= 政府及び与党による「触法精神障害者」に対する特別立法立案に抗議するとともに「触法精神障害者」
対策議論の中止を訴える=
2001年8月20日
全国「精神病」者集団会員 長野英子
☆当事者抜きの議論は誤り
まず確認しておきたいことは、今回のいわゆる「触法精神障害者問題」が当事者抜きで議論され続けてきているということである。
私自身は障害年金2級を受給中の精神障害者ではあるが、「重大な犯罪を犯した精神障害者」ではない。その意味で私も当事者ではない。
いま肝心の当事者を排除した形で論議が進められ、結論さえ出されようとしている、この誤りをまず確認してほしい。
そうである以上特別立法に反対するのみならず、いかなる対案提起もなされるべきでないことを私は主張する。
当事者抜きの議論は直ちに中止されるべきである。
しかしながら特別立法は私たち精神障害者全体への差別であり攻撃であるという側面があることと、
沈黙のまま特別立法を認めるわけにいかないという緊急性ゆえ、非原則的ながらやむをえず以下批判点を述べる。
☆保安処分としての特別立法
この6月の池田小事件以降、事件を起こした精神障害者に何らかの特別な施策、施設を、という保安処分攻撃が具体化されてきている。
その中心となっている日本精神病院協会、および与党プロジェクトチームは、刑法でも精神保健福祉法でもなく特別な法律をつくり
「触法精神障害者対策」を進めるとしている。内容はいまだ明確にされていないがマスコミ報道によると
①重大な犯罪を犯した精神障害者につき特別の強制入院制度新設さらに地域での強制通院等の強制医療体制を新設する
②新たな強制入院制度において入退院あるいは地域強制医療体制適用の判断は裁判官を入れた特別の審査機関で行う
③こうした強制入院のために特別の病棟を新設する、
などを骨子としている。
まさに保安処分体制である。
精神障害者に対する保安処分とは、すでに行った行為に対する刑罰でもなく、また本人の利益のための医療でもなく、
「犯罪を犯すかもしれない危険性」を要件として予防拘禁し、「危険性の除去、再犯防止」を目的として強制医療を施すことである。
精神障害者以外はいかなる重大な犯罪を犯したとしても、「再犯の恐れ」を要件として予防拘禁されることはない。精神障害者のみが
「再犯の恐れ」を要件として予防拘禁されるのは精神障害者差別にほかならない。
現行の精神保健福祉法体制化の措置入院は、「自傷他害のおそれ」を要件としていることで明らかなように、すでに保安処分制度である。
現実に措置入院となった患者の中には退院の望みなど一切持てず、20年30年と長期にわたり監禁され続けている患者が存在する
(99年6月末調査では措置入院の30%あまりが20年以上の長期である。措置が解除になって医療保護入院となる場合もあるので、
現実の拘禁はさらに長期化しているはずである)。健常者が受ける刑期以上の監禁が公然と行われている。
それにもかかわらずこの措置入院に屋上屋を重ねる形で今特別立法が作られようとしている。
☆一生出られない特別病棟の新設
いま現在の、建て前上は「本人の医療と保護」を目的とした措置入院の運用ですら、
精神障害者に対する差別的予防拘禁として機能している実態を見れば、「再犯予防」を目的とした特別立法が何を生み出すかは明らかである。
特別病棟への監禁の目的が「再犯防止」である以上審査機関は「社会にとって安全で再犯の恐れがない」
と確認されるまでは拘禁を続けることになる。再犯が起こったときの非難を恐れ、審査機関は釈放には消極的にならざるを得ない。
一切希望をもてず監禁され続ける特別病棟で、医療など成立しようはずがない。
絶望しきった人間を拘禁し管理するには徹底した抑圧と厳重な警備、そして秩序維持を目的とした強制医療
(いや医療とは呼べない懲罰としての医療)が必要となる。薬漬けや電気ショックの横行が予想される。精神外科手術すら復活しかねない
(精神外科手術は決して過去のものではない。少なくとも強迫性障害の「治療法」としてロンドン、ストックホルム、
