1999年6月発行のニュースです。一部のみの掲載となっております。一般定期購読は有料(年6回発行1年分5000円)です。
- 目録
ごあいさつ
死刑と精神鑑定
いまなぜ触法精神障害者問題なのか
夏期カンパアピール
SSKO
全国「精神病」者集団ニュース
- 1999.6 Vol.25 No.2,3合併号 東京都三鷹郵便局留め
ごあいさつ
夏がやってきました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか?
「精神病」者にとっては魔の季節でもある春を無事にやり過ごせたでしょうか?
精神保健福祉法の見直しがこのニュースがお手元につく頃は国会で成立していると思いますが、この国会での議論の過程で衆参両院の委員会において付帯決議として「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」といった内容が決議されました。
またすでにニュースで報告したように週刊朝日による保安処分推進キャンペーンもおこなわれました。
このニュース版下制作以降ですが、5月末には日本精神神経学会総会においては「司法精神医学の現代的課題――日本の触法精神障害者対策の在り方を巡って――」というシンポジウムが開かれます。
「対策」とは現象や敵に対して使う言葉であり、「触法精神障害者対策」という言葉は、違法行為をおこなった「精神障害者」を「共に生きる人」とではなく、敵として「対策」の対象にすることを意味しており、保安処分思想そのものです。
学会は「反保安処分」の立場を転換し、保安処分思想を表明していると言っていいと思います。
これに対して全国「精神病」者集団としては学会闘争で取り組みますが、詳しいご報告は次号で致します。
また同封ビラにもありますように、精神保健福祉法見直しにおいて「強制的移送制度」が法定化されました。
87年の精神保健法施行以降そして精神科救急の整備の中で新規措置入院が増加しましたが、この「強制移送制度」もどう運用されていくかを考えると恐ろしいことです。
私たち「精神病」者は地域でもいつ逮捕強制入院されるか分からない現状が、さらに法的に強化されました。
安心して地域で暮らす権利を私たち「精神病」者は法的に否定されたといってよいでしょう。
今後さらに保安処分推進キャンペーンが続く中、私たち「精神病」者への人権侵害は止めどもなく拡大していくおそれがあります。
こうした動きに対し全国「精神病」者集団としていかなる闘いを進めて行くべきか、多くの会員の皆さまの声を全国「精神病」者集団までお寄せ下さいませ。
久しぶりのニュースとなりましたが、学会関係のビラのため、多くのご投稿を次号回しとしたことをお許し下さいませ。
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死刑と精神鑑定
全国「精神病」者集団
大野萌子赤堀政夫
1989年12月国連総会は死刑廃止条約を採択した。
いみじくも同年1月31日、実に35年ぶりに「死刑囚」赤堀さんが解放された。
弁護人に付き添われた赤堀氏は高々とVサインを示し裁判所から実社会に戻った。
赤堀氏59歳。
フレームアップの汚名を晴らした勝利の日であった。
そして、赤堀氏の無実を信じ赤堀氏と共に闘った精神障害者、身体障害者、それに連なる者たちの義と熱と力の闘いの勝利の日であった。
また全世界のアムネスティのメンバーとその勝利を喜び分かち合う日でもあった。
赤堀さんは精神病院入院歴があり、それゆえに職にもつけず放浪生活を強いられ、不在証明(アリバイ)の立証が難しく、フレームアップされた。
いや、赤堀氏の抹殺を企てた者たちは警察、検察、裁判官である。
中でも精神鑑定書で赤堀氏の人物像を「殺しそな人物」と描き裁判官の心証形成に絶大な影響を与えたのは、ほかならぬ精神科医師たちである。
死刑囚として35年、この途方もない闘いの軌跡の中心を述べてみたい。
事件の概要
赤堀氏がフレームアップされた事件を社会は「島田事件」と呼ぶ。
1954年3月10日、島田市内の幼稚園から六歳の園児が何者かによって連れ去られ、郊外の山林で惨殺されたのである。
その捜査にはこれといった物証がなく、犯人目撃者が9人と「犯人と幼女の足跡」があったのみである。
ここでフレームアップをする警察の体質とその特色を述べたい。
