橋本容子さん訴訟不当判決

通信10

「人としての尊厳を取り戻す闘い」を支援する会

不 当 判 決 !!

2010年5月31日(月)午後1時10分、鳥取地方裁判所において、ついに判決が言い渡されました。

原告の請求を棄却するという全面敗訴の結果となりました。これは、許しがたい不当判決であります!

控 訴

判決当日は多くの支援者に駆けつけていただきました。遠くは東京八王子市の「ほっとスペース」から4人もの支援者が判決の場面に立ち会ってくれ、傍聴席は、互いに譲り合って座らなければならないほど、満席となりました。心から感謝申し上げます。

判決を受けて、橋本さんと大田原弁護士は、6月5日、控訴状を提出しました。これにより、これからの闘いは、島根県松江市の広島高等裁判所松江支部に移ります。これからも皆様のご支援を、どうかよろしくお願いします。

「判決書」について

法廷では、判決の主文が言い渡されるのみですが、問題は「判決書」の内容です。ここで、大田原弁護士の解説をもとに、本件、鳥取地裁判決の不当性について、端的に述べたいと思います。

①精神保健福祉法(33条)の厳格解釈について

原告側が提出した内田博文教授の「意見書」には以下のことが明記されています。

精神保健福祉法・第33条第1項の規定については、特段の理由がない限り医療保護入院に先立って保護者の同意書を徴しておかなければならない、と、解釈するのが妥当である。入院時において、この同意書が欠ける場合、保護者の同意がなかったものと推定される。また、精神保健福祉法の詳解書によれば、医療保護入院における保護者の同意については、「当該同意を行うこと自体は、法律的には書面によることを要しない非様式行為であるが、精神病院の管理者は、本項(33条4項)によって入院後十日以内に同意書を都道府県知事に届け出なければならない義務を課されているので、入院に先立って同意書を徴しておくべきであろう。」とされている。この注釈も、上のような解釈を示したものと受け止めるべきであろう。

ところが、判決は、そもそも内田教授の意見書を一切事実認定に使用せず、「事前に書面をもって同意することは医療保護入院の要件ではない。同意は口頭でよい」という法解釈をしました。しかも、その口頭の同意は、黙示の同意でもよいといわんばかりの内容です。

つまり、橋本さんのお父さんは、医療保護入院ということが分からず、「何の書面か分からないものにはあえて署名しなかった。口頭で同意したこともない。」という趣旨のことを明確に法廷でも述べており、また、松島医師の証言からも、明確にこのような形で同意を得た、ということは述べられなかったにも関わらず、裁判所は、どの時点でどういう形で口頭の同意があったということの認定も行わないまま、お父さんが事後的に同意書を郵送していることから事前の同意が口頭であったはずとの結論を導き出しているのです。しかしながら、この事後に郵送された同意書というのは、僅か1日の入院後の退院時の費用の清算の際に、事務の窓口で他の事務的な書類と一緒に橋本さんのお父さんに渡されたもので、そのとき印鑑を持っていなかったことから、後日郵送で送るようにと言われ持ち帰ったものです。このときも、お父さんはその書類が何の目的で必要な書類か、全く説明はされていません。後日、橋本さんのお父さんが、内容証明郵便にて、郵送した書類は何の書類であったのか等を質問する手紙を医療センター宛に出したところ、それに対して医療センター院長の名で返事の手紙を受け取っており、その中には、説明が足りなかったことを謝罪するという文言が明記されています。これら往復書簡は、どちらも原告側から、証拠として提出していますが、橋本さんのお父さんの名で出された内容証明郵便については、「法律の専門家でない原告の父がいきなり内容証明郵便を用いて送付するような内容のものでなく、医療保護入院に同意していないことを原告に示す目的で送付されたものにすぎないと考えられ、原告の父が同書面を送付したからといって、同意書の趣旨を理解していなかったということはできない」という、非常に恣意的な判断をすることにのみ利用しました。しかし、この内容証明郵便の日付を見れば、4月26日と、橋本さんが大田原弁護士の事務所と契約を交わすかなり以前であり、誰であれ法律家の手を借りて作成されたものではありません。実際のところ、この内容証明郵便は、橋本さんが、念のために将来の法廷闘争も視野に入れた上で、お父さんと相談して作成したものです。この書面が裁判目的で作られたものであっても、この書面の内容を以て「同意書の趣旨を理解していないといえない」との判断は、誰の目にも明らかな暴挙です。さらに、医療センターの返事の書面は無視し、一切判断の材料としていないのは、あまりに公平性を欠いています。

