ごあいさつ
雪害に苦しんでいる仲間もおられるのではないでしょうか。皆様いかがお過ごしでしょう。東京は梅もほころび春を迎えたという頃ですが、この時期特有の体調不調に苦しむ仲間も多いようです。皆様ご無事でと祈ります。
さて運営委員会という方たちのニュースご覧になって驚いた方も多かろうと思いますが、全く新たな組織立ち上げを彼らが行ったというのが妥当な見方かもしれません。
「志向すべきは、他者の考えを認めながら、ならび合い、絡み合いながら結び合う連合です。すなわち、他者との異同をたしかめることによって自立しながら、逆に異質なものを含みこむ関係こそが各運動体に要請されます。したがって、その連合、共闘とは、最大公約数でしぼって、すべての成員に戦術ダウンを強いるような統一行動ではなく、それぞれがその立場において自由にとりくむ行動が総合されるような共闘でなければなりません。」(吉田おさみ 『精神障害者の解放と連帯』より。
全国「精神病」者集団は組織というより連合体。
全国「精神病」者集団の歴史をたどるために
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鈴木國男君へのレクイエム(鎮魂歌)
鈴木國男君、いや、デカパン、覚えているかしら。
私達二人は上京し、「関東赤堀さんとともに闘う会」の結成集会に参加、二人でその決議文を書いた事を…。 久しぶりの上京で疲れ果てた私に「姉さん疲れただろう。休もうか」と声をかけてくれた貴方の優しさを私は忘れない。忘れるものですか。 いまも、東京駅構内で静かに「国鉄の歴史」を示す、あの「機関車」の傍(はた)のその出来事を…。 あの日の貴方の優しさと、熱い同志の血を私はいまも偲びます。
貴方は、「赤堀さんとともに生きる」と誓ったじゃない。
私達は、赤堀さんの闘いに連座し、殉死する覚悟をしたじゃない。
その貴方を大阪拘置所が虐殺しました。赤堀政夫さんのフレームアップを糾し、その権力犯罪への復讐半ばで死ぬなんて、いまも残念でなりません。 それに、殉死を誓った私への裏切りじゃないの?
いとしき裏切り者よ。
いとしきデカパンよ。
いとしき殉教者よ。
デカパン、いま、こうして目の前に解放された赤堀さんがいます。
デカパン、貴方の思いは実を結んだわ。
デカパン、拘置所は貴方に地獄の釜を用意し、あなたをなぶり殺しにしました。支援者も、弁護士も、貴方の深刻な状況を知らずに…。全て自覚欠如でした。
貴方の変わり果てた姿を私に突きつけたのは、忘れもしない1976年2月16日。
病気の貴方を「保護房」に叩き込み、厳寒2月に、「房内の換気口」を廻し、冷たい風を誘い込み、体温低下を促す「コントミン50ミリ」を投与し、貴方を殺したのは精神科医師でした。
貴方がじわじわと体温低下させているのを放置したのは、医師の差別性と犯罪行為でした。赤堀さんもそうした差別と司法犯罪の犠牲ですね。
検察、警察の調書を鵜呑みにして、赤堀さんを「精薄」・「うそつき」と描いて、「死刑囚」へと叩き込んだのも精神科医師の仕業でした。
デカパン、貴方が「俺の事が20分の診察で解ってたまるか」と桐喝した相手も精神科医師でした。
精神病者の烙印は「言葉すら無効化」させます。それが排外と差別の根っこですね。
デカパン、あなたと赤堀さんを結んだものは、差別的医師達の犠牲者同士の連帯でした。権力犯罪を打つ熱い連帯でした。
デカパン、貴方は働きながら金をため、金をためては活動し、活動しながら書き続け、「精神障害者解放」の夢を綴ったわ。
そんな中で、貴方は身を依せる「釜日労」からも差別的に追放され、理解は得られなかった。
悔しかったでしょ。私はもう一人の精神病者も排除させない。
貴方の屍は病院の安置室に置かれ、葬儀もないまま一人旅立ちました。