まず第一に見込み捜査である。
いわゆる被差別人民にターゲットを絞る。
島田事件では被差別部落民、前科者、変質者、アル中、浮浪者、精神障害者であった。
その数二百数十名におよんだ。
後に赤堀さんへの拷問について述べるが、そのターゲットにされた人々から「自白者が数人」出るほどのすさまじいものであった。
第二にフレームアップは事件とは関係ない別件で連行する。
赤堀氏の場合は1954年5月、放浪中不審尋問にあった。
赤堀氏は何ら躊躇することなく「静岡県島田に本籍のある赤堀政夫」と応答した。
しばらく交番に留めおかれた赤堀氏は、島田市の警察に令状を示されることもなく「窃盗」で逮捕された。
現地島田市近くの浜松駅で下車させられた赤堀氏を待っていたものは、新聞記者やカメラマンのフラッシュであった。
すでにできあがった警察のストーリーと罠、そして赤堀氏の悲劇の序曲の始まりであった。
自白調書
容疑者の取り調べは常に警察署の密室である。
したがってその現場は、捜査官以外の見聞は不可能といえる。
そうであるがゆえに罠にはめられたものに自白を強要できる。
第三のフレームアップの問題点は、まさにこの自白の強要である。
そして誘導もまたしかりである。
事件当時島田市に不在、放浪中の赤堀氏に不在証明(アリバイ)は皆無であった。
事件に関与していない証明力に欠けた。
再び強調して置くが、赤堀氏と事件とを結びつけ関係を示すものは何一つないのも当時の状況であった。
ではいかにして警察は赤堀氏をフレームアップしたのであろうか。
以下は1974年12月6日、赤堀氏が裁判所へ提出した10万字の上申書から抜粋する。
「16時間の間ひだは一度も私には便所へはいかせてはくれないのです。
調べのときにです。
スワッタママデ私ワ小便ヲモラシタノデアリマス。
余りにもヒドイ、ザンギャクナムゴイゴウモンデ攻メのです。
私は人ゴロシハヤッテオリマセンデス。
罪ハ犯シテオリマセンデス。
赤堀政夫はムジツノ、ムジツノ者デアリマス。
全然全然シラナイコトヲ言エト言ウノガムリナコトデアリマス。ヒドスギマス。」(原文のママ)
赤堀氏は、殴る蹴るの繰り返しを行う捜査官に心身共に追いつめられ、際限のない自己崩壊へ陥れられた。
その上で警察官は次のように述べている(上記の上申書)。
「お前が知らないというなら、我々がお前に解るようにゆっくりと詳しく話してやるから聞いているように」と赤堀さんに迫っている。
赤堀氏は上申書で次のように述べている。
「二人の人がイロイロナカッコウヲヤッテ、オマエニミセテヤルカラヨク二人リの人がヤルコトヲミテイヨト言イマシタノデス。
事件のことについての話しであります。
一人りの人が犯人の男の代役になりました。
ほかの一人の人は女の子の代役になってやりましたのです。
別の一人が話役をやりましたのです」
こうして赤堀氏は島田事件の概要を知らされた。
上申書は当時の赤堀氏本人の心的状況についても次のように述べている。
「これ以上のヒドイザンギャクナ、ムゴイムゴイ、ゴウモンヲヤラレルノガコワイカラデス。
調べ官の人たちから事件の話を前にききましたのです。
シカタガナク事件の話をクリカエシテ、ユックリト調べ官の人に話したのです」
さらに自白現場の詳細を上申書から述べる。
「大ゼイノ調べ官の人たちがイヤガルコト私の手に万年筆をムリヤリニニギラセテ私の手クビヲ上カラツカマエテ、用シニナマエヲムリヤリニ書カセタノデス指(朱)肉を手ユビニ付ケマシテカラ私の手クビヲ上カラツカミマシテ、ナマエの下へムリヤリニ指印ヲムリヤリニ押サセタノデアリマス」
自白は拷問と誘導で強制的に取られた、その記憶は聞く者に強烈なイメージをあたえ、しかも訴える力を持つ。
しかも当時、自白調書は警察で13通、検察で6通、したがってストーリーと自白の粗雑さを否応なしに知ることができる。
フレームアップの第三の問題点は自白の強制である。
自白は1954年5月30日のことであった。
拷問は日本の憲法36条、38条で禁止されている。
証拠の石のねつ造
幼女殺害現場は、遺体を中心として半径6メートル以内で検証されていた。
物的証拠は何一つ得られていなかった。
自白はしょせん虚構のもので細部において矛盾が生じてくる。
その一つに、幼女の胸の傷は何で殴打したかが問題となった。
警察は胸の傷を石で殴打したものと推論した。