上述のような経緯で出された同意書であるにも関わらず、本件判決では、裁判官が同意があったと言い切りさえすれば、「本件は立証責任の問題ではない」ということになるのだということまでわざわざ判決書に記載し、厳格解釈の必要性については意図的に無視する態度をとっているのです。

②縊首行為の予見可能性について

また判決は、その他の論点である渡辺病院での縊首行為に関しての判断についても医学的な予見可能性についての多くの部分の検討をカットしてしまっているひどい内容です。

③最大の問題点

この判決の医療保護入院についての判断が是認されてしまうならば、事後的にでも、また単純な事務書類として保護者を欺いてでも書面さえとってしまえば、安易な強制入院や隔離拘束を行っても何の問題もないということになってしまうことです。さらにいうならば、この判決は現実に全国各地で生じている違法拘束という人権侵害を法運用の観点から是認してしまう性格を持つものと言えます。

このように、判決の中味は、完璧なまでに病院側に立った現状容認の判断です。一言も原告側に立った文言が見当たりません。原告の怒りを一顧だにせず、人権擁護の視点を敢えて回避し、審理の過程で重要な論点となった事柄をことごとく無視し、そこへ一歩も踏み込まぬ、「事なかれ主義」の判決というわけです。別の言い方をすれば、裁判官は、橋本さんが提起した「精神障がい者にとっての看過しがたい人権問題」に背を向け逃げ切った、という印象です。

このような不当判決を、断固、放置しておくことはできません。

皆さん、この闘いを中途半端で終わらせるわけには行きません。いよいよ、これからの闘いが重要になってきます。どうか、引き続き、ますますのご支援を強くお願いいたします。

弁護団代理人を募る

大田原弁護士は、控訴審に向けて、「事件弁護団」を組織すべく全国の心ある弁護士に弁護団への参加を呼びかけました。弁護団代理人募集の文書は、すでに『障がいと人権弁護士ネット』および『日弁連・障がい者差別人権部会』のメーリングリストに流されています。

※弁護団代理人募集の文書、また、「判決書」、「控訴理由書」をお読みになりたい方は、「支援する会」あてご請求ください。別途送付させていただきます。

支援者集会 報告

5月31日、判決当日、午後3時から、鳥取市福祉文化会館にて、大田原弁護士を囲んで、「判決書」の内容をとおして本件訴訟を総括する集会を持ちました。約20名に上る皆さんがご参加くださいました。

「判決書」に関しては、おおむね上記の事柄が重大な不当判決というべき根拠ですが、この集会で話し合ったのは、担当裁判官を、「人権の視点から看過できない重大な問題」に向き合うことから、いかにして逃がさないようにするのか、そのために我々に何ができるのか、何をなすべきか、ということでした。ここで明らかになったのは、これまで以上に、裁判所の外での闘いが重要になってくるということです。

すなわち、判決の内容が精神科医療現場の人権無視の現状是認ということは、社会にはびこる精神障がい者への偏見・差別を追認することになり、更に、今後も次々と起きるであろう精神障がい者への治療の名を借りた人権侵害行為の容認へ、司法のお墨付きを与えてしまうことになるのです。今後の裁判闘争と共に、裁判官の逃げ道を塞ぐためにも、法廷の外での運動展開の必要性について、参加者みんなが確認する集会となりました。

原告 橋本容子さんより

提訴から2年弱、地裁での闘いは全面敗訴という結果で終わりました。皆々様には、多くのご支援を賜り、ありがとうございました。皆様によい報告ができなかったことを、大変申し訳なく思っています。私の力不足を、深くお詫び申し上げます。

一方で、私は全く悲しんではおりません。残念なことは残念です。しかし、「判決書」の内容は、我々が重要な論点としたところを実にうまくはぐらかされた形で、人権の視点は全く盛り込まれず、ただ、文章表現だけは、差別的であるとか偏見であると受け取られかねない表現を注意深く避けて、実に当たり障りなく、一言で言えば、茫漠とまとめられているものです。つまり、厄介な問題には踏み込むことを避けて、見て見ぬふりをしたという印象です。重要な論点にも踏み込んで判断することをせず、その判断の根拠となる事実認定も、恣意的に証拠を選んで行われていますので、当然、多くの誤りがあります。

ですから、私としては、見事に強烈な肩すかしを食わされたという気持ちで、涙の一滴も出ませんでした。悲しみようがないのです。

私は、本件訴訟を提起したとき、最後まで闘い抜くと決心しています。ですから、当然、最高裁まで闘うという気持ちでいたのですが、提訴当時、大田原先生から、「最高裁はないと思って下さい。」と言われていました。その時私は、その言葉の意味がよく分かりませんでした。