貴方は茶毘に伏されても、私に問いかけ続けていたわ。
「姉さん、獄中精神病者の仲間を大切にしてやあ」と…。
貴方の無機質化した白骨は、私にそう繰り返し、繰り返し問いかけ続けていました。
デカパン、その呼びかけで覚醒した私は、いまもその約束を守り続けています。
私はひたむきに「精神障害者」の刑事事件救援の担当者を継続しています。
貴方との約束ですもの。
そして、「民衆よ。『犯罪者を裁くな』。『監獄で病み苦しむ精神障害者を裁くな』、決して裁くな」と…。いまも貴方と連帯しながら、私は生きています。
デカパン、貴方の想いは赤堀さんへと引き継がれ、赤堀さんはいまも死刑囚時代の仲間を熱く語り、袴田事件・名張事件・死刑廃止へ闘いを継続しています。貴方の想いと情熱は赤堀さんの想いと重なり連綿と続いています。
貴方をなくしてから29年目、また、暑い夏がやってきました。事あるごとに純粋だった貴方を思い出します。
精神病者集団第一回集会で、貴方は「キチガイよ。刃物を取ってやり返せ」と叫んだその一声はいまも心に響きます。その勇姿は鮮やかに私によみがえります。
デカパン、貴方の「精神障害」解放の意思は仲間に引き継がれ、烈しくもえ続けています。私はもう一度貴方に会いたい。心から会いたい。
決して瞑目せず、私達をいつまでも見つづけてください。
合掌
2005年8月15日大野萌子
(編注 鈴木國男氏は1976年2月16日 大阪拘置所で虐殺された。ご母堂の手による国賠訴訟に勝利)
共同声明 私たちは今こそ反保安処分思想を掲げて闘い続ける
全国「精神病」者集団相談役 大野萌子
全国「精神病」者集団事務局員 山本真理
1. 私たち「精神病」者は何者か?
私たち「精神病」者とは何者であろうか? 私たちは家庭で、職場で学園で、すべての自己表現を封じられ、全存在を否定され発病にいたった。「狂う」ことだけが私たちに許された最後の自己表現であった。発病は私たちからすべてを奪った。金、職場、教育、家族、友人すべてを奪った。そして精神医療はそうした私たちに対して何をしてきただろうか? 医療従事者は再び私たちの自己表現を弾圧した。私たちの感情、感覚、思想、人格のすべてを「症状」として相対化し、全人格を否定した。精神科医は検事であり、裁判官であった。
精神医療の現場において私たちは「こういう人間だ」と決めつけられ、一切の反論を許されなかった。精神医療は私たちをいやすものではなく私たちへの弾圧でしかなかった。私たちをいやしてくれたものは入院中の「精神病」者仲間だった。「精神病」者仲間の存在こそが私たちをいやしそして勇気づけ生き延びさせてきたのだ。
この現実は今はなき鈴木国男氏の「キチガイよ刃物をもってやり返せ!(=私たちを抑圧する者たちに向けて抵抗を示せ) 男でもいい女でもいい兄弟といえる仲間がほしい」という言葉に凝縮されている。
私たちはこの言葉を反芻することによってまた自分自身の体験から、「精神病」者仲間の存在、息づかいを感じられることこそ「精神病」者を生き延びさせる唯一の途であると確信している。それゆえ私たちは集まって「集団」を形成したのではなかったのか? 全国「精神病」者集団の存在理由の第一義はここにある。ここにおいてそれぞれの「精神病」者の思想あるいは体験、病名などどうでもいいことである。私たちは山本であり、大野であり、それ以上でも以下でもない。私たちは「精神病」者一般という抽象的存在ではない。「精神病」者が「精神病」者であることだけをもって、そしてそれぞれがかけがえのない個人であることにおいて、私たちは仲間にむかいいれられ、そして仲間をむかいいれてきた。
