人格障害は排除の烙印だ 学会は人格障害概念を破棄しろ

= 人格障害は排除の烙印だ 学会は人格障害概念を破棄しろ=

<人格障害概念はいかに機能しているか>

 人格障害とは何だろうか? 人格のゆがみとか偏りとかいわれているものであり、
その定義からいって客観性はなく歴史的政治的概念であり、精神病質概念同様に排除の烙印として機能している。日常語でいえば「嫌な奴」
「付き合いたくない奴」「厄介者」となるが、これに「科学的」粉飾を付け加えたのが人格障害概念である。

 この概念は社会的問題を、個人の人格、資質の問題にすり替え、その個人の排除を合理化したり、
個人の人格矯正によって問題解決しようとする概念である。

 たとえばDSMにおいて、家庭内暴力の被害者女性に対してマゾヒズム人格障害のラベリングがされ、
被害者は無意識のうちの暴行を楽しんでいる人格であり、家庭内暴力を男にさせているのは被害者本人であるとされた。
フェミニストの激しい抗議の中でようやくこの概念はDSMから撤回されたが、
その後代わって自己敗北型人格障害という概念が持ち出されDSMの付録として生き残っている。
これらの概念がむき出しの性差別から導かれた概念であることは明らかである。

 あるいは境界例人格障害という概念がある。この概念は一言でいえば精神科医が「嫌な奴」「付き合いきれない奴」
という言葉の代わりに使うものであり、いったんこのラベリングをされると、患者の言葉は全て嘘ということになる。
アメリカでは精神科医によって強姦されたと訴える女性患者がいれば、境界例人格障害とされる。そして彼女の言葉は全て嘘ということになる。
精神科医によれば、精神科医を訴えること自体が境界例人格障害である証拠であり、
そして境界例人格障害である以上患者のいうことはすべて嘘なのだ。仮に性的関係が両者にあったとしても、それは境界例人格障害の患者が、
人格障害ゆえに精神科医を誘惑したのだ、ということになる。見事な循環論理であり精神科医を防衛するには何と便利な概念であろう。

 人格障害概念がいかに主観的であり、社会的差別を反映した概念であるかこれらの例だけでも明白である。
診断とはそれを付けられた患者本人の症状を理解し苦痛をいやすために正しい治療方針を出すことを目的としているはずである。
ところが人格障害という診断名は、本人の利益には一切ならず、むしろその診断名を付けられた人間を非難し、人としての一切の信用を奪い、
社会生活を不可能にする烙印として機能している。

<保安処分と人格障害概念>

 人格障害概念が排除の合理化や問題のすり替えのための概念として機能していることは、単に概念を誤って拡大したり、
誤って適応しているのであり、概念自体の問題点ではないと主張する精神科医もいるかもしれない。
しかし当学会総会の人格障害に関するシンポジウムのシンポジストである牛島定信医師は、週刊誌において事件の犯人とされた人たちに対し、
人格障害概念を適用しコメントしている(裏面コピー参照)。京都の小学生殺害事件、
新潟の少女監禁事件の容疑者について牛島定信医師は以下のようにコメントする「共通するのは、
悪性自己愛人格障害という重症型の人格障害だったこと」。「現在、こうした悪性自己愛人格障害が、かなりの勢いで増えています。
昨年の池袋の通り魔事件の容疑者も、下関の刺殺事件も、共通の人格障害と考えられています」。牛島の論理では、容疑者は人格障害であり、
これらの犯罪は人格障害が原因である、ということになる。さらには人格障害(この場合は悪性自己愛人格障害)
とされた人間は非常に危険で何をするか分からない犯罪予備軍ということになる。
牛島医師の患者で人格障害とされている人たちはこの記事を読んでどう思うだろうか?
 そして自己愛人格障害とラベリングされた人たちは今後どうこの社会で生きていけるというのか?
 明らかに牛島医師の論理の下では人格障害というラベリングは排除の烙印として機能している。
この牛島医師の論理こそが人格障害概念の本質なのだ。現実に刑事法廷では、人格障害のラベリングは健常者に比べ「危険で再犯しやすい」
人間である、という烙印として機能し、重罰の根拠となる。

 保安処分とは何か? 犯罪行為違法行為の原因をひたすら個人の資質、病状に求め、それゆえ「危険性」を要件として予防拘禁し、
強制医療をもって個人の人格を矯正しようとするものである。牛島医師の論理に見られるように、人格障害概念はかつての精神病質概念同様、
この保安処分の中核となる概念であり、保安処分という予防拘禁と強制医療を正当化合理化する概念である。
しかもこの概念は前述したように客観性は一切なく政治的社会的概念であり、誰にでもラベリングできる概念である。
事件を起こしたとされた人間誰にでも人格障害のレッテルを貼ることが可能である。

<人格障害概念の廃棄を>

 人格とは何か? 人格の障害とは何か? これらの質問に科学的客観的な答えはあり得ない。
こうしたことに精神医療は手を出してはならない。しかも本人の利益に一切ならないラベリングを患者にすることは医療のすることではない。
医療は本人の苦痛をいやし、本人は生き延びることに奉仕するべきである。犯罪の防止と治安に奉仕するために、
人を排除し予防拘禁するための概念である人格障害概念を精神医学・精神医療は放逐しなければならない。

 私たちは日本精神神経学会に対し人格障害の概念否定に向け討論を開始することを要請する。  

2000年5月9日

  全国「精神病」者集団

全国「精神病」者集団ニュース 2000年4月号

2000年4月発行のニュースです。一部のみの掲載となっております。

一般定期購読は有料(年6回発行1年分5000円)です。(病者である会員の購読は送料も含めて無料となっております。)

