされたということになる。
しかも民事訴訟の分析という性格上、自分自身の言い分は一切含まれていない個人情報であり、分析である。
なぜ本人の同意も要請もなく一方的な調査をされなければならないのか?
 患者本人の精神医療に対する絶望はこれによりさらに深められたといって過言でない。

 そもそも事件の時、北陽病院の主治医および医師たちは彼の救援活動を一切行わなかった。
されには刑事法廷において彼の主治医は彼の悪口を証言している。その証言に彼はどれだけ傷ついたことだろうか?
 さらに加えてこの報告書である。精神医療従事者、精神病院経営者・管理者の保身とソロバン勘定のために、なぜ「精神障害者」
はこれほどなぶりものにされなければならないのか!     

 私たちはもとより本人の代理人でも代弁者でもないが、
私たちはこのように同胞をさらし者にされなぶりものにされることを許すことはできない。私たちは、
報告書について学会が自己批判することそしてこの報告書を撤回することを求める。

2000年5月9日

全国「精神病」者集団

連絡先 923-8691

小松郵便局私書箱28号 絆社ニュース発行所

学会は患者本人の利益に奉仕しろ 学会は北陽病院に関する報告書を撤回しろ

= 学会は患者本人の利益に奉仕しろ 学会は北陽病院に関する報告書を撤回しろ=

 「北陽病院問題に関する報告書(以下報告書とする)」を一読し私たちは怒りを禁じ得ない。何でこんなくだらない報告書のために、
一人の患者が個人情報を公開され一方的に切り刻まれなければならないのか!という怒りである。
私たちはこのように同胞をさらし者にされることを許すことはできない。

<なぜ北陽病院事件が問題となるのか>

 北陽病院に措置入院中の患者の起こした事件につき被害者側が県を訴え、1億2千万円の民事賠償の判決が出た。
県側の一方的敗訴また高額な賠償金は精神医療業界に衝撃を与えた。「入院患者の事件の責任を負わせられてはたまらない」
というのが精神医療業界の本音である。それゆえ「危険な入院患者は自分の病院ではなくどこか特別なところへ行ってほしい」、
「違法行為を行った精神障害者に対しては特別な強制入院制度を、特別な施設を」という主張が盛んにされるようになった。
また一貫して保安処分導入を主張している精神科医にとってはこの民事判決は保安処分導入を図る絶好のチャンスであった。 

 だからこそ日精協はこの問題を即取り上げ、従来からの保安処分導入へのキャンペーンを強化していった。
95年には日精協はマスコミへのアンケート調査という名目でマスコミへのオルグ(例えば質問項目には
「殺人を犯した患者と一緒の病棟に入れられるのは不安だという訴えを他の入院患者から聞くことがありますが、このことを知っていますか」
というものまであった)を開始し、それ以降も積極的にマスコミオルグを行ってきた。それは一定程度成功し、マスコミの違法行為を行った
「精神障害者」の実名報道や保安処分扇動キャンペーン(例えば98年の週刊朝日)として結実している。

 また今年4月から施行される精神保健福祉法の見直しにおいても、
日精協だけでなく様々な団体が措置入院制度の強化や違法行為を行った「精神障害者」への特別な施策、施設が必要という主張をしてきた。
こうした主張は民主党の海野徹議員の参院予算委員会での保安処分新設要求質問、衆参両院委員会の
「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」という全会一致の決議に反映し、自民党では
「精神保健問題小委員会」が作られ「触法精神障害者」問題につき2001年までに結論を出すというところまで来ている。
そして日本精神神経学会においても昨年の保安処分推進シンポジウム(司法精神医学の現代的課題――
日本の触法精神障害者対策の在り方を巡って――)が行われた。

 北陽病院事件はその当の本人である脱院した入院患者個人の問題から離れ、保安処分をめぐる政治的課題のとなったのだ。

<なぜ学会は北陽病院の民事訴訟に関する報告書を出すのか>

 報告書はこの調査を行う経緯および目的として以下述べている。「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、
精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、開放的な精神医療を著しく後退させるものである」
という理由で北陽病院院長から東北精神神経学会に日本精神神経学会で取り上げるよう要請があり、
東北精神神経学会はこの要請を受け日本精神神経学会理事会に対しこの民事判決に対する学会としての声明をあげるよう要請をした。
理事会は事実経過の調査が必要であるとして精神医療と法に関する委員会に調査を命じた。そして委員会は「(脱院した患者の)強盗殺人に関し、
北陽病院に責任があるか否か、特に日本精神神経学会として、精神医学・医療に従事しているものの立場から検討することを目的」として調査し、
この報告書が出された。

 したがって報告書は北陽病院問題の民事訴訟判決を個別事例として検討し、民事判決批判をすることになる。
それゆえ患者本人の生活歴や病歴、北陽病院入院中の医療従事者による観察の記録、などがつぶさに検討されることとなる。

 報告書の結論は必ずしも明確ではないが、本人に対して行われた刑務所の処遇および精神保健福祉法上の処遇も適切であり、
とりわけ北陽病院の処遇および治療も適切であるとした上で、この事件に関し病院の責任を重く認定した民事判決に疑問を投げかけている。

 この報告書のきっかけとなった北陽病院院長の要請でも分かるように、入院患者が違法行為を行った場合に、
病院がその責任を問われ多額の賠償金を求められるようになれば、精神病院としては自己防衛上入院患者を厳重に監禁せざるを得なくなる、
という判断がこの報告書作成の動機である。そこには、医療とは何か、精神科医の任務とは何か、医者は誰のために働くのか、
といった哲学は一切ない。あるのは保身とソロバン勘定だけだ。