私たちはすべての場から排除されてきた仲間を受け入れる姿勢こそが重要であると考える。精神医療の中でそして差別によって、「こういう人間だ」と決めつけられてきた仲間に対して、私たちは精神科医のように再び三度決めつけをしてはならない。私たちはあるがままの「精神病」者個人をそのまま受け入れるべきである。
それゆえ私たちは長年全国「精神病」者集団の窓口係として、毎日さまざまな各地の「精神病」者からの便り、とりわけ地域で孤立している「精神病」者の便りに対して、手紙を書き続けてきた。それはいわば「生きているかい、ここにも一人生きているよ」という存在の再確認作業であった。
こうした日常的な闘いの中で、そして私たちの体験を振り返るとき、私たちは「反全精連(全国精神障害者団体連合会)」という言葉にまず生理的な拒否反応を示さざるを得ない。そこにある全否定の響きは私たちに精神科医の弾圧を想起させる。一人一人の「精神病」者個人の息づかい、たたずまい、そして日々の暮らしのありよう、そういったものを一切無視して、総体として「反」と否定する言葉、これは一体いかなる立場からはっせられる言葉だろうか? そこにはある団体に属しているという事をもって個々人の「精神病」者を決めつける態度しか感じられない。まさに精神医療がそして健常者社会が私たちに対してやってきたことではないか。
しかし私たちは「反全精連」を言っている「精神病」者に対しても共感することができる。彼らの「精神病」者としての体験苦悩、孤立、そして怒りに対して私たちは共感することができる。そしてその共感に基づいて共闘は可能である。もちろん全精連に属している「精神病」者個々人に対しても同様である。どんな組織に属していようが「精神病」者はあくまで「精神病」者である。全国「精神病」者集団は「反全精連」の仲間も「全精連」の仲間も糾合してこそ全国「精神病」者集団である。
ただし具体的なテーマをめぐる方針、戦術、戦略については徹底的に議論することはやぶさかではないが……。
2. 私たちの原則とは? 分断を乗り越えるために
さて全精連結成以来、全精連をめぐる議論が全国「精神病」者集団内外において繰り広げられてきた。それは「反全精連」を言うか言わないかの議論に絞られてきている。私たちはここに疑問がある。私たちはまず「精神病」者運動の原則とは何かを明確にし、そのうえでいま精神医療全体がそして福祉その他私たち「精神病」者をめぐる状況がいかなる方向に向いているのか? そしてその方向性に対して、私たちはいかに闘うべきか? の二つを明確にしなければならないと考える。
再度繰り返す、私たちは発病と共に何もかも失い、あらゆるところから排除されてきた。孤立の中で何年間も人と口をきかずに過ごしてきた。一切の自己表現を弾圧されまた自らも禁じて生きてきた。私たちの闘いの原則はこの現実を出発点とすべきである。この出発点から生み出された原則が、「一人の仲間も切り捨てない」そして「もっとも苦しい立場に置かれている仲間と共に」である。私たち事務局を担う者は、一人一人の「精神病」者の具体的な訴えに基づき方針を決めていかなければならない。全国「精神病」者集団はすべての「精神病」者仲間において最後の拠り所とならなければならない。
それゆえにこそ孤立した仲間で違法行為を行った仲間の救援を私たちは担ってきた(残念ながら人的経済的ゆとりのなさから違法行為を行ったすべての仲間を救援することはできていない)。保安処分および保安処分思想とは、家庭、職場、学園、病院で「精神障害者」と共に生きることを拒否する考え方である。そうであるならばそれに対峙する「反保安処分思想」とは、保安処分の対象者とされる仲間と「共に生きられるか否か?」を問い続けることである。そして私たち自身が「保安処分していないか?」を自ら問い続けることである。それゆえにこそ私たちは医師に「厄介者」とされた仲間の密告を許したこと(道下研究班アンケートを許したこと)を厳しく自己批判する。私たちの「処遇困難者専門病棟」新設阻止闘争はこの自己批判から出発した。