目録

ごあいさつ

  • 精神保健福祉課の対応など

八王子市による差別事件

  • 簡単な総括
  • 役所からの文書
  • Sさん頑張って下さい

(略)

お会いできて嬉しかったです

(略)

私の一人暮らし

(略)

一人暮らし

(略)

窓口から

(略)

編集後記

  • 精神障害者手帳

SSKO

全国「精神病」者集団
ニュース


ごあいさつ

桜の便りの聞かれる季節となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。この季節特有の体調の乱れに苦しんでおられる仲間も多いことと存じます。今少しの辛抱と、この時期を無事やり過ごせることをお祈りいたします。

朝日新聞によると新潟県の女性長期監禁事件に関連し厚生省精神保健課は以下の方針を明らかにしました。

保健所などの自治体側が家族からの相談があったにもかかわらず、十分にその情報を生かせなかったとして、厚生省は3月6日、精神障害者を緊急に受け入れる地域の応急入院指定病院を現在の65から大幅に増やすと同時に、4月に施行される改正精神保健福祉法で初めて規定される「移送制度」について、運用態勢を早急に整えるよう、全国の障害保健福祉主管課長を集めた会議で指示しました。

精神保健福祉課長は「新潟の事件では、警察の問題に焦点が当てられて隠れているが、保健所の介入にも手ぬるさがあったと考えている」とし、早急に態勢を整えるよう促しました。厚生省は移送態勢の整備には受け入れ病院の拡大も必要と判断。患者を受け入れる応急入院指定病院について、入院用ベッドの確保や診療スタッフ数、脳波計や血液検査用の施設などについて定めた指定基準を緩和することを決め、将来的には、精神科を持つ公的医療機関すべてに指定を広げることを目標にする考えとのこと。

私たち「精神病」者仲間のほとんどが、精神医療による心的外傷によりその「病状」を悪化させあるいは新たな障害を負わせられています。

いわば精神医療によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいるのが私たち「精神病」者です。どういう形で精神医療に出会うかが、病気の予後およびその後の人生を決定してしまうのです。

私たちが体験した残酷な精神医療を今後の仲間たちに体験させたくないという思いは私たち仲間すべてに共通した願いです。しかしながら、「誘拐と監禁」である強制移送とそれに連なる強制入院は仲間に新たにそして再々度心的外傷を与えるものです。

(略)

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八王子市による差別事件の簡単な総括

東京 YH、HS

(HP作成者注:氏名など一部HP用に伏せてあります。問題があれば対処しますのでメールをください。)

お世話になっております。

八王子市の生活保護ケースワーカーによる、精神障害者および生保受給者への差別発言事件に対して、わたしたちは抗議行動をつづけてきました。

わたしたちの要求に対する、八王子市からの回答文が、去る一九九九年一二月に来ましたので、報告します。

市当局は、この事件が精神障害者に対する重大な差別であることを、全く認めませんでした。実に許しがたいことです。

しかし、わたしたちの抗議行動に対しては「何も言っていない」ととぼけていたのを、この文書では「ああ言った、こう言った」と書き、みずから嘘をついていたことを白状しているのです。

そして、次の二点を認めさせることができました。

  • 生保受給者に医療機関を選ぶ権利があること。
  • 医療券は必ずしも市役所に取りに行かなくてもよいこと。

今後、生保受給者の方々の上に同じような問題が起きないためには、最低でも、市当局がみずから認めたことを実行させるための、監視を怠ってはならないでしょう。

本来、生活保護とは、社会の底辺で、貧困にあえぐ人、障害や病に苦しむ人、そうした人々の生きる権利を保障するための制度であるはずです。

そうした人々に福祉を提供する責務を負った、ケースワーカーや保護課の責任者が、こんな劣悪な人権意識の持ち主であるという事実に、暗澹とさせられます。

わたしたち社会的弱者の側が、差別に抗して声を上げていくこと、生活に立脚したたたかいこそが、このような日本社会の状況を変えるための一歩であると考えさせられます。

貧しい人や苦しむ人、小さき人、そうしたひとりひとりのための政治であることを祈ります。

今後もご支援をお願いいたします。ともにたたかいましょう。

二〇〇〇年二月


資料

役所からの文書

一一八事保収第一八九七号
平成一一年一二月九日

YH様
HS様

八王子市福祉事務所長 M

抗議文及び要求項目について

平成一一年一一月二五日付けのこのことについては、下記のとおり回答します。

一.抗議文について

(一)本文上段より六行目「勝手なことをするな、前の病院に行け」については、「前の病院の主治医と話をしたほうがいいのではないですか」と話をした。

(二)本文上段より一〇行目「自費で払えるなら生保を受ける権利はない」については「自費で払うと生活を圧迫するので、生活保護では考えられない」と話した。

(三)本文上段より一四行目「前の病院の医師の意見を間いて、その病院に変わるのかを決めるのは自分だ」については、「どの病院に決めるかは、前の病院の医師の意見を自分できいて、自分(本人)が決めて頂くことになる」と話した。

(四)本文上段より一六行目「薬は医者の診立てで出したものだから黙って従え」については、「きつい薬であったらお医者さんに相談して下さい」と話した。

(五)本文上段より一七行目「H氏が許可しないと医療券は発行しないと言い張る」については話していません。なお、すでに申し出のあった医療機関への医療券は交付の手涜きをいたしました。

(六)本文上段より二一行目「『キチガイ』扱い」については、そのような扱いをしたことはありません。

(七)本文上段より二三行目「実情に配慮した対応と、担当者の意識の向上に努める」については、例えば医療券は来所して頂き交付を受けることが原則となりますが、来所できなければ他の方法も考えております。また、日頃より職員の意識の向上に努めておりますが、今後も引き続き意識の向上に努める考えです。

