2012年6月号ニュース抜粋

「精神保健福祉法」の抜本改正および

「医療観察法」の廃止に向けて

 

鳥取 橋本 容子   

 私は、本ニュースでも度々紹介していただいた『人としての尊厳を取り戻す闘い』として一連の裁判を闘い、それも昨年、ついに終結をいたしました。敗訴という結果しか得られなかったことは誠に残念ですが、3年あまりの長きにわたる闘いのなかで、非常に貴重な体験をし、多くの収穫を得ました。これは、勝訴にまさる収穫だったといっても過言ではないほどです。

さて、この度、私の裁判にも多大なご助力をいただいた内田博文教授に、再びご教示をいただき、裁判終結後の検証作業の手助けをいただいたところ、ひとつの課題が浮き彫りとなりました。ここにその問題提起をさせていただきたいと思います。

 

~「精神保健福祉法」の抜本改正および

「医療観察法」の廃止に向けてのアプローチ・その方法と実効性について~

 

この度私が闘った方法は、「裁判」(司法からのアプローチ)でした。もっとも、当初提訴の段階においては、被告に不法行為(民法709条)による損害賠償を求める、というものでしたが、控訴審から追加の主張として「精神保健福祉法、第33条(医療保護入院)は憲法違反」を盛り込んでの闘いとなり、控訴棄却を受けて最高裁上告においては、専ら「33条違憲論」を主張し、上告受理申立において「33条厳格解釈論」を追加した形となりました。

私のこの訴訟の場合、上記のとおり、当初より「違憲、国賠訴訟」として提起したものではなく、控訴審からの「違憲」の主張追加でしたから、被告は提訴の時のまま、医療機関および医師でした。裁判手続き上、追加の主張は可能でも、被告の追加は不可であるからです。(このことも、裁判を闘う中で知りました。)ですから、「違憲」の主張はなし得ても、国を相手取っての賠償請求とはならなかったわけです。

本題に入る前に、まず、このことをひとつ前置きとしておきます。

 

さて、私がこの度体験した「裁判」(司法からのアプローチ)に対して、もうひとつの方法は、「運動」(行政、立法へのアプローチ)であろうかと思います。このことは、病者集団はじめ、多くの障がい者団体が、長年にわたってたゆまぬ努力を続けてこれらたところであることは、言うまでもありません。

ここで議論を単純明解にするために、敢えて、この「裁判」(司法からのアプローチ)と「運動」(行政、立法へのアプローチ)を、「精神保健福祉法」の抜本改正および「医療観察法」の廃止に向けての方法として、比較してみたいと思います。

まず、「裁判」ですが、近現代の歴史を見ても明らかなように、大きな国賠訴訟によって原告が勝訴(または和解成立)した場合、国(政治)は舵を切らざるを得ない状況となり、たちまちに立法がなされ、それに沿って行政も動きます。

ハンセン病訴訟をはじめ、薬害エイズ、C型肝炎、ややさかのぼって水俣病訴訟などが、その例です。

この場合、何と言っても勝訴が絶対条件で、敗訴は許されません。そのためには優秀で情熱的な弁護団、勇気ある原告、そしてそれを支援する人々の存在が欠かせません。これらの条件がそうそう簡単にそろうとは言えませんが、ハンセン病訴訟の例に見るように、島比呂志氏の一冊の「意見書」がきっかけとなり、ひとりの弁護士が呼応し、たちまち130人の弁護団が結成され、弁護団から原告の掘り起こしが行われ、まず勇気ある13人が立ち上がり熊本での提訴に至ったことでも、決して不可能ではないことは実証されています。

一方、「運動」の場合ですが、これは、大衆運動に広げていく、ひとりひとりの政治家に訴える、行政機関に訴える、等が、主な活動となると思います。その際、もどかしいことに、たいへん時間がかかることは否めません。確かに、何人かの政治家が興味を持ち勉強してくれて、理解を得ることはできるでしょう。しかし、過半数の政治家をわからせなければ、国会は議決しません。しかも、衆参両院においてです。さらに「政局」というものは、実に流動的であることは、現在から民主党政権成立当時を振り返ってみて、当初の期待感がこの短い間に灰燼に帰していることからしても、容易に理解できるところです。

つまり、行政、立法へのアプローチは、この「政局」によって、風に舞う木の葉のように、どこへ運ばれていくかわからないということです。しかし、言い換えれば、政治は風向き、我々に有利な風が吹けばよい結果が得られるということでもあります。ただ、残念なことに、民主主義を基本的イデオロギーとする我が国において、マイノリティである我々にとっての追い風が吹く可能性は、限りなくゼロに近いということも、シビアな現実であることを直視せねばなりません。