「一人の仲間も切り捨てない」という原則に立つとき、「反全精連」という全否定を私たちは言うことはできない。「反保安処分思想」が私たちにそうした発言を許さない。
「自助努力」「地方分権」「国民負担の軽減」の名の下に、今国家は医療福祉の責任を放棄しようとしている。治安と国防以外は国家は責任を持たないという自由主義的夜警国家の時代がやってきた。精神医療の分野だけ見ても今回の精神保健法改悪(=精神保健及び精神障害者福祉に関する法律<以下精福法とする>制定)において措置入院と通院医療費の公費負担分について、保険からの支払いを優先とした。これにより国は約70億円を浮かしたが、それが全額私たち「精神病」者の利益のために使われたわけではなく、その約半分が使途不明となってしまっている。また精神障害者福祉と銘打っているこの法による「福祉」らしきものは手帳制度と「社会復帰施設」だけで、私たち「精神病」者自身の懐に入る金の保障、すなわち所得保障は見られない。
厚生省のいう「社会復帰」とは「精神病」者を分断選別した上で、「働ける者を徹底して安く働かせて自助努力させよう」というものでしかない。また手帳制度は強制収容法である精福法の前提の下では地域監視網の中での「精神病」者登録制度に他ならない。保健所で発行するところを見ると「犬の鑑札」と同様ではないか。
厚生省は長期入院者に対しては安上がり収容をめざし、療養病棟、精神保健施設、精神病院敷地内の社会復帰施設に選別収容していこうとしている。「地域精神保健」という美名の下で地域もが精神病院準開放病棟化されようとしている。訪問看護、デイケア、デイ・ナイト・ケア、等によって私たち「精神病」者は精神医療に縛り付けられていく。そして生活保護者に対して関係者の連絡協議会設置が通達されているように地域監視網強化が図られている。地域においても作業所や福祉工場に行ける者、そしてデイケアの者というように、私たち「精神病」者は分断選別されていこうとしている。そして「障害者プラン」においても私たち「精神病」者はその他の障害者と分断され、「精神保健福祉課(仮称)」の下におかれ続けることになっている。
天皇行事の度に強制入院となるブラックリストに載った「精神病」者仲間が存在する。また一方では強制退院や、医療機関による入院拒否や医療拒否が今私たちに襲いかかってきている。医療機関で密かに回されているブラックリストに載った患者はどこも引き受けないという状況が現実にある。こうした医療拒否によってのたれ死にする「精神病」者のいかに多いことか? 毎年何人の「精神病」者仲間が山谷や寿、釜が崎という寄せ場で、行政の医療保障拒否や医療機関の医療拒否によってのたれ死にしていることだろう。ここにも「精神病」者の分断選別がある。 私たちが生き延びる途は沈黙と無抵抗だけなのか?
この「精神病」者分断と選別の時代において、私たちはいかに闘うべきであろうか? 厚生省は「精神病」者を分断した上で、行政や精神科医に迎合する「精神病」者を取り込み彼らの意見を聞いたふりをすることによって、「当事者の声を聞いた」というアリバイ作りをしようとしている。昨年の「手帳説明会」がその茶番の最たるものである。全精連を御用団体として利用しようとする厚生省の意図は明確といえる。
しかしだからこそ私たちは「反全精連」ではなく、全精連に対しても「共に」を呼び掛け続けるべきであると考える。「精神病」者同士の対立は権力を喜ばせるだけである。分断に対しては連帯を対峙させていきたい。
3. 私たちはいかに闘うのか?
それでは私たちは何を訴え闘っていくのか?