(八)本文上段より二九行目「ああ、とうぞ遺書を書いて下さいよ」については、「そんなことは言わないで下さい」と話した。

(九)本文二枚目上段より四行目「権利がほしかったら義務を果たせ」については、「何か変化があったら連絡して下さい。これが義務です」と話した。

二.要求項目について

(一)一については、差別しておりません。

(二)二については、認めます。

(三)三については、福祉事務所に来所し医療券の交付を受けることが原則ですが医療機関によっては、本人の福祉事務所への連絡により直按送付することがあります。

(四)四、五については、認めません。

(五)六については、既に申し出のとおり交付の手続きを行いました。

(六)「~謝罪文を市報に~」については、抗議文の回答のとおり認めません。

(編注 要求項目

一 今回の事件は精神障害者に対する差別事件であ ることを確認し、謝罪すること。

二 生活保護受給者には診療機関を選択する権利が あることを確認すること

三 医療券の発行にあたっては、役所に来る必要は なく、直接医療機関に行けばよいことを確認するこ と。

四 H氏は本人に直接謝罪すること。

五 H氏に対し厳正な処分をすること。

六 日野市立病院にかかるための医療券の手続きを この場ですること。)


Sさん頑張って下さい

愛知 ASKA

初めまして、初めてニュースに投稿させていただきます愛知県の〇の会のメンバーの一人です。

私は、今年初めてのニュースに載っていた「八王子福祉事務所の差別事件報告」を、ハハーどこにでもあるもんなんだなあと思って読ませていただきました。

私はありがたいことに保護のお世話にはなっていません。しかし、仲間の中には、好きでなったわけでもないこの病気のおかげといろいろな事情で、保護のお世話になっている、否お世話といういい方はやめましょう、これは権利ですから、保護にかかっている人が多くいます。そして、そのことや病気のことでいろんな差別を受けていることがよくあります。私も病気のことで嫌な思いをしたことがありますが。

普通では通らないことでも病者に対しては、平気でいろんなことをします。そして都合が悪くなると、私たち病者はまともではないように思っているらしく、お茶を濁してごまかします。

社会では「ノーマライゼーション」だの「バリアフリー」だの言っているときに、とんでもない話です。このような事件はとても許せません。

Sさん頑張って下さい。

二〇〇〇年三月


お会いできて嬉しかったです

東京 S

Y様

大阪で、お会いできて嬉しかったです。泣いたのは、嬉しかったから…。勝手に思い込まれて迷惑かもしれないけれど、自分に精神医療ユーザーという自覚ができてからあらためて他者(ひと)を求めていました。

東京に戻り、一緒に行った人が買ったニュースを読みながら、「自分が病気であるか、ないか」という問いは、仲間たちとのこのようなつながりの中においては、小さなものになるのかもしれない、と思いました。また、連帯を分断するものになるだろう、と思いました。

それでも、自分にとっては、「病気ではない」という宣言が重要なこと。わたしの回復はそこから始まっていると思います。

大阪でも話しましたが、昨年一一月、十代のとき閉鎖病棟で出会った友人が、転院した別の病院の非常階段から飛び降りて自殺しました。

以前だったら、病院で知り合った人たちが自殺したとき、「それは病気のため…」とわたしは思い、「また一人…」と思い、「自分もいつかそうなるのだろうか…」と思いました。

でも今は、「違う、病気のためではない。精神医療によって殺されたんだ」と思います。医者が言うように、「彼女の病気が重かった」とは思えません。

わたしと彼女の何が違っていたか?

「病気」が違うとは、とても思えないのです。

他にも、そのように思えるケースがたくさんあります。社会の中で仕事をしながら苦しんでいる人でも、措置入院になっている人でも。

あまりの無力感です。

彼女が死んでから、わたしは東京の精神病院を五〇ヶ所近く訪ね歩きました。連絡をして行ったのではなく、ただ見に行きました。外来に来たような感じで、ジュースを飲んだりして、敷地内を少し歩いて。

結論としてわたしが感じたのは、死んだ友人はJと言いますが、「第二、第三のJは出る」ということです。 わたしは、自分が今いる地点を超えたいと思います。活動する上での、自分のスタンスのようなものを持ちたいし、仲間を持ちたいと思います。

状況としてわたしは孤立していないけれど、今いる地点を何かの形で抜け出ないと、苦しい、と思います。

ニュースの、大野さんと赤堀さんの部分は、スゴイ…です。

Yさんの大阪での話は、とても「わかる!」ものでした。「キチガイ」が怒っている、ということへの驚きと感動。運動とセルフヘルプのバランスの問題。

会のあと、わたしが個人的なことをどんどん質問したのに、それに答えてくださって、ありがとうございます。


私の一人暮らし

福岡 K

以前結婚していたとき(健常者の人)非常に具合が悪く、連れ合いがほとんど収入がなかったので、私は大量の薬を飲んで仕事をして子どもを育ててきました。その頃は副作用のアカシジアもひどく、強いお薬だったので苦しくて毎日自殺のことを考えていました。でもその連れ合いがギャンブルで多大な借金を作ったし、娘も一応自立できるまでになってやっと離婚できて、もう一〇年ほど障害年金と生活保護で一人暮らしをし、結婚していたときよりもズーッと友人も多く、時々孫も泊まりに来て楽しいし、とにかく過保護だった監視のひどかった親もなく、とっても人生の内で最高に幸せな時期だと思っています。