判決の後、大田原先生より、事実認定そのものを争うのは高裁までで、最高裁が上告を受理して評議がなされるのは「憲法違反」や「法律解釈」などを争う事件に限定される、と説明を受けた私は、ひとつの疑問を持ちました。なぜならば、この度の「判決書」から、本件訴訟は今後、精神保健福法33条の解釈について争うことは必至だからです。つまり「法律解釈」です。

後日、私は大田原先生に尋ねました。「この裁判を始めたとき、『最高裁はない』とおっしゃったのはなぜですか?」と。すると、彼はこう答えました。「まさかその点(33条の解釈と運用)だけは負けると思わなかったものなぁ~!」

大田原氏は優秀な弁護士です。誰もが敬遠するであろうこの種の事件を引き受けただけでも気骨のある弁護士だと言えますが、それ以上に、いかに彼が精神障がいについて深く学習を重ねており、障がい者の人権について探求を重ね、意識を高く持つ法律家であるか、誰が知らなくても、共に地裁を闘ってきたこの私が一番よく知っています。そして地裁での闘いで彼が行った弁論、証拠の提出、証人への尋問、どれをとっても、依頼人としては何ら文句のつけようのない大満足のものでした。・・・それでも、負けたのです。

この敗訴を受けて私が真っ先に感じたことは、私たちが闘っている相手は、病院でも医師でも精神医療界でもなく、『権力』そのものだ、ということです。司法、政治、国家、それらがぶ厚い権力の壁となって、私たちの前に立ちふさがっています。これらと闘っていくことが、つまりは人権闘争なのだと、まざまざと思い知らされた次第です。

『権力』に小さな個人が抗い闘うことは、容易なことではありません。しかし、誰かがやらねばなりません。もはや私の闘いは、私怨でもなく、ましてや賠償金獲得でもありません。それは遠い将来かもしれないけれど、いつか、人権尊重社会の実現を目指して、たとえ捨て石となっても、この小さな精神病者は闘い続けます。もし、私が人柱になることで人権尊重社会が実現するならば、本望であり、この上ない幸せなのです。

さあ、闘いはこれからが本当の勝負です!

最後に、愛すべき皆さんに、マルチン・ルーサー・キング牧師の言葉を借りて、メッセージを送ります。

『この世でもっとも悪なるものは、善なる人々の無関心である』

その後いただいたカンパのお礼

前回報告(通信特別号・緊急)以降、以下の方にカンパをいただいております。ここに掲載してお礼を申し上げます。ありがとうございました。(敬称略)

佐々木 理信 10.000円 琵琶湖南部地域解放研 10.000円

藤本 月子 2.000円 森木 美紀子 1.000円

「人としての尊厳を取り戻す闘い」を支援する会・呼びかけ人

<代表> 森島 吉美 (広島修道大学 教授)

池内 まどか (社会福祉法人一条協会・高知県 事務局長)

岩田 啓靖 (曹洞宗:大寧寺・山口県 住職)

内田 博文 (九州大学 教授)

宇都宮 富夫 (八幡浜市議会 議員)

江嶋 修作 (解放社会学研究所 所長)

大久保 陽一 (いのちくらしこども宍粟市民ネットワーク 代表)

金杉 恭子 (広島修道大学 教授)

鐘ヶ江 晴彦 (専修大学 教授)

川口 泰司 (山口県人権啓発センター 事務局長)

佐々木 理信 (浄土宗:真明寺・滋賀県 住職)

志村 哲郎 (山口県立大学 教授)

露の 新治 (落語家)

砥石 信 (国連登録NGO 横浜国際人権センター・信州ブランチ 代表)

富田 多恵子 (びわこ南部地域部落解放研究会 副会長)

林 力 (福岡県人権研究所 顧問)

福岡 安則 (埼玉大学 教授)

山崎 典子 (浜田べっぴんの会 代表)

山本 真理 (全国「精神病」者集団会員・

世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク理事)

若月 好 (精神障害者当事者会「きまぐれの会」・鳥取県 民生児童主任)

亘 明志 (長崎ウエスレヤン大学 教授)

<連絡先> 森島吉美 733-0874 広島市西区古江西町20-18-507

E-mai:morisimaアットマーク orange.ocn.ne.jp (アットマークを@と変えてお送りください)

橋本容子さんの裁判についてはこちらをご覧ください



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