私たちは「反保安処分」の旗を掲げて闘っていく。そのための具体的方針の機軸を以下に述べる。
まず第一に違法行為を行った「精神病」者の救援の実践が要求される。
逮捕そして公判での防御権の保障、医療保障というだけでなく、措置入院された後、そして下獄後の彼らの人権状況についても私たちは監視していかなければならない。刑務所内での医療は医療の名に値しないかあるいは全く無医療のまま放置されるのが常態である。本人の望む医療そして本人の利益になる医療は存在しない。この国では受刑者が精神症状のあまり大声を出したりすれば即懲罰(刑務所内の特別な独居房に入れるなど)が待っている。医療ではなく懲罰である。もちろん自殺行為は脱獄と同様にとらえられ、懲罰の対象となり、医療は優先されない。
95年1月に暴露されたように城野医療刑務所(「精神障害者」が主に収容される医療刑務所、このほかに八王子医療刑務所、岡崎医療刑務所がある)において「精神障害者」の受刑者が看守による暴行の上殺された。93年3月には川中鉄夫さんがそして、95年5月には藤岡英次さんが「精神障害者」であるにも関わらず処刑された。この経過では精神科医が故意に報告をしなかったかあるいは処刑に至るいずれかの段階で「精神障害者」であることが無視されたとしか考えられない。川中さんは半年に1回の医師の診察を受けるだけで漫然と薬を投与されるままで放置されていた。また昨年12月に福岡で処刑された平田直人さんに関しても「覚醒剤の後遺症に苦しんでいた(精神症状か身体症状かは不明)」という報告がある。この国は国内法(刑事訴訟法)そして国連決議(死刑に直面している者の権利の保護の保障の履行に関する国連決議(1989))に違反してまでも「厄介者」として「精神障害者」を処刑する国なのだ。私たちはこれ以上「精神障害者」のなぶり殺しを許してはならない。
現在東京拘置所に在監中の桜庭章司さんの場合を見てみよう。1979年9月逮捕以来彼は足かけ17年間獄中生活を送っている。精神外科後遺症や結核にもかかわらず保釈どころか、一時期を除いて病舎に移されることもなかった。そのうえ彼は独房内で勝手に立ち上がった、あるいは勝手に汗をふいたといったささいなことや、自殺未遂を理由に何度も懲罰を受けている。食事も用便中も皮手錠をさせられ、保護房(懲罰のための独居房)に放り込まれる、といった懲罰である。こうした残虐な獄中処遇の中で彼の精神外科後遺症は進行し、「文字書き不能(書字中枢障害)」という状態に追い込まれている。獄中での外部通信は手紙のみであり、「文字書き不能」は外部通信権の行使を不可能にする。とりわけ訴状書きを武器とする刑事被告人にとって「文字書き不能化」は防御権を著しく圧迫する人権問題でもある。このため桜庭さんはワープロ使用を幾度も拘置所側に要請しているが、いまだに認められていない。
桜庭さんは公判の中で「精神外科手術を受けて外で暮らせる人は、暖かい家庭があるか、金があるかの人だけである。自分にはどちらもないから死刑にしてほしい」と訴えている。この悲痛な叫びに答えるには、私たちが彼と「共に生きる」ことを提示していかなければならない。これはすべての違法行為者に対して言えることである。これこそ「反保安処分思想」の実践である。
第二に精福法の撤廃である。精福法は強制収容をその根幹としており、精神医療従事者に刑法の逮捕監禁罪を免責させる法律である。精福法の本質は、「危険な者」「自分のことを自分で決められない者」という差別的な「精神障害者」観に基づき、予防拘禁し強制医療を施すというものである。精福法体制こそ今ある保安処分体制である。今回この強制収容法に名ばかりの「精神障害者福祉」が付け加えられたが、その本質は一切変わりがない。精神科医に患者の生殺与奪の権限を与えているのが精福法である。この法の下では自由な契約に基づく医療的な医師患者の信頼関係は原理的に成立し得ない。さらに精福法には緻密な通報網が規定されており、私たちは地域においても監視され強制入院の恐怖におびえ続ける。
精神医療を医療の名にふさわしいものとするためには精福法の撤廃しかない。
第三に「共に生きる社会」の構築である。