孤独はもともと一人っ子だったせいもあって大好きです。始終友人から電話もあるし、週に一度はプロテスタント(洗礼は一生受けないつもりです)の自由な教会に行っているし、障害者問題の会も月一回ほど開いているし、今ほど充実して楽しい日々はありません。

私に言わせればどちらがまともかと思う世の中ですが、とにかく貧乏でも毎月安定した収入が入ることと、自分の趣味(絵画、音楽、洋裁)等に打ち込めて幸せな老後を送っております。

大家さんや娘からアホだのバカだの言われていますが、マイペースでやるしかないし、学生運動の頃の貧しさ悲惨さよりズッとゴージャスな日々です。

若い頃友人のひどい裏切りにあって一ヶ月も眠れずあまりに苦しかったので(亡霊ばかり見えていて、存在の不快で全身かきむしって血だらけでした)、二度自殺未遂しましたが、何とか生き延びて、今、良いお医者様にも出会えて、かなり強い睡眠薬を飲まないと眠れませんが、眠れさえすれば日々喜びに満ちて、鉄格子のない二間のアパートで感謝して目覚める毎日です。でも時々トラウマの発作が出て、苦しくて涙が止まらなくて感情がコントロールできないときは、お薬を飲んで自己管理しています。ここ一〇年ほど外来で何とかこの地域で生きています。やはりひとりぼっちはいけないと思います。友人は宝だと思います。

いまだに反権力なので、この頃やっと不敬絵画一〇〇号「俺たちに明日はある」を完成しました。天皇とかにいたずらしているのできっと落選すると思いますが、とにかくこういう表現したこと自体が楽しいです。だってこんな作品だってあるんだって出品すること自体が喜びです。

日常生活では、五二歳だというのに、大のキムタクファンでロックやクラシックやとにかく音楽好きなのでこの頃は、Doragon Ashとかで、一人で踊って体をほぐしています。時々孫二人と遊んでいると同次元なので楽しくて仕方ありません。こんなに幸せな精神障害者はあつかましいのかななんて思っています。

私の若い頃からの夢は性器的結合を乗りこえた愛というものだったので、今は全く性的な欲望がなく、私なりの「エロス的文明(H・マルクーゼ)」の日々というところです。世の人々はよく食べよく吐いているみたいですが、私は一日に一~二度の食事しかしません。あんまり食べると苦しいので、粗食が一番だと思っています。

体験的にいわせてもらえば、健常者といわれる人々の方が私にとっては不思議な存在でした。とにかく嘘が苦手なので平気で嘘つく健常者の神経が分かりません。

今は中井久夫先生がいわれたように中世アラビア風の自己治療をしているような毎日です。


一人暮らし

埼玉 F

一人暮らしの食事等家事労働等のこと松ぼっくりの会員に聞いてみました。

生活保護の人二人、一人は糖尿病なので甘いもの食べない。簡単なものお茶漬けとか、ハムとかですますとのこと。もう一人は一人暮らしが長くて、カレーはたくさん作って冷凍しておくとか、カレーは何日食べても飽きがこないとか。ご飯も二日分四合炊くとか、たくさん炊くと固くてうまいご飯ができるとのこと。もう一人はパンを買ってきて食べることが多いとか。一人分一回ご飯炊くと一合じゃ多すぎるから一合の六分目じゃないかと思うとか。昔はご飯炊いて作ったが、面倒くさくてパン屋さんからハムサンドを買ってくるとか。

他の人はワカメを塩出ししてゆでて三杯酢にして食べるとか、自炊した方が安上がりだとのこと。外食ファミレス。中食弁当を買ってくる。内食ご飯だけ炊いてスーパーでおかずを買ってくるとかだそうです。

私の経験。一人暮らし自炊の経験あり。友達から魚とか肉をビニール袋に入れて冷凍して小分けにしておくと便利。玉子も安くて重宝。カップラーメンにプラスして入れる餅をゆでて入れて食べると腹持ちがいい。普通はめん類で簡単に野菜など入れて、最後に生玉子を入れると結構おいしい。

ご飯派、めん類派、パン派これらを一週間組み合わせれば、たまにスーパーで切り身の魚を買ってきて、フライパンで焼くと手軽に調理できるとのこと。

掃除や洗濯、気が向けばやればよい。

一人暮らしなことは、気軽におっくうがらず楽しみながら、とくにメニューを決めずとも、その日の気分でスーパーに行って、安くてうまそうなものに、チャレンジするのも良い。

みそ汁はハイミーなど化学調味料を入れるとおいしくなる。ワカメかあり合わせのネギやタマネギ。タマネギはけっこう日持ちする。ニンニクも体にいいので火にあぶって豪快に食べる。そういったものかな。

あと一人暮らしで淋しいとき生活保護でもNTTの電話三年三六回払いで取り付けられます。この電話も話し相手を作って、グチを聞いてくれる仲間を作って。あと趣味を持つ。私はハーモニカやカシオの電子ピアノ一本の指でつま弾いています。

淋しいのは誰でも同じで、趣味を持つ。俳句や短歌あるいは将棋でも囲碁でもいい。お金のかからない一人でも二人でもできる趣味。私は日記を書くことがストレス発散になっています。近所に友達を作る。何かの趣味を持つ友だ。ただテレビを見て新聞読んでも淋しさはいえません。共有する趣味を持つ仲間がいるのが救いです。

あと他の病気になったとき。電話があれば救急車を無料で呼べます。電話があると重宝です。生保の人も三年三六回払いで可能です。生保でそれをやった人がいます。

とりあえずしたためました。


窓口から

(略)