 

結論として、司法からのアプローチである「裁判」は、「精神保健福祉法」の抜本改正および「医療観察法」の廃止に向けて、最も早道である、ということです。実は、これは内田教授よりのご指摘で、私は目から鱗の落ちる思いでした。

ここで重要なのは、「三権分立制の立法、司法、行政にはそれぞれの個性があり、その中で、マイノリテイ問題にとって、どのチャンネルがより可能性があるかという点。というのも、立法は多数決主義の世界であるのに対して、司法は、少なくとも、理念的には、100対1も1対1の関係に置き換えて、結論を出すからである」という点です。内田教授の『「国賠訴訟」は、立法、ひいては行政を動かす一里塚』というお言葉は、私にとってある意味、衝撃でした。故に、運動に比して裁判は、その早道であるという結論に至った次第です。
マイノリティもマジョリティも、三権のそれぞれに等しく権利を有しているといえども、数に抗してマイノリティが権利主張する場としては、司法、つまり「裁判を起こす権利」を行使することが、迅速にして唯一の方法ではないかと考えることに、皆さんはどのようなご意見をお持ちになるでしょうか。

やがて時代が変わって、おそらく50年か100年か後に、精神疾患の機序が概ね解明され、(現在も少しずつですが脳をモニターする技術ができて臨床に用いられつつありますから)精神病がほとんど治るか、治らないまでも罹患者の社会生活を大きく阻害するものでなくなり、ひとりひとりの精神病者が、決して無能力でもなく、自己決定能力がないわけでもないと、医療も社会全体も認識をし、それが一般常識となったとき、「精神保健福祉法」は全く形骸化した、超時代遅れの法となって、自然消滅的に廃止されるかもしれません。「医療観察法」についても同じで、精神病者が特に犯罪傾向が高いわけでもなく、再犯の可能性も、さらに高度な統計技術や、犯罪と精神疾患の関連性についての医学的、心理学的論証によって、完全否定されたとき、法の存在の大義名分は消え去り、当然、廃止されるでしょう。

ただ、それを、100年かそれ以上、待っていていいのかということです。仮に次の世代に希望をつなげて待つとしても、何が起こるか先行き不透明な未来のこと、政局は流動し、最悪、国際情勢に緊張が高まって世界大戦の危機などが訪れ、国家総動員などということが起きないとも言い切れず、そうなれば、われわれ障害者は、戦争遂行に邪魔なものとして、かつてナチ党下のドイツで起きたことが、再び起きるかもしれない。また、そこまで飛躍的にならないとしても、国家経済の危機に際して、社会保障がどれほど確保された未来社会が期待できるのか、想像するだにおそろしい限りだと思うのは、悲観的に過ぎるでしょうか。

 

やはり、何が早道なのかは、真剣に考えるべきことかと思います。

 

最後に、補足的になりますが、「裁判」と「運動」とを対局に位置づけたのは、ひとえに論点を明確にするためであり、このふたつは常に連携し、連動しなければならないということは、どなたにも異論のないところだと思います。互いに補い合い、それぞれの特性を生かしつつ、連帯、連携が上手くいったとき、はじめて我々は、目的を達成できるものと信じます。

 

なお、「障害者自立支援法違憲訴訟」和解の合意が万一反古にされるようなことがあれば、司法の権威は失墜し、憲法に明記された三権分立すら犯すものであることから、基本合意と骨格提言に基づき障害者のための法の早期の制定、強く望みます。

 

 

 

精神科病院の存在を問う歌う裁判にご協力を

呼びかけ人・賛同人・カンパを募っています

弁護団に参加して下さる弁護士を求めています

 

大阪 塚本正治

こんにちは。

大阪・鶴橋に暮らすフォークシンガーの塚本正治と言います。人生の半分を精神病とつきあって生きてきました。今年2月の大阪府下K病院への入院と脱院の体験から「精神科病院の存在を問う歌う裁判」の呼びかけを行ってきました。

それは一つに自分の意志で入院したにもかかわらず何の説明もなく鍵のある病棟に収容されたことはおかしい、二つに鍵のついている病棟は精神科医療にはそぐわない、三つに精神科に特化された病院の存在自体、精神障害者に対する隔離・収容政策の産物であり、必要ないのではないかというものでした。