 だからこそこの報告書は「北陽病院問題」を「北陽病院対被害者の民事訴訟問題」に矮小化し、
民事訴訟の範囲内で北陽病院に責任があったか否か、を問うことしかしないのだ。

<「北陽病院問題に関する報告書」はその目的を達成できない>

 この報告書は二つの側面から批判することができる。一つはこの報告書の中身がその作成動機にある
「この判決は病院側の管理責任を全面的に認めたものであり、精神分裂病の医療を拘束性の高い施設内収容下で行うことを促し、
開放的な精神医療を著しく後退させる」ことを防ぐのに役に立つか否か、
今一つはこの報告書が脱院し事件を起こした患者当人にとってどういう意味があるか、である。

 前者について報告書は、北陽病院に落ち度がなかったことを主張し、
それによりこの民事判決を批判することでその目的を達成しようとしている。
しかし学会が報告書を出したり声明を出すことが有効か否かの問題はさておき、
報告書はその内容からいってこの目的を達成することができるとは考えられない。北陽病院は適切な医療と処遇をとっており、
この事件に一切責任はない、と主張しこの賠償金は不当であると主張し、仮にそれが受け入れられたとしてどうなるだろうか
(もっとも報告書自体あいまいであり明確な結論を出していないが)? 前述したように北陽病院事件は保安処分があるいは「精神障害者」
の分断と厳重な監禁が必要であるという主張の根拠として利用されている現実がある。したがって保安処分を推進する者たち、
あるいは入院患者のより厳重な拘禁を求める者たちの論理はこうなる。「北陽病院に落ち度がないとしたら、
現行の精神病院の実態そして制度の下ではいかに適切な処遇、治療をしても事件は起こることになる。必要なのはこうした事件を防ぐ新たな制度、
施設である」。

 保安処分をめぐる政治課題となった北陽病院問題は、いくら個別の民事訴訟を分析調査しても、理解し何らかの方針が出る問題ではない。
事件を予測できたか否か、回避できたか否か、北陽病院に責任があるか否か、は問題の本質と一切関係ない。
北陽病院問題の本質は精神医療の目的とは何か、言い換えれば、精神医療は本人の利益のためにあるのか、
それとも社会防衛のため治安に奉仕するため、犯罪を防止するためにあるのか、である。そしてさらにいうなら、「精神障害者」
を犯罪予備軍と想定する「精神障害者」観、報告書も触れているように「精神障害者の行為一つ一つにつき、監督すべき主体が想定され、
監督が不十分であったということになれば責を問われるのである」という現状を支えている「精神障害者」観である。
健常者の成人が個人として殺人事件を起こしたとき、誰も監督責任を追及されないし、
本人に支払い能力がなければ被害者は民事訴訟を起こしても何ら賠償されることはないではないか。なぜ「精神障害者」だけが監督され、
監督責任のあるとされるものの責任が追及されなければならないのか?

 いま学会に求められているのは、精神科医は患者本人の利益に奉仕するために精神医療を実践する、
精神医療は犯罪の防止のためあるいは社会防衛のために使われてはならない、という宣言であり、明確な反保安処分の宣言である。
そうでなければいかなる事件が起きいかなる民事判決が出ても、医療目的を貫徹するためには開放的処遇が必要であるという主張はできないし、
入院患者の厳重な監禁をという主張に対抗することはできない。

<「北陽病院事件に関する報告書」は撤回を> 

 報告書は脱院した患者本人にとってはどういう意味があるだろうか? まず許せないのは個人情報の開示である。
たしかにこれらの個人情報(生活歴、入院歴その他)はすでに公判において開示されているものであろうし、
法的には公開したところで問題ない情報かもしれない。
しかしながら精神科医が医者としてこうした個人情報を再び三度公開することには倫理的な問題がある。
学会も少なくともその点を考慮したからこそ患者名を匿名にしたのだろうが、病院名事件内容が明らかな以上、誰でもこの患者名を特定できる。
精神医療が患者個々人の利益のためにあり、精神科医は個々の患者の利益に奉仕するものであるなら、
この脱院した患者本人にとって個人情報の開示がどういう意味を持つかが問題にされなければならない。患者本人にとっては、
自分個人の利益には一切ならない調査において、自分の利益に奉仕すべき精神科医によって、
さらには自分の入院していた精神病院の医者によって、自分の個人情報が再々度公にされたということになる。
しかも民事訴訟の分析という性格上、自分自身の言い分は一切含まれていない個人情報であり、分析である。
なぜ本人の同意も要請もなく一方的な調査をされなければならないのか?
 患者本人の精神医療に対する絶望はこれによりさらに深められたといって過言でない。

 そもそも事件の時、北陽病院の主治医および医師たちは彼の救援活動を一切行わなかった。
されには刑事法廷において彼の主治医は彼の悪口を証言している。その証言に彼はどれだけ傷ついたことだろうか?
 さらに加えてこの報告書である。精神医療従事者、精神病院経営者・管理者の保身とソロバン勘定のために、なぜ「精神障害者」
はこれほどなぶりものにされなければならないのか!     

 私たちはもとより本人の代理人でも代弁者でもないが、
私たちはこのように同胞をさらし者にされなぶりものにされることを許すことはできない。私たちは、
報告書について学会が自己批判することそしてこの報告書を撤回することを求める。

2000年5月9日

全国「精神病」者集団

連絡先 923-8691

小松郵便局私書箱28号 絆社ニュース発行所

 

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