1989年1月31日に無罪判決を勝ち取り釈放された、元無実の死刑囚赤堀政夫さんの例を見よう。1954年に起きた島田事件(幼女誘拐殺人事件)において警察は「精神障害者が犯人に違いない」という予断に基づき、精神病院入院歴があり「精神障害者」とレッテルを貼られていた赤堀政夫さんをデッチアゲ逮捕し、拷問強制自白によって「犯人」に仕立て上げた。精神科医は赤堀政夫さんの「やっていない」という必死の訴えすら無視し、警察検察の調書を前提として「犯人赤堀政夫像」を鑑定書にでっち上げた。市民もまたウソの証言によりこのデッチアゲに協力したのである。そして司法はこれらの差別をすべて鵜呑みにし、「社会に適応できない」として赤堀さんに死刑判決を下した。
赤堀さんは逮捕当時放浪生活を送っていた。それゆえにはっきりとしたアリバイがなかったことが彼をこの事件のいけにえとしたのである。
「精神障害者」というレッテルゆえに、職もなく、友人もなく、地域から排除されて放浪生活をせざるを得なかったのだ。
赤堀さんのデッチアゲの過程はまさに私たち「精神病」者総体への差別と排外の全構造をあらわにする。「精神病」者との共生の対極として、究極の排外排除として赤堀さんに死刑判決が下されたのである。
その後も同様の事件は後を絶たない。青山正さんの事件(1979年千葉県野田市でおきた少女殺害事件ででっちあげ逮捕された方。上告段階で唯一の物証の警察によるすり替えが判明したが93年上告棄却懲役12年確定。精神鑑定が「動機」を説明したことが判決に影響)そして金川一さん(福岡拘置所に在監中の確定死刑囚、1979年殺人事件で逮捕、凶器も見つからず、前科があるということと、精神鑑定による「悪人金川一像」が大きく判決に影響。一審終結直前に無罪を主張以降一貫してえん罪を主張、城野医療刑務所体験者)の事件を見ても、地域からの排外が彼らのデッチアゲを許したという点は共通している。
こうした「精神病」者への地域からは排外をそのままにして、精福法を撤廃するならば「精神病」者はのたれ死にを強いられるだけとなる。
昨年夏の名古屋での「手帳説明会」において精神外科の被害者である入院患者が「私は何も悪いことをしていないのに四〇年余り入院している。なぜ私は退院できないのですか?」と厚生省を追求した。彼女の追求に私たちも答えなければならない。
先に述べたように長期入院者に対しては「社会復帰施設」や「養護老人ホーム」への収容が厚生省によって医療費削減のために進められようとしている。精神病院資本も「社会復帰施設」や「養護老人ホーム」を経営し、また病棟を「慢性期病棟」やら「保養棟」と機能分化し、少ない有資格看護人医師で長期入院の収容をめざしている。これ以上長期入院患者を病院資本の食い物にさせてはならない。
長期入院患者が一人の人間として当たり前の社会生活を送れることを保障するものでなければ「退院」とはいえない。地域にある「社会復帰施設」ですら「精神病」者への差別と排外のある限りそして精福法のある限り、「監視人つき住宅」になりかねない。
今必要なことはまず第一に経済的保障である。長期入院患者に対しては国が六〇年代の精神病院病床増加政策の誤りを自己批判し、刑事補償金並の退院準備金制度を作ることが最低限の国の責務である。また障害年金や生活保護の障害加算の増額などが求められている。
しかし経済的保障だけでは「精神病」者は地域で生きていけない。
「精神病」者のすみか、仲間の集える場所、苦しいときに安心してかけ込める1日24時間1年365日開いている場所、介護人の教育と派遣等を私たち自身が確保していかなければならない。私たち自身がこれらを創設し運営していく中で初めて長期入院患者の問題を解決し、そして精神科救急という名の新たな「処遇困難者専門病棟」攻撃をはねかえしていくことができるのである。具体的な地域での取り組みが今求められている。
こうした実践の積み重ねの中で、強制入院制度を不要とする社会が作り出される。そして一方で「精神病」者への差別排外を許さない社会、たとえば友人や家族、職場の仲間が発病したとき、その「精神病」者を
誰もが排外せず、入院したら定期的に面会に行くようになれば精神病院と社会は地続きとなる。監視の眼の中で精神病院はもはや治外法権の場ではなくなる。こうした精福法が不要となる社会を作り出し、精福法を撤廃していかなければならない。