一方K病院に対して手紙・電話・面接という形で説明を求め、事実経過のすりあわせを試みましたが「これ以上の文句があるなら第三者機関に訴えたらどうですか」「事実経過のすり合わせの必要はない。裁判ですればよい」という対応に終始しました。

一方、僕ひとりの呼びかけに一か月もたたないうちに70名をこえる呼びかけ人・賛同人が集まって下さいました。ありがたいことです。それを力に大阪弁護士会に働きかけてきました。

5月9日新井法律事務所で新井弁護士・愛須弁護士と会議をもち、テーマをしぼって「自分の意志で入院した人が鍵のついた病棟に収容されることは人身の自由を脅かす憲法違反である」という方向性で裁判を準備しようという点で一致しました。多くの譲歩をし涙をのみました。

その上で裁判戦略・戦術・弁護団編成について次回6月の会議で議論しようということになりました。鳥取医療保護入院違憲訴訟で培った橋本容子さんのたたかいに学び、歩みを進めようというということになりました。愛須弁護士は「塚本さんの呼びかけに応えてくれた人たちのためにもしっかり準備してゆきたい」と述べられました。「おかしいことはおかしい!」と国を問い続けます。

また歌う裁判は沖縄でも和歌山でも存在しています。実現できます。

国は「障害者自立支援法国賠訴訟」の和解合意を裏切り、「障害者総合支援法」を成立させようとしています。あの「障害者制度改革推進会議」の議論や「総合福祉部会」の「骨格提言」はどこにいってしまったのでしょうか。

そんなお寒い時代だからこそ、裁判準備はもう少しかかりそうですが、着実に事をすすめていく所存です。敵と刺し違える覚悟でたたかいます。

みなさんのご協力をお願いいたします。

 

連絡先 〒544-0031 大阪市生野区鶴橋5-16-4 レーベルMJK 塚本正治宛

TEL090-2041-0177  FAX 06-6975-9955

メール tukamoto37(@)zeus.eonet.ne.jp(@)を@に変えてお送りください

 

カンパ 郵便振替 00970-1-132771

〒544-0031 大阪市生野区鶴橋5-16-4 塚本方

障害者文化を支える会

 

精神病院の存在を問う歌う裁判呼びかけ人(順不同)

岡田靖雄・八尋光秀・小林敏昭・三田優子・呉光現・趙博・尾上浩二

高橋年男・内田博文・松井寛子・石橋宏昭・姜文江・加藤真規子

蟻塚亮二・安原荘一・松場作治

 

 

 

社会的入院者だった私の思い

                                     宮城 渡辺秀憲

皆さんは「社会的入院」という言葉をご存知でしょうか。精神科病院に入院治療の必要がないにもかかわらず、家族等が全く面会にこず、外泊させないため、退院して地域に住む事ができずに入院を余儀なくされる状態を言います。私はその一人で、2つの精神科病院に15年ずつ30年間入院しておりました。

全国の精神科病院には約34万人の入院者がおります。その内7万2千人は社会的入院・者と言われております。私は30年間も精神病院の閉鎖病棟に入院して、何もすることなく、3食昼寝つきの暮らしをしておりましたので、その落とし子の一人のような気がします。精神科病院は1950年の「精神衛生法」の制定で、それまでの、精神障害者の私宅監置(座敷牢等に置かれる)が禁止されました。このため、精神障害者を病院等の施設に収容すると言うことでは病床不足に陥りました。そのため、1958年に「精神科特例」という厚生省通達が出されて、精神科病院では、医師や看護師数が医療法で定められた標準以下の配置人数でも構わないと言う事になりました。また、1960年の「医療金融公庫法」の改正で、新しい精神科病院の設置に際して、長期低利の融資が行われるようになりました。この通達と法改正後、精神科病院は一般の病院より利益が大幅に上がる事等で、1960年には8万5千床だった病床数が96年には36万床まで、個人病院依存の形で、雨後のたけのこのように大幅に増えてゆきました。私はそのようにしてできた、宮城県の2つの精神科病院にどっぷり30年間つかり、看護師さん等に何でもしてもらえる生活に、2003年まで何の抵抗もなく甘んじておりました。