☆全国「精神病」者集団機関誌「絆」販売

全国「精神病」者集団の機関誌「絆」はこの一〇年以上発行されておりませんが、全国「精神病」者集団の歴史を知るにはいい資料です。この国の「精神病」者の闘いの歴史の一端を知るためにお読みいただければ幸いです。

ご希望の方は私書箱に手紙でお申し込みいただくか、メールでお申し込み下さいませ。発送時に送料(一九〇円から二四〇円)と代金をご請求しますので、郵便局でお振り込み下さいませ。それぞれ定価の他に送料がかかります。

一九七七年第三回「精神障害者」全国総決起集会基調

定価二〇〇円

一九七九年第四回「精神障害者」全国総決起集会基調討論資料

定価五〇〇円

「絆」第三号 一九八〇年発行 定価四〇〇円

「絆」第五号 一九八一年発行定価四〇〇円

「絆」第六号 一九八一年発行 定価四〇〇円

「絆」第七号 一九八一年発行 定価四〇〇円

「絆」第八号 一九八二年発行 定価四〇〇円

「絆」第九号 一九八四年発行 定価四〇〇円

「絆」第一〇号 一九八五年発行 定価五〇〇円

「絆」第一一号 一九八九年発行 定価五〇〇円


編集後記

*このところ美容と健康のため、近くの県立温水プールに週一回ほど行っています。精神障害者手帳を使うと一回三〇〇円のところが一〇〇円ですみます。(略)

*この手帳を申請する用紙に、家族の連絡先を書く欄があります。身体障害者にうかがうと身体障害者手帳の申請用紙には成人の場合は家族の連絡先欄はないそうです。明らかに「精神障害者」を子ども扱いした差別の欄だと思います。私は「家族はいない」と突っぱねてこの欄を空欄で出しました。健康保険を使い、三二条の外来公費負担制度を使い、障害年金を取っているので、私は「精神障害者」として行政に登録済みですが、個人情報はできるだけ行政に渡さない、登録させないということは重要だと思います。

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全国「精神病」者集団ニュース 2000年2月号

2000年2月発行のニュースです。一部のみの掲載となっております。

一般定期購読は有料(年6回発行1年分5000円)です。(病者である会員の購読は送料も含めて無料となっております。)

目録

ごあいさつ

  • 強制移送制度に関してなど

八王子福祉事務所の差別事件報告

  • 八王子市への抗議文
  • 一一月二四日の八王子市への抗議行動の報告

(略)

赤堀さんとともに

(略)

窓口から

  • 日本精神神経学会関係
    • ヒト受精卵の着床前診断に関する意見
    • 五月仙台での学会総会について

(略)

編集後記

  • 電気ショック
  • ホームページ

SSKO

全国「精神病」者集団
ニュース

2000,2 Vol.26 No.1

ごあいさつ

暖冬から一変、寒さが厳しい日が続きましたが、もう立春も過ぎました。まだ雪に閉じこめられている仲間もいるでしょうが、梅の花がほころんでいるところもあるのではないでしょうか? 今年初めてのニュースです。皆さまいかがお過ごしでしょうか? 魔の季節年末年始を無事やり過ごせたでしょうか?

4月には強制移送制度がスタートします。「家族の願いの結集?」という感じの制度ですが、新たな商売のチャンスとばかり警備会社がチラシ配布をしています。新潟の女性監禁事件に関連して、こうした移送制度が「地域精神医療」としてより広範に運用されていく可能性があります。「息子の暴力に苦しむ母親」、「保健所に相談しても相手にされなかった」などの報道がされています。家族会などを中心にこの事件から「手軽に頼める移送制度を」キャンペーンが始められるかもしれません。

移送制度の運用への監視活動が必要です。保護者の申請がなくても近隣者や役所関係者からの相談や連絡、依頼でこの移送制度の手続きは開始されます。「地域精神保健活動」が移送制度の出発点です。いま地域が強制医療の場に変化しようとしています。

(略)

今年もよろしくお願いいたします。

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八王子福祉事務所の差別事件報告

東京 YH、HS

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八王子市への抗議文

生活保護受給者にケースワーカーH氏が「遺書を書け」と暴言

私は生活保護受給中の精神障害者です。もう何週間も食事もとれず嘔吐を繰り返し、寝たり起きたりの毎日でした。以前はある病院で治療を受けていましたが、大量の薬を飲まされ副作用がひどく、薬の量について他の病院の何人かの医師に尋ねたところ、やはり不適当に多すぎるとのこと。それで病院を変えることにし、別の病院を受診しました(一一月一九日)。

その直後ケースワーカーH氏から電話があり、「勝手なことをするな。前の病院に行け」と罵倒されました。生保では同じ病気で複数の医療機関にかかれないと指導されていたため、止むなく初診は自費でかかり、よい病院であれば変更の手続きをするつもりでした。実は保護課のこの指導自体が間違っていたのです。

でもそう指導された以上、自費診療が高くとも命には代えられません。それを言うと、H氏から「自費で払えるなら生保を受ける権利はない」と脅されました。

特に精神病の治療は、医師との信頼関係や相性に大きく左右されます。残念ながら良心的な病院ばかりではない現状では、よい病院を選ぶことも患者の権利です。にもかかわらずH氏は、「前の病院の医師の意見を聞いて、どの病院に変わるかを決めるのは自分だ」と言い、こちらの意見を無視して前の病院にかかることを命じることもできると言い、どんな悪徳病院であっても「薬は医者の診立てで出したものだから、黙って従え」と言うのです。そして病気の私に、直接市役所まで来て傷病届を書いて事情を話し、H氏が許可しないと医療券は発行しないと言い張るのです。以上の問題点につき、保護課の責任において、生保受給者に医療機関を選ぶ権利があること、医療券の発行にあたっては医療機関に直接送ることを指導徹底した上、私に速やかに医療券を発行してください。