赤堀氏が強制自白させられた2日後の6月1日、つまり事件発生80日後、突然その石が発見された。
再び上申書から捜査官のやり口を見てみたい。
警察官は赤堀氏の面前で次のように述べている。
「何か石ノヨウナモノデナグッタノデハナイカトボクハ思ウト前の人がイイマシタノデス。
ボクハゲンバヘイッタガアノゲンバニハ石ハ一ツモオチテハイナカッタゾ、石ハ落チテハナカッタヨト言イマシタノデス。
他の人が言いましたのです。
君たちもっと頭を働かせ大井川行ッテ手ゴロナ石一ツ拾ッテクルノダヨ。
ソレヲ現場へもちかえって女の子の死体の近くに石ヲオイトクノダヨ(中略)本署に石ヲモチカエッタノデス」
赤堀氏の面前で臆することなく石はねつ造された。
これ以上筆者の言語は続かない。
精神鑑定と差別裁判
赤堀さんを待っていたものは裁判であった。
ときに1954年7月2日が第1回公判である。
検事による起訴状朗読後「この起訴状は違っている」と叫び、赤堀氏はそれを検事にたたきつけた。
以降、赤堀氏は一貫して無実を主張し続けた。
しかし裁判は自白を王とする自白偏重が現実である。
一方赤堀氏を無罪と信じる弁護人と兄一雄氏は、赤堀氏のアリバイ証明に奔走した。
赤堀さんの手紙や絵図面を頼りに放浪中の足取りを立証し、自白をくつがえすとてつもない作業であった。
しかし裁判はそれとかかわりなく進行していった。
時間が圧倒的に足りず、赤堀さん不利の状況であった。
公判1年後1955年6月、弁護人から申請されたのが精神鑑定であり、その下で裁判長は精神科医師にその鑑定命令を行った。
鑑定命令は「自白時及び現在の精神状態について」である。
「異常があるかどうか?」と「その程度および原因について」が鑑定者への依頼であった。
弁護人の思惑は「死刑だけはまぬがれさせたい。
そのため限定責任能力」を期待したのである。
選択された一つの法廷戦術であった。
一方精神鑑定者にはニセの自白調書のみが入手されていた。
赤堀氏は鑑定のため移送された病院で自白は強要されたものだと答弁書を書いている。
鑑定人らはニセ自白書を信じるか赤堀氏を信じるか複雑な状況におかれた。
しかしニセ自白書に依拠した。
精神障害者差別に鈍感な医師たちは赤堀氏の主張を切り捨てた。
その関係性は、言語の封殺、また無効化であるがこれほどまでに明らかにされた象徴的な事例はない。
ここで赤堀氏より筆者に送られてきた精神鑑定状況の恐怖の体験に耳を傾けてみよう。
「警察官の人タチガツクリ上ゲタ、ギサクノ調書ヲバ見ながらイロイロ事件問題について質問をするのですよ。
その前にマスイヤクノイソミタールという注射をば、ウチマシタノデス。
アタマの方ハボーットナリマス。
ネムケガシマス。
イロイロと質問をしたが、私の方はクスリガキイテイルノデスカラ、ナニヲハナシタカゼンゼンワカリマセンノデスヨ。
私は人をころしていませんです。
犯人ではないのです。
ハッキリ先生方に向かってこたえましたがムダデアリマシタ。
ムリヤリ仮自白ヲサセタトキト同じです。
ヒドイデス。
ヒキョウナヤリ方デス」
イソミタール面接は人道上拒否されねばならない。
しかし赤堀さんの2度目の拷問は「科学者」の「科学」によるものによって行われた。
しかも恐ろしいのは、赤堀氏覚醒後医師に「君は殺ったといった」と脅迫されたのである。
イソミタール面接中「殺ってない」と主張した赤堀氏にウソで脅迫し、口を割らせる医師の差別性にめまいすら感じる。
精神鑑定主文は「軽度の精神薄弱者で、感情的に不安定、過敏で衝動的な面もある」と述べている。
誤った赤堀氏像がこうして固定化された。
それが裁判官にどれほどの心証形成をあたえたろうか? それははかりしれない。
裁判官は自由心証主義あるいは自由裁量の位置にあるが、赤堀氏を固定化されたフィルターで見て証言、立証をことごとく切り捨てた。
そして死刑は宣告された。
赤堀氏第1審の判決文では「かかる行為は通常の人間にはなし得ない」、また「いつどこを放浪していたかについて明確な記憶を持っていなかったと認めることが判示のごとき被告人の知能程度に照らしても自然なことである」と強弁した。
その上で「しかし生活歴から見ても本件のごとき重大事件に付き被告人が相当鮮明な記憶を持っていたと
しても、怪しむに足らない」と死刑判決を行った。