また私たちが地域で生きていくためにはその障害となる法制度がたくさんある。運転免許を持てないなどの数百ののぼる欠格条項、人権を制限する法律が存在する。それゆえ私たち「精神病」者にはつけない職業がたくさんあり発病と共に解雇されたり、離婚されたりする。また優生保護法によれは、「精神障害者」に対しては本人の同意なしに中絶手術や優生手術(不妊手術)ができることになっている。
私たちは「精神病」者というレッテルを貼られれば、即これらの不利益な法の対象となる。
社会的保安処分体制がこれらの法制度によって形成されている。国が「精神障害者」の「社会復帰」を言うならばこの差別欠格条項こそただちに撤廃すべきである。これらの差別欠格条項の撤廃に向け我々は闘わなければならない。
1984年岐阜のある病院に入院中のAさんは妊娠中であることが判明した。岐阜大学の医師は脳の研究のためこの胎児の脳を入手しようとし、彼女を岐阜大学付属病院へ移し、本人の同意なしに中絶手術を行った。
そして胎児の脳を摘出し向精神薬の分布状況を知るため解剖したのだ。
この精神科医は自分の研究のために優生保護法を活用したのだ。
医療の原則はいやすことそして生き延びさせることにある。「精神病」者のレッテルを貼られることでここまでの弾圧があるということは、医師が「精神病」者の生き延びる途を閉ざすことに加担し、医師としての任務を放棄していることになる。私たちはこの医師の任務放棄を許さない。精神科医は私たちと共に、これらの差別欠格条項の撤廃に向け共闘する責務があることを訴える。
私たちは「反保安処分」の旗を高く掲げ、「共に生きる社会」に向け今後も闘い続けることをここに宣言する。強いられてきた無抵抗と沈黙を打ち破り、精神医療の改革に向け闘い、権力そして健常者社会に対して共に反撃しようではないか。多くの「精神病」者仲間が、思想信条の違い、体験の違い、考え方の違いを乗り越え、私たちと共に「反保安処分」の旗の下に結集されることを訴える。
1996年4月
(編注 肩書は当時 1996年は優生保護法廃止の年、廃止前に書かれた声明)
編集後記
☆ 診療報酬の見直しでは精神保健福祉法改悪と無関係に、4月1日から以下上積みの加算が、措置体験者だけではないものね、地域での支援重視、と言いたいんでしょうが、退院後支援計画とやらで、ひたすら個人情報が共有されていくだけということ、しかもそれに協力するように報酬上でアメ
1 通院精神療法
イ 自治体が作成する退院後支援計画において支援を受ける期間
にある措置入院後の患者に対し、当該計画において療養を提供することとされている医療機関の精神科医が行った場合 〇点
☆ 障害者総合支援法の報酬の見直しについても、支援程度区分ごとの分類収容、専門職がいると加算、さらになんと刑務所からきた人、心神喪失者等医療観察法対象者に対して加算がつけられることになっています。今すでにいわゆる「触法障害者」専用グループホームなんてものまであって、様々なスキャンダルが起きていますが、その方向が進むのではないでしょうか。さらに精神病院が地域をコントロールする方向が垣間見えます。
☆ 各精神病院は将来、以下図面のような高層で、地域支配および、「重度かつ慢性」とされた方の囲い込み、終末施設としての役割を果たしていこうとしていると考えられます。そのための患者狩りとしての措置入院の増加と確保なんでしょうか。医師が差別的特例でもともかく強制入院させるという恐るべき体制。
☆ さらに成年後見人制度利用促進で行政は後見人に丸投げ、一切責任取らずに医療保護入院として漫然と入院させ続けるということなるのでは。
☆ 法人が後見人となり、無報酬の市民後見人を動員して、地域から精神障害者、高齢者を排除し、精神病院に追い込む、あるいはグループホームに囲い込む体制が今後強化されていくことでしょう。いつまでも隔離収容、分離の体制は続き、事業所の利用者、制度施策の対象者として生きることを余儀なくされるのか。精神障害者は二流市民として精神障害者向け人権しか保障されない体制をなんとか打ち破らないと。