H氏は以前(一〇月一九日)私に対して「キチガイ」扱いする暴言を吐いたため、私たちは長谷川議員を通じて保護課長に申し入れしました。その時長谷川議員に対し、保護課長は「実情に配慮した対応と、担当者の意識の向上に努める」と答えたそうですが、職員全体にも、当事者であるH氏にも何の指導も注意もしなかったのです。その直後にこの事件が起こりました。これは私たちが抗議したことへのH氏からの報復です。保護課長の責任は重大であります。

病気のつらさから精神的に追いつめられていた私ですから、H氏の態度に激しく傷つき、思わず「市役所のHに殺されたと遺書を書いて死んでやる!」と叫びました。するとH氏は「ああどうぞ、遺書を書いてくださいよ」と言うではありませんか!

これは明らかに、精神障害者に対する重大な差別事件であり、障害者への抹殺攻撃に他なりません。障害者は死ねと言うのですか? 生保受給者が死ねば市の支出が減ってありがたいとでも言うのですか? H氏よ、謝罪してください。あなたはひとりの人間を死に追いやろうとしたのです。

そもそも、生活保護とは何でしょうか。言うまでもなく、憲法の定める基本的人権である生存権を具体的に保障するための制度です。「権利がほしかったら義務を果たせ」というのがH氏の口癖ですが、それは逆で、権利を保障するために手続きなどの「義務」があるのです。そして公務員は憲法を遵守する「義務」があるのです。

こうした人権無視の対応が、精神障害者の心の健康に致命的な影響をもたらすことは言うまでもなく、あまつさえ「死ね」という意味の暴言を吐くとは言語道

断であり、絶対に許すことはできません。以上、H氏と保護課に対し、そして八王子市当局に対し、強く抗議するものであります。

要求項目

一 今回の事件は精神障害者に対する差別事件であることを確認し、謝罪すること。

二 生活保護受給者には診療機関を選択する権利があることを確認すること。

三 医療券の発行にあたって、役所に来る必要はなく、直接医療機関に行けばよいことを確認すること。

四 H氏は本人に直接謝罪すること。

五 H氏に対し厳正な処分をすること。

六 日野市立病院にかかるための医療券の手続きをこの場ですること。

上記の件について、保護課長名で謝罪文を市報に掲載すること。ただし、私達のプライバシーは守ること。

一九九九年一一月二三日


一一月二四日の八王子市への抗議行動の報告

差別の上塗りをした市当局の開きなおりを絶対に許せません

本日、午前一〇時過ぎより抗議文及び要求書をもって、八王子市役所保護課へ抗議に行きました。市議会議員の長谷川氏に支援をお願いしてあったので、一緒に保護課の課長に会いましたが、長谷川氏は会議などで多忙と言うことで、一人で抗議することになりました。

場所は、保護課の裏手にあたる会議スペースで行いました。向こうはN課長、M係長、H氏の三人が出てきました。まず、保護課のN課長に用意してあった抗議文と要望書を手渡し、話し合いをはじめました。

N課長は冒頭から「とにかく誤解を解いて、仲良くやっていきましょう」というばかりで、抗議文に書かれている事実についてきちんと確認するという姿勢に欠けています。こちらとしては、まず、被害事実について確認した上で、加害者であるH氏をただすということが必要であると考えていましたが、課長は「そんなことを言うわけがない。私はHを信用している。」と言います。

そこで、フロアーにいるみなさんにもこうした抗議があると言うことを知っていただくことが必要と考え、抗議文を読み上げることにしました。みなさん、いっせいにこちらを向いて何事かと注目しています。

ひととおり読み上げた上で、ひとつひとつ事実を確認しようとしましたが、課長はとにかく「そういう事実はない。Hがそういっている以上、それはなかった。」の一点張りです。それに対して、こちらとしては、「つまり、精神障害者の訴えは信じられないが、ケースワーカー言うことは信用できると言うことですね。」とただしましたが、課長は「いや、そうはいっていない。」と言い逃れます。しかし、どう考えても、精神障害者の訴えになど貸す耳はないという態度がありありとしています。

そこで、そもそも前回議員を通じて抗議したときに、課長が言っていた「実情に配慮した対応と、担当者の意識の向上に努める」という点について、なんの指導もなされなかったためにこのような事態を招いたのではないかとただしました。

ところが、課長は「医療券に関する事務は適切に行われていたから指導の必要はなかった。」と言います。また、「キチガイ」呼ばわりしたという点については、「バカにするような発言があったという指摘を受けたが、私はHを信頼しているから、そういうことはなかったと思っている。」というのです。なんと言うことでしょうか、これではなにを抗議しても、まったく聞く耳を持っていないと言うことになるではありませんか。

ふたたび、「しかし、H氏が『遺書を書いてくださいよ。』といったのは事実であって、精神障害者に対する差別をむき出しにして、死ねといっているようなものだ。絶対に許せない。」とただしていきましたが、課長はとにかく「そんなこというわけがない。」というばかりです。くわえて、「ケースワーカーはきちんと研修を受けて資格を取ってやっているのだから、そんなことをいうわけがない。」と言うのです。

逆に言えば、公務員であって資格もあるH氏の言うことは「信用している」が、なんの後ろ盾もない精神障害者の言うことは「信用できない」と言っているのです。この点をただしていくと、「いや、そうはいっていない。大体、あなただって自分が電話した訳じゃなくても奥さんの言っていることを信用しているでしょう。それと同じように、私もHを信用している。」ととんでもないことを言い出しました。