ボストンでは精神外科手術が復活している。イギリスでは手続きも公に定められている)。
たとえ特別病棟を退所できたとしても、退所者には強烈な烙印が付きまとう。
果たして地域での生活など可能だろうか? さらにいま議論されているように退所後も特別な監視体制下におかれるとしたら、
人間らしい生活など一生奪われることになる。おそらく毎日こうした強制的な医療体制と付き合うだけの人生を押し付けられることになるだろう。
この保安処分を決して許してはならない。
☆「触法精神障害者」という用語は医療の用語ではない
「触法精神障害者」とは何らかの刑法に触れる行為をした精神障害者をさす言葉だ。これは医療の言葉ではない。
医療は患者本人の苦痛を取り除き病を癒すものであり、それはその患者が犯罪を犯したか否かによって対応の変わるはずのないものである。
「犯罪を犯した糖尿病患者」と「犯罪を犯していない糖尿病患者」で治療内容が異なるなどということはありえない。それはたとえ「精神病」
であろうと同じである。
「精神障害者」を「触法精神障害者」と「非触法精神障害者」に分け、それによって処遇や対応を変えよう、
という発想は本来医療の側から出てくるはすのないものであり、警察や検察官の「犯罪防止、再犯防止」を目的とした発想である。
精神科医はじめ医療従事者が「触法」という色眼鏡を通し患者を見るとき、すでに彼らは医療従事者の立場を捨て、警察官になるのだ。
いったん「触法精神障害者」などという用語を使い、「犯罪防止」の発想を身につけた医師、医療従事者は、いま現在「触法精神障害者」
とレッテルを貼られている患者だけではなく、私たち患者全員を「何をするか分からない危険な存在、
犯罪防止のために管理監視しなければならない存在」という目で見ることが習慣となる。
私たちはそうした人たちを医者とか医療従事者とか認めることはできない。そこに医療的な関係など成り立つはずがない。
こうした用語自体が私たち精神障害者全員に対する差別であり、この用語が精神医療業界で使われていること自体に私は抗議する。
☆今なぜ「触法精神障害者」対策か?
それにもかかわらず一部の精神科医は「触法精神障害者」という言葉を乱発し対策の必要性を主張する。なぜか?
法務省と厚生労働省は昨年「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇決定及びシステムのあり方などについて」合同検討会発足させた。
発足にあたっての主意書にも「精神障害者」の犯罪がとりわけ増加している事実はないことが述べられている。
法務省も厚生省もそこでは現在は国が何かしようとしているのではなく精神科医から「触法精神障害者問題」が提起されている、としている。
たしかにこの間の「触法精神障害者問題」の提起は日精協を中心として精神科医から出されてきたことは事実だ。
日本精神病院協会は98年9月25日付で定期代議員会および定期総会声明として
「触法精神障害者の処遇のあり方に現状では重大な問題があり、民間精神病院としても対応に限りがあることから、何らかの施策を求めたい。
こうした問題に対して全く対応がなされない場合、止む(ママ)なく法第25条(検察官の通報)第25条の2(保護観察所の長の通報)、
第26条(矯正施設の長の通報)等患者の受け入れについては、当分の間協力を見合わせることもありうる」 と恫喝した。
また99年の精神保健福祉法見直しへの意見書の中では以下の意見が出さた。
*措置入院の解除については指定医2名で行うことにする
(国立精神療養所院長協議会、日本精神神経科診療所協会)
*措置入院の措置解除に際し、6ヶ月間の通院義務を課すことができることとする。
(国立精神・神経センター)
*措置入院を、特別措置(触法精神障害者――犯罪を犯した者、検察官、保護観察所の長等の通報による入院)と一般措置に分ける。
特別措置については、国・都道府県立病院及び国が特別に指定した病院に入院することとする。