私は、入院中に退院したくて院長回診のたびに何度も退院したいと訴えました。院長はそのたび、必ず「家族がきて退院させたいと言うならいつでも退院させます」というのが口癖でした。私や他の仲間は院長の金儲けだとこの口癖に対して怒りましたが、結局はそれだけで、どうにもなりませんでした。そんな私の入院を考えると人権無視の30年だったと思います。この思いは当時の入院生活に慣れた私は、入院中は思った事もありませんでした。退院後、講演や執筆活動等で得た友人とのつきあいから人権無視であった事を私は知りました。私は退院が全くできない事で、いつまでも退院させない家族を恨み、院内で酔生夢死の覚悟でおりました。

そんな私も、2003年の6月に母がようやく私を退院させる気持ちになり、私は社会に生還することになhました。病院からその足ですぐ故郷、古川に創設された自立への訓練施設「援護寮」に入り社会復帰に向けての訓練を9ヶ月積みました。訓練を終え、退寮後、グループホームを経て、今住む市営住宅に2005年の3月に入居しました。住宅入居により私は真の自由を獲得したと思います。現在、好きな時に寝て、好きな時起き、好きな執筆を、好きなモダンJAZZを聴きながらパソコンで行う毎日です.一昨年、39歳の統合失調症の彼女ができて9ヶ月間同棲しました。今は別れて彼女は生保と年金を受給し、一人暮らしをしております。私は別れてまた住宅で一人暮らしの自由さを楽しんでおります。こんな生活を今でも入院している社会的入院者の仲間全員にも味わってほしいです。

社会的入院の7万2千人の解消には、病院や行政、入院者本人の意識の改革は勿論、社会に戻り地域で生活するための施設(援護寮やグループホーム等)をもっと沢山作ることが不可欠です。社会復帰施設(受皿〉を多く作る事で、私たちは地域で暮らせますので、精神障害者の社会復帰へ向けての受皿作りは喫緊の課題になると思います。施設で訓練を積み、その後は社会に復帰して、私のように、社会にもまれながら、社会的入院の仲間が、笑顔でしっかり生きて行けたらと思います。

 

 

 

 

アウトリーチ弾劾声明へのご賛同の呼びかけ

 皆様へ署名用紙を同封させていただきました。このアウトリーチ事業はあくまで本人が困った時に助けてコールに対応してくれるものではありません。本人の同意がとれないことが条件です。本人の同意があれば医療保険で対応するということになっています。もちろん地域の生活支援センターなども本人の求めに応じてお見舞い活動などしているはずですが、こうしたものは今回のアウトリーチ事業の対象ではありません。

私ども全国「精神病」者集団は精神保健福祉法となって地域生活支援センターが作られた時、厚生労働省に要求したのは、センターはスペースはいらない、それくらいなら人をつけて、ともかく求めに応じて精神障害者のところへ足を運ぶことが重要。精神障害者を集めるのではなくて本当に困っている出かけられない人のところに足を運べと言いました。ところが実際は予算のため人手が十分ではなく、本人の求めに応じて本人のところに足を運ぶ余裕のない所が圧倒的に多いのです。

私どものも、助けてコールがあれば、しんどい人を呼びつけるのではなく、訪問してお話うかがいます。それでも自宅では不安という方もいらっしゃるので最寄りの駅、あるいはさらに一駅乗ったところで会うなど配慮しています。

「周囲の困った感」で自宅を急襲されるなどという無神経な事業ではますます精神障害者は追い詰められます。7月に予定している厚生労働省交渉で署名を届けたいと思いますので、ぜひ6月末日締切で署名を集めていただけますようお願いいたします

署名用紙はこちら

 

 

 

「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」は何をしようとしているのか?

東京 山本眞理

 

障がい者制度改革推進会議は、第一次意見第二次意見を出し、その結果閣議決定がなされ、2010年6月29日「障害者制度改革の推進のための基本的な方向について」においては、医療分野において以下記述されている。

(4)医療

○ 精神障害者に対する強制入院、強制医療介入等について、いわゆる「保護者制度」の見直し等も含め、その在り方を検討し、平成24 年内を目途にその結論を得る。

○ 「社会的入院」を解消するため、精神障害者に対する退院支援や地域生活における医療、生活面の支援に係る体制の整備について、総合福祉部会における議論との整合性を図りつつ検討し、平成23 年内にその結論を得る。

○ 精神科医療現場における医師や看護師等の人員体制の充実のための具体的方策について、総合福祉部会における議論との整合性を図りつつ検討し、平成24 年内を目途にその結論を得る。

 