これでは全く話になりませんが、こちらの挙げている要求項目について、私たちとしてはあくまでもこれらの点について求めることを主張しましたが、「精神障害者に対する差別などと言う事実がない以上、謝罪もしないし、処分もあり得ない。」と最後まで開き直りました。まったくもって、許せない気持でいっぱいです。

今回の、抗議をとおして、八王子市保護課は差別の上塗りをしました。差別を受け、苦しみ、抗議する精神障害者の主張をまったく聞き入れようとせず、ケースワーカーがそんなことをするわけがないと開き直ったのです。私たちは、このような生活保護行政の在り方そのものを絶対に許せないし、あくまでも謝罪とH氏への処分を求めていくものです。

一九九九年一一月二四日

(文責 HS)


赤堀さんとともに 二題

愛知 O

「変身」「城」「審判」などの作品で知られるフランツ・カフカは現代人の疎外について「すべての事象に空間があり、私はその空間まで到達し得ない」と述べる。この疎外感は「精神分裂病者」の特殊な孤独性と解することができる。あるいはパトグラフィ(病跡学)で、カフカを精神分裂病と「診断」する私はそう信じる。精神症状で解釈すれば「離人症」(現実感や実在感のない感覚)であるかもしれない。

いずれにしろ、この感覚が「離人症」であれば絶望的で苦しい。私にも「離人症」はあるが、赤堀さんは私以上にこの「離人感」(離人症でなく離人感)が強いと思われる。

獄中者と面会者であった時期の赤堀さんと私は「面会が獄中の通風口」であったが現在はそうではない。

赤堀さんが獄中から解き放たれたときにみなさんは「よかったねっ」と率直に言ってくれたが、介護者の私は赤堀さんの新たな介護方針で「社会復帰」のお手伝いをすることになって意外な面に苦慮している。

私は獄中の赤堀さんと至近距離にいたにもかかわらず、以外に実社会では距離がとりにくいし傍らに近づけない。朝リビングでうたた寝をする赤堀さんは、私が起きてくると「おはようございます」とご挨拶がすむとご自分の部屋に戻ってしまわれる。

元死刑囚の免田さんもホテル以外に宿泊できないと聞くが、これほどまでにご自分の世界で生きておられる。元獄中者との接点の多い私はこうした「人」を避ける感覚によく直面する。これを私は「監獄イズム」と理解する。長い病院生活を強いられると社会との接点をなくして「社会復帰がスムーズにいかないホスピタリズム」に陥るがそれと同様である。

では私が求められている赤堀さんの理解は何かである。

獄中三五年の赤堀さんの獄中からまず出発する理解である。これは意外に私の得意とするところで、この謎めいた「獄中の生活感」は意外と「精神病院の閉鎖性」に通じているからである。精神病院の保護室(隔離室といわれる独居房)と同様である。

では赤堀さんはどんな生活であったか? 周囲の者が接近できにくいのはなぜか?

赤堀さんは死刑確定囚の時代が長い。来る日も来る日も「いつ死刑執行か?」構える時間との闘いであった。看守は死刑執行の先兵でしかない。また監獄は一つの組織で「規律」の厳しさは軍隊そのものである。獄中者は看守の命令下にある。命令は絶対的であり、抵抗は懲罰で「担当抗弁」にあたり、即「独居房にぶち込まれる」ことになる。

当然看守への警戒心は強い。また「独居」は一人の生活で周囲の「空気」は動かない。赤堀さんには「死刑と看守に対する警戒感」が当然身に付く。監獄といわれる組織の監視は恒常的であるしスキが持てない。そして人を避けるのが習性化して孤立化する。

総じて言えば獄中は空気が動かないし、人は警戒の対象でしかありえなかったし、常に命令下におかれていた。

すざまじく警戒的な人との接点の持ち方であり、それが習慣化したのもうなずける。

こうした赤堀さんに私も「人」であるばかりか、部屋の空気を動かす人間ですらある。

私は赤堀さんに上からものを言ったことはない。命令も当然ない。しかし、獄中生活が習慣化した人間、赤堀さんには私も「警戒の対象である人間で無意識に避ける習慣」で対応されるが、これは容易に改善しないのが当然である。肌についている感覚である。

私は赤堀さんが一日でも楽に生きられるように配慮しつつ「合宿」するが、「監獄イズム」が改善するのはいつか? 習性化した人間観はいつ改善するか? 途方もない道を私たちは行く。

赤堀さんの監獄の後遺症は深い「疎外感」と人を恐れるものとなり、残酷にも無言でそれを私に訴える。警察、検察、裁判官など赤堀さんのフレームアップに関わった人間がその残酷さを知るべきである。三五年の長期拘禁者を人は理解できないであろうが……。

カフカの「すべての事象に空間があり、私はその空間まで到達しえない」は赤堀さんの「内なる告発」である。

現代人の疎外を語ることはできるが、私はあえて元獄中者の疎外感の深さと異質をここに記す。

一九九八年七月二八日


――ぼく死にたいよ――

ある日赤堀さんは「ぼく死にたいよ」ともらされた。私は吹っ飛ぶほどの驚きであった「赤堀さん! 世界中の人々が支援してくれたおかげで『解放』されたのよ。死んではいけないわ」と私はうろたえながら言葉をかけた。

