2003年4月発行の「ニュース」抜粋です。 一般定期購読は有料(年6回程発行1年分5000円)です。(病者である会員の購読は送料も含めて無料となっております。)
全国「精神病」者集団
ニュース
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(略)
精神病院粉砕
愛知 N
電気ショックの歴史は懲罰としての歴史でした。やはり今、電気ショックを施した医師に当事者自身が謝れ!という必要があるでしょう。
まったくそのとおりですね。
精神病棟の閉鎖病棟で拘禁されてる状態では,中にいる者には,ロボトミーも電気ショックももっと怖れられるものでした。病者ばかりが,閉じ込められてる状態で,
それだけでも,わたしには,とても恐ろしい所でした。そのうえに,ロボトミー施行とか電気ショック施行の恐怖と言ったら,言葉では言い表せません。
中井久夫は,患者の回復に最も必要なのは,心身の安全保障感だと,説いていますが,精神病院の中の実態は,正にその対極にある長期にわたる医療による脅かしそのものでは無いでしょうか?,これは、形が代わっても(ロボトミーが行われなくなっても),電気ショックによる,恐怖は,医療とは,まったく言えず,入院患者の暴力による患者支配そのものです!恐怖の有り様は,北朝鮮の社会と変わりはないのです。
中井久夫の指摘する,回復の為の条件と,この事が,一体どこで合致するのでしょうか!、だから僕は,精神病院を解体せよと叫びたいのです・・・が。
2003年3月16日
「福岡県弁護士会 精神保健当番弁護士制度発足10週年記念シンポジウム」にて
福岡 エム
まず最初に、このような場に席を設けていただき、精神病に関する問題を皆様と一緒に考える機会をお与えいただきましたことに感謝申し上げます。また、日頃の皆様方のひとかたならぬご努力に敬意を表したいと思います。
私は、27年前と18年前に入院した経験があります。入院期間は通算10ヶ月くらいで、薬を飲んだのもそんなに長くはなくて、今現在は医療とは全く関わり無く暮らしています。そして、精神障害者も暮らしやすい街をめざすという目的で市民活動を続けて8年目になります。20年も前の事になぜこんなにこだわるかというと、その時の経験が私にとってはとてもショックな出来事だったからです。
たいした診察もなく何の説明もないままに保護室と言われる独房に閉じ込められました。それはとても恐ろしい経験でした。心に大きな傷を受けました。精神病院で受けた心の傷をいったいどこで癒せばいいのでしょうか。
世間では、あるいは「精神病者にも人格というものがあるのかね」というようなことを思っておられる方もいらっしゃるのではないかと思います。精神病と言われる人々は、社会の中で息をひそめて生きざるを得ないような偏見がつきまとい、自由に病者であることを主張できない状況が作られているので、精神病であるとはどういうことなのかが、一般の人々にはほとんど理解されていないように思います。だから刑務所のように拘禁性の強い閉鎖病棟に、罪を犯した人よりはるかに多くの精神病と言われる方々が収容されていることに、ほとんどの人が無関心なのだろうと思います。
そこは一般社会からはあまりにも隔絶された空間です。まさに社会の中の秘境とでもいうべきところで、そのような状況では無関心であらざるを得ないのかもしれません。
20年~30年あるいはそれ以上にわたる入院。しかもそれは、ほとんどが、自分の意思を持つことがゆるされない閉鎖病棟。
その中の人がもし罪を犯した人であって、刑務所の中のような過酷な生活を強いられたとしても、その人は入院していたから罪をつぐなったとは決してみなされません。
その人にとってどれほどその人の人生を侵される事実であったとしても、それはその人の為であると言われ続け、苦しみを苦しみとして認めてもらうことは出来ないというシステムのように思えます、そういう状況に陥った場合、どこに望みをみつける事が出来るでしょうか。果たした社会というものを信じることが出来るでしょうか。
精神病というのは、脳の機質的な欠陥であるとか、訳のわからないものとかと一般には思われているようですが、自分の経験や他の経験者の話しを聞くと、やはりそこには何らかの外的な理由というものもあるように思えます。
病気になりやすい状況と、それを回避できる状況というのはある程度あるように思います。そしてまた、犯罪に走りやすい状況と、それを回避出来る状況というのもあるように思います。
人は、社会の中で誰にも受け入れられなくて、人との信頼関係も自分との信頼関係も築く事が出来ない状況にある時、より犯罪に走りやすいのではないのでしょうか。逆に、社会の中にしっかり根を張ることができて、ゆるぎない自分というものを持つことができれば、あるいは犯罪から遠ざかることが出来るのではないかと思うのです。
精神病者であれば尚のことそうではないかと思います。
私は10ヶ月の入院中に出逢った人たちをどうしても忘れる事が出来ませんでした。その中にいる人達は、みなさん希望をなくしておられました。いつ、そこから出られるという見通しのないままに、延々と毎日同じ日々を繰り返さなければなりません。行動のすべてを制限された中でです。自分のしたい事をするという事はほとんど不可能で、やることもなく、長い廊下を行ったり来たりしておられました。
最近さかんにノーマライゼーションという言葉が語られます。この言葉は、収容所体験をもつ方から最初に発せられたと聞いています。収容所という場所の過酷さを、知的障害者の施設の中で見られたことから発していると聞きました。
日本の精神病院は収容所とどう違うのでしょう。