形式的には今厚生労働省内で行われている「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」の検討は上記閣議決定をもとに行われるはずであった。ところが現状では保護者制度の廃止そしてそれに代わる何らかの機関による医療保護入院制度の継続、さらに現状の病床機能分化を前提とした議論が進められており、全国「精神病」者集団としてはヒアリングに応じ以下述べた。またこの検討会で地域での強制通院制度が資料として挙げられていることは、医療観察法の一般精神医療への全面化であり危険そのものである。そのさきがけが同封署名にあるアウトリーチ事業である。ヒアリング文章への添付資料は膨大となるので、全国「精神病」者集団のサイトをご覧になるか、インターネットをお使いでない方にはコピー代送料実費でお送りする。

2012年4月19日「精神科医療の機能分化と質の向上等に関する検討会」 ヒアリングに向けて

2012年4月27日 厚生労働省 「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」 ヒアリングに向けて

 

障害者自立支援法改正の情勢分析

 

2012年3月13日、障害者自立支援法改正による「障害者総合支援法案」は、多くの障害者団体の反論を押し切る形で閣議決定された。

これは、2月8日の総合福祉部会で厚生労働省案として出されたものが、1カ月の間、様々な外圧により修正を繰り返し、最終的にできあがったものといえる。多くは、障害者自立支援法の廃止を求める主張であり、2月15日の日弁連会長による反対声明や、2月29日のJDFによる「緊急の質問と重点要望」からも明らかである。また、この間、障害者自立支援法廃止を掲げてきた日本共産党は、2月16日の衆議院予算委員会で高橋千鶴子議員が障害者新法のことを取り上るなどの動きを見せた。

この目まぐるしい政治の渦の中、2月20日に厚生労働省主管課長会議が開催されている。そこで、2010年12月3日に反対を押し切って成立した障害者自立支援法改正案(いわゆる、つなぎ法案)の運用について詳細が発表された。

この段階で、既に3月に閣議決定されることは決められていた。だから、それまでの間にいかに要求を入れ込めるかが運動の焦点と切り替わっていった。2月15日に出された各違憲訴訟の弁護団による自立支援法廃止の声明は、今後の違憲訴訟への悪影響を危惧したもので、ここで諦めることは障害者だけの問題では済まされない、ということを意味していた。結果、運動の責任としての廃止と重度障害者が地域で生きるための闘いという障碍者解放運動の問題の立て方との間で葛藤しながらの闘いとなった。

そうした葛藤を抱えつつも、各地の議員への陳情を含む、民主党政策調査会厚生労働部門会議への要求闘争が展開された。そして、2月22日、民主党障害者WTが開かれ、「障害保健福祉施策関係整備法案(概要、要綱、案文、新旧対照表)」、「民主党障害者WT意見」、民主党障害者WT「厚生労働省案に対する意見」、厚労省障害保健福祉部による「障害保健福祉施策の推進に係る工程表(案)」「総合福祉部会の骨格提言への対応」「厚生労働省案(修正版)」が示された。民主党を通じて、厚生労働省案の一部を修正できたことは確認できたが、それでは、不十分すぎると言わざるを得なかった。

再び、示されたのが、2月28日の民主党障害者WTである。そこで新たに示されたのが、厚労省「WTとりまとめの「留意すべき事項」への対応について」、厚労省「22・24日のWT及び議員から提出された修正意見とその対応」、厚労省「骨格提言における提言項目への対応」、厚労省「障害保健福祉施策の推進に係る工程表(案)」、厚労省「障害保健福祉施策関係整備法案(概要)」、厚労省「障害保健福祉施策関係整備法案(未定稿)」、厚労省「2月8日の総合福祉部会における「厚生労働省案」への意見と質問」についての基本的考え方」である。

22日に提示された内容からの修正部分を大まかに示せば、

 

(本則部分)

・基本理念に「社会参加の機会が確保」を追加(→(7)P.51)

・障害の範囲の規定の「当該疾病ごとに」の文言削除(→(7)P.52)

・重度訪問介護の対象者を「重度の肢体不自由者『等』」とする(GH、CHと同じ

く2014年4月1日施行)ことで知的・精神利用の道をひらく(→(7)P.63)(※法

文後半に「厚生労働省令で定めるもの」との文章も追加されているのでこの省令

に大きく左右されますが…)

・障害福祉計画にPDCAの規定等を追加(→(7)P.57~59)

(附則部分)

・障害福祉サービス、支給決定等のあり方についての検討事項を、施行後5年か

ら3年に短縮(→(7)P.30)

 