その問題にとらわれていた私はしばらくして「赤堀さん! どうして死にたいのですか?」とたずねた。

「真犯人が見つからないよ」赤堀さんは絞り出すような声でそう告白した。

私は赤堀さんの至近距離にいるはずであったが、その距離は途方もないものだったとめまいすら感じていた。深い苦悩を私は知るすべもなかった。

何を言うべきか? どうカウンセリングすべきか? わたしはとまどいながら「私は赤堀さんのこと一点の曇りもなく信じていますよ。だけど真犯人は名乗り出てこないでしょうね」。「フレームアップされた那須さんは『真犯人』が名乗りをあげているけど、免田さんも谷口さんも、斉藤さんも犯人は出てきてないですよ」と他の元無実の死刑囚だった人々のことを引き合いに出した。それがいかに空疎なことか充分に分かっていながら……。

「島田の人たちはぼくが犯人だと思っているよ」赤堀さんの解放後に好奇のまなざしで見た島田の人々に心理的に追いつめられているのだ。

「赤堀さん! 島田事件の被害者の久子さんは殺していない赤堀さんを『犯人』に仕立てて魂が休まるかしら?」私はとんでもないことを赤堀さんに言っていた。 だから赤堀さんは「真犯人が名乗り出ること」を希望しているのだ。

不定愁訴が二人を襲い長い時間沈黙を強いた。

赤堀さんのいやしようのない傷口と流血を知った私はとめどもなく涙を流し続けた。

そして自らを鼓舞させながら私は口を開いた。

「赤堀さん! 私はあなたを一点の曇りもなく信じているわ。あなたは男でしょう。男のプライドね。誇りを持つことが大切ですね。あなたは戦争よりも激しい闘いをおやりになったでしょう。戦争は大勢でできるでしょうが、あなたはたった一人獄中で闘ったのでしょう。その誇りが今は一番大切なことなのではないですか?」。

私は一気にそう言った。

深く傷ついた心は癒やしようもないが、赤堀さんは静かに笑った。

「赤堀さん! 誰が何と言おうと自分の好きなことをやって下さいね。いつも獄中から『明るく、楽しく過ごして下さい』とおっしゃって下さいましたね。私は今赤堀さんにそう伝えたいわ」。

取り返しのつかないフレームアップは痛々しさのみではない。「人間の原罪」、そして「権力犯罪」のどす黒さを私はしっかりと再確認させられていた。

一九九八年一〇月二三日


窓口から


☆日本精神神経学会関係

#ヒト受精卵の着床前診断に関する意見

昨年全国「精神病」者集団が提起した、受精卵の着床前遺伝子診断の件で「ヒト受精卵の着床前診断に関する意見」が日本精神神経学会・研究と人権問題委員会から出されました。「障害者を『生まれてくるべきでなかった』存在という偏見を助長することになる」などの理由で、「現時点では、ヒト受精卵の着床前診断を臨床応用するには、社会がこれを受け入れる準備がまだできておらず、なお慎重かつ広範な議論を要するものと考えられる」としています。

(略)

七月に沖縄でサミットが開かれますが、こうした大きな国際会議や皇室行事あるいは皇室の移動に伴い、今まで「精神障害者」に対する弾圧が続いています。警察による尾行や張り込みあるいは強制入院などが懸念されます。今まで全国「精神病」者集団では日本精神神経学会に対して、こうした「精神障害者」弾圧をしないように都道府県知事や県警本部に申し入れるよう要請してきました。今年は三月教育サミット(東京)、四月環境サミット(大津)、七月には蔵相会議(福岡)、外相会議(宮崎)、沖縄サミットと続きます。全国「精神病」者集団として日本精神神経学会にこの一連のサミットについて「精神障害者」弾圧をしないよう申し入れするよう要請しました。


#五月仙台での学会総会について

五月一〇日(水)、一一日(木)、一二日(金)の三日間、仙台国際センターにおいて日本精神神経学会総会が開かれます。

日本精神神経学会は日本最古最大の精神医学関係の学会で、それなりの影響力を持った学会です。全国「精神病」者集団は結成以来、この学会に対し問題提起、監視のために総会に出席してきました。学会は市民患者に開かれた学会、保安処分反対を掲げてきましたが、この間保安処分反対の主張が揺らいでいるようでもあります。こうした基本的な姿勢を守らせていくためにも全国「精神病」者集団は学会闘争を継続したいと考えております。

仙台の地の仲間、そしてその他の地方の方でも全国「精神病」者集団の学会闘争に参加したい方は詳しい日程プログラム等をお送りいたしますのでご連絡下さい。また読者の「精神病」者で、全国「精神病」者集団に対し学会で主張してほしいことがある方は私書箱までお手紙あるいはメールでお知らせ下さい。


編集後記

(略)

@最近電気ショックをすすめられているが、どうだろうか、という相談をよく受けます。たいてい医師は家族に同意をせまっており、本人の同意などはなから無視しています。五月学会では同時に今回初めて有料の「精神医学研修コース」が開かれます。その中の一つに「老年期の難治性うつ病に対するmodified ECT(修正電気ショック)」というテーマがあります。高齢者に対する電気ショックを禁じたイタリアの条例、修正電気ショックもかつての電気ショック同様危険であるという主張もたくさんされています。電気ショックの宣伝がこうした形で行われ、広まっていくこと恐ろしいことだと思います。そもそも学会では一度も電気ショックについて、その是非が討論されたことはないそうです。電気ショック被害者の声を無視したこうした状況に対し何らかの動きが必要だと思います。

(略)

@ニュース表紙にありますように、全国「精神病」者集団の会員が私設ホームページを開いています。ニュースの一部も読めます。英文ページもあります。インターネットを使っている方(あまりいらっしゃらないとは思いますが)は一度のぞいてみて下さい。なお窓口係へのメールアドレスも表紙に書きました。資料請求、住所変更、質問、ニュースへのご投稿など、インターネットを使っている方はこちらもご利用下さいませ。


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