その中での生活が、どれ程生きる力をそぐものであるのかを、経験した人は知っています。それらの声に耳をふさいだままに、世界一のベット数を維持しようとすることは、ノーマライゼーションの理念からもかけはなれたものと思います。
精神病者はそのような施設でしか生きられない人たちと信じてしまっている人たちは、その施設の中で、どのような苦しい人生をおくっておられるかを、聞こうとされたことがあるでしょうか。
よく心の病ということを言われますが、私には、病院の中で出逢った精神医療ユーザーの心が病んでいるとは思えません。偏見、差別のある社会の中で、過酷な人生を強いられながら、、それがあたかもその人自身の価値のなさであるかに思わされながらも、人としての誇りをなくすことなく、尊敬に値する生き方をしておられる方を私はたくさん知っています。
海外では、精神医療サバイバーと名乗る人たちがおられるようですが、そう呼ぶにふさわしい人たちだと思います。
「私達は犯罪者ではない、犯罪者と一緒にしないで欲しい」と言われるユーザーもあると思いますが、それは、自分の誇りを守り抜いて生きておられる人の矜持であろうかと思います。でももし仮に、病ゆえに罪を犯してしまったとしても、その人が誇りを守り得なかったであろう病の苦しみうを、同じ病の経験を持つ者として、いくらか想像できるようにも思います。
薬で行動を制限することは出来ても、心を入れ替える事は出来ないのではないでしょうか。薬は、一時的に気分をコントロールすることはあっても、人生を創造することはありません。監禁して社会から隔離することによって、薬にたよらなければならない状況が作り出され、自分の人生を自分で選びとって生き抜いていくという力は失われると思います。自立というのは、信頼される人間関係がき築き得た時にこそ可能であろうと思います。あるいは、自分自身の中に信頼感を持ち得ることでこそ可能であろうと思います。
それは医療の充実とは別のものではないでしょうか。
医療という枠の中で訓練を施して社会復帰を促そうとすることに期待を持てないのは、多くの精神医療ユーザーも感じていることではないかと思います。
多くの人が、精神障害者と言われないで、薬も飲まないで、自分の意思で生きることを望んでいます。病院から離れたいと望んでいます。可能であれば。
罪を犯した人であろうとそうでなかろうと、精神病になった人にとって必要なのは、社会の中で認められるチャンス、学問を受けるチャンス、いろんな人と出逢うチャンス、感動できるチャンス等ではないかと思います。
施設隔離は、そのようなチャンスをことごとく奪います。
チャンスさえあれば、自分の力で人生を生き抜くことが出来ると思います。
精神病とラべリングされることによって、人生の可能性を奪われる社会であってはならないと思います。
精神病は、いつの時代にも起こりうる病と言われます。これからも精神病呼ばれる人たちはたくさん出てくるでしょう。精神病になったら希望がないと思わせてきた社会のシステムを問い直して、精神病者にとって必要なものは何なのかを、病気を経験したことのある人を含めて多くの人たちが考えていくことが必要であろうと思います。
精神病といわれる人たちと身近に生きてみて、精神病というものは、周りから思われているように絶望的なものではなく、その中にも豊かな可能性はあると確信を持てるようになりました。
私がもし病気を経験していなかったとしたら、それは知り得ないことだったろうと思います。私は私の人生の中で、このような経験が出来た事を誇りに思っています。
世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク(WNUSP)の日本政府に向けた「法案」廃案要請文
世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク(WNUSP)は精神医療や精神保健サービス体験者の国際的ネットワークです。私たちの主な任務は全世界のユーザー・サバイバーの権利擁護です。私たちは精神病と診断された人間も他の市民同様の権利を持つべきであると確信しております。それゆえWNUSPはすべての強制医療に反対し、同時二重だな犯罪を犯したことのないユーザー・サバイバーの強制収容にも反対しております。
私たちは日本の「心神喪失者医療観察法案」に反対することを表明するためにこの手紙を書いております。
私たちはこの法案が万一成立することがあれば、以下のような事態が生じると考えております。
*精神病者と診断された人への予防拘禁が公認されることになります。無罪とされた人や犯罪容疑はあっても起訴されなかった人までもその対象とされます。精神病と診断されていない人はこうした場合釈放されるのにもかかわらず、精神病と診断された人の場合は釈放されるとは限らないこととなります。
*精神病と診断された人の拘禁決定にあたり、適切な法的代理人や公正な聴聞が保障されないこととなります。
*重大な犯罪を犯した容疑すらないすべての精神病と診断された人々への差別が強化されます。
*日本の精神保健体制へのユーザー・サバイバーの信頼を損ねることとなります。
WNUSPは日本政府に法案を廃案にすることを強く求めます。私たちは多くの日本のユーザー、精神保健従事者、法律家そしてその他の法案に反対する人々の闘いを支持いたします。
世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク
共同議長
ジュディ・チェンバレン、
アイリス・ハーリング、
カールバッハヤンセン
まと速 ニュース on 2014年5月30日 15:00
[…] http://acppd.org/jngmdp-backup/news/471 […]