といったところである。加えて、22日提出のものから、「障害の範囲」の箇所で「難病等」の『等』が落ちていたことも問題になった。後に、ミスであったことがわかったが、これで通されたら「等」の一文字ではあるが、そこに含まれる障害者が切り捨てられていたわけで、大変なことになっていた。

28日の中身が、若干の修正がされつつ、2月29日に障害者総合支援法案(民主党政策調査会厚生労働部門会議案(2月29日))として提出された。同日、JDが見解を発表する。3月1日、障害者総合支援法修正案がだされる。3月7日、衆議院厚生労働委員会が開かれる。民主党の玉木朝子議員が障害者新法の難病対策のことを質問する。3月8日、民主党による「障害者総合支援法」の説明会が開催される。3月12日、第38回障がい者制度改革推進会議議が開かれ、障害者総合支援法案についてと、今後の行程についての確認がなされる。同日、第4回障がい者制度改革推進本部として、障害者総合支援法の案件が持ち回りで決定されたと報告される。

そして、3月13日、閣議決定されたのである。閣議決定に際しては、小宮山大臣が記者会見をしている。

 

「障害者の団体も色々なお考えがありますが、多くはご納得いただいているかとは思っています。

今回の障害者総合支援法は、名前も変えましたし、

それから、基本理念もきちんと基本法に基づいて作っているということ、

それから、自立支援法で一番問題だった応益負担を応能負担にしたことなど、

多くの所では改正できていると思っています。

まだ懸案で残っている支給のありかたなど、時間のかかる問題については、

3年を目途に関係者の方々のご意見を十分に伺いながらさらに検討するということです。

元々、総合福祉部会からいただいたものはかなり膨大なものなので、

段階的にやっていきますというお約束をいたしましたので、これで、一段階と思っています。」

 

言いたいことは山ほどあるが、ひとつだけ、言っていいと言われたら、「多くはご納得いただけているか」という発言に対してである。誰も、納得していないし、「またしても、現場が混乱する」などと言っている御用組織の連中を数えたとしても、我々のような運動によるところの方が大きいのである。

3月13日、障害者自立支援法違憲訴訟団緊急記者会見を行う。3月22日、厚生労働委員会。社民党福島みずほ議員が「障害者総合支援法について」の質問をする。4月3日、予算委員会。社民党の吉田議員が質問。4月12日、自公民会議が開催された。 ともに民主・自民・公明で合意に至ったもの、

 

修正事項のポイントは、

・障害福祉サービス事業者・相談支援事業者等の責務として「障害者等の意思決

定の支援に配慮する」規定を追加、

・地域生活支援事業に「意思疎通支援」(手話その他厚生労働省令で定める方法

により障害者党とその他のものの意思疎通を支援することをいう)を行う者の派

遣、養成を追加、

・都道府県の地域生活支援事業には、専門性の高い(医療や司法対応、ろうあ者

への支援等)意思疎通支援についても明記、

・障害福祉計画に係る義務規定に、「サービス提供体制の確保に係る目標に関す

る事項(新規追加)」「地域生活支援事業尾の種類ごとの実施に関する事項(努

力義務から義務化)」を追加

・「障害程度区分」を「障害支援区分」に改める(文言変更を持って附則(検討

事項)の3年後の見直しがおわったとするものではない)、

・附則の検討事項に「成年後見制度の利用促進の在り方」、「精神障害者及び高

齢の障害者に対する支援の在り方」等を追加、

であった。

 

4月13日、日弁連「当事者の声を反映した共生社会を実現する法の制定を目指して」開催、と続き、4月18日、衆議院厚生労働委員会が開催された。4月18日の衆議院厚生労働委員会で、障害保健福祉施策関係整備法案と修正案(障害者総合支援法案)が民自公の賛成により可決された。加えて、付帯決議が民自公みんなの賛成で可決した。合わせて、国等障害者施設物品調達促進法案も全会一致で可決となった。

その後は、参議院で大臣の問責決議の提出の如何により、法案を採決するか、衆議院本会議の設定をはじめ国会情勢がどうなるか不透明な状況が続く。また、民主党内も小沢一郎議員の無罪確定により、各派のヘゲモニー合戦に陥りつつある。こうした情勢は、ある種のチャンスだろう。

ただ、参議院厚生労働委員会審議入りは、最早確実のことであり、今要求すべきことは、参議院厚生労働委員会での徹底審議である。審議の中で、勝ち取るべきことを設定しておき、各議員への国会質問などを勝ち取ることを続ける中で、3年後の見直し時に、どれだけのことができるかが決められてくるだろう。



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