(日本精神病院協会)
*触法行為のケースの治療、措置解除時の司法の関与を明確化
(精神医学講座担当者会議)
こうした精神医療従事者団体の要請を受け、国会においても、99年の精神保健福祉法見直し議論の中で、衆参両院の委員会は法「改正」
の付帯決議として「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」旨の決議をした。
周知のごとくこの国の精神医療がさまざまな問題を抱え、いつでも誰でも、どこでも安心して受けられる精神医療にはほど遠い実態がある。
それにもかかわらず、医療従事者の側から「触法精神障害者対策」
にターゲットを絞った対策を論じなければならない根拠はどこも明らかにしていない。
彼らの本音は精神病院経営上扱いやすい儲かりやすい患者以外は受け入れたくない、入院中や退院後何らかの事件がおきて非難されたり、
賠償金を請求されるのは避けたい、ということである。そのためには「厄介な患者」をどこかほかのところに追いやりたい、
入退院について医療だけで判断して責任を追及されることを避け、責任をほかのところにおわせたいということになり、
措置入院の入退院判断の審査機関創設やら、「触法精神障害者」向けの特別施設新設の提言となる。
一方で現実に多くの「触法精神障害者」を引き受けている、という公立病院としても、
それを根拠に予算請求して行くために何らかの制度として特別病棟の新設を要求して行くことになる。
貧しい医療費、人手不足という物理的問題を抱えてゆがんだこの国の精神医療全体を底上げすることなく、
その場しのぎで特別な病棟を作れば、精神医療全体の貧しさはむしろ固定化されていくのではないか?
いや87年精神保健法成立以来の精神保健予算の減額につぐ減額の状況を見れば、この貧しさは固定化されることは確実である。
☆国家の犯罪こそまず問われなければならない。
毎年精神病院での患者虐待が告発されている。虐待を受けた本人、そして虐殺を目撃した患者の心の傷は癒しがたい。日常的に
「精神科救急」の名のもとに私たちは誘拐され監禁され、身体拘束、薬漬けや電気ショックで傷つけられている。
精神医療によって癒されるどころか、まず傷つけられている精神障害者があまた存在する。
犯罪被害者のPTSD同様こうした精神医療の被害者のPTSDは深刻ではあるが問題にさえされていない。
こうした精神医療の被害者もまた犯罪被害者である。
退院して暮らす場所がないゆえに長期入院のままで10年20年と精神病院にとどめられている患者が10万ともそれ以上とも言われている。
その中には同意など一切なく精神外科手術をされた方たちもいる。手術によって新たな障害を押し付けられた方たちである。
戦争によるPTSDを発病した方たちは戦後もそのまま閉鎖病棟に入れられたままでなくなっている。
戦争中戦争直後にかけてたくさんの精神病院入院患者が餓死した。
これらは歴史的構造的に精神医療体制を作り出した国家の責任である。国家としての犯罪といわなければならない。
いま現在も進行しているこうした精神障害者の人権侵害と虐待を許したままで、新たに「触法精神障害者」なる用語をもって、
人を予防拘禁する制度を作ることなど一切認めることはできない。精神障害者もいわゆる「重大な犯罪を犯した精神障害者」も人間である。
政府は精神病者監護法(1900年)以来百年間の国家の犯罪を償うことからすべてをはじめなければならない。「医療中断防止」
「早期発見早期治療」
対策を言い立てる前に精神科医そして精神医療従事者は日常的な医療行為の点検と当事者からの批判に答える作業を開始すべきである。
たとえば長期入院患者の高齢化を考えただけでも、「触法精神障害者対策」など今論じている暇など本来ない。
それとも国家的犯罪の被害者である、長期入院患者が死に絶えるのをこの国は待っているのか?
本来国がなすべきことをサボタージュし、目くらましとして「触法精神障害者」
とレッテルを貼られた方たちをいけにえにすることを許してはならない。