いかなる立証、また、「事実を事実」として争うのが刑事法廷の原則であっても、差別的ラベリングの下ではそれらはすべて、無効化し無力でしかなかった。
私たちはこうした差別によるフレームアップを洞察し、赤堀氏の声を指針として闘った。
最後にすべての国の同胞に伝えたい。
精神障害者への差別をいかなるものにも一切行わせない決意を持って解放闘争を前進させてゆかれるよう熱望してやまないことを。
より過酷な差別状況下におかれている同胞と共に呼吸し連帯し学んでゆかれることを述べスピーチを終えたい。
いまなぜ触法精神障害者問題なのか
日本精神神経学会は反保安処分の姿勢を今一度明らかにせよ
保安処分攻撃の現状
1983年宇都宮病院事件告発以降、日本精神病院協会及び一部の精神科医の中では、
「日本には保安処分制度がないから悪徳病院における患者虐殺・虐待が起こる」、
「処遇困難者が私立精神病院に押しつけられているから患者虐待が起きる」、
「処遇困難者は特別病院に入れる制度を新設すべき」、
「ヨーロッパ諸国等で精神病院開放化や患者の人権擁護が進んでいるのは保安処分制度があるおかげである」
といった意見が声高に叫ばれるようになった。
また「ノーマライゼーション」や「社会復帰」を盛んに主張する専門家の中には「触法精神障害者」が「精神障害者」の「ノーマライゼーション」や「社会復帰」の足をひっぱっており、こうした部分を手のかかる部分として排除すべきと主張する部分も存在する。
そうした流れは「処遇困難者専門病棟」新設策動として結実したが、私たち「精神病」者はじめ多くの専門家団体、労働組合等の反対によって「処遇困難者専門病棟」新設は今のところとん挫している。
しかし、「措置入院制度の強化を、違法行為を行った精神障害者に対し特別な対応・施設を」といった動きは今回の精神保健福祉法見直しにおいても各医療従事者団体より主張されており、見逃すことはできない。
以下羅列すると、
*措置入院の解除については指定医2名で行うことにする。
(国立精神療養所院長協議会、日本精神神経科診療所協会)*措置入院に関して、保健所、精神保健福祉センターなど精神保健関連行政機関が有効に関与できるシステムにするとともに、措置入院全体の経過に関して責任を明確にすること。
(全国精神保健福祉センター長会)*措置入院の措置解除に際し、6ヶ月間の通院義務を課すことができることとする。
(国立精神・神経センター)*措置入院を、特別措置(触法精神障害者――犯罪を犯した者、検察官、保護観察所の長等の通報による入院)と一般措置に分ける。
特別措置については、国・都道府県立病院及び国が特別に指定した病院に入院することとする。
(日本精神病院協会)*触法行為のケースの治療、措置解除時の司法の関与を明確化
(精神医学講座担当者会議)などである。
全国「精神病」者集団としては昨年こうした意見提起に対し危機感を持って緊急声明を出し、同時に日本精神神経学会に対して、「措置入院制度強化に反対する意志表示」を要請したが、この要請は理事会において拒否された。
今回の精神保健福祉法見直しにおいてはこうした意見に基づく法改悪は行われなかったが、こうした動きの中で、参議院国民福祉委員会では付帯決議として「重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方については、幅広い観点から検討を行うこと」が決議された。
一方日本精神病院協会は98年9月25日付で定期代議員会および定期総会声明として「触法精神障害者の処遇のあり方に現状では重大な問題があり、民間精神病院としても対応に限りがあることから、何らかの施策を求めたい。
こうした問題に対して全く対応がなされない場合、止む(ママ)なく法第25条(検察官の通報)、第25条の2(保護観察所の長の通報)、第26条(矯正施設の長の通報)等患者の受け入れについては、当分の間協力を見合わせることもありうる」と恫喝している。
また週刊朝日が「危険な精神障害者野放し、新たな対策、施設を」といったキャンペーンを昨年末から今年にかけて行っている。
こうした動きの背景にあるのは北陽病院に対して多額の民事賠償が決定されたことだ。
これは措置入院中の患者が脱院し横浜で警視を刺し殺した事件において、北陽病院の責任が追及されたものである。
こうした多額の賠償責任への恐怖から日本精神病院協会は上記の方針を出している。
日精協の本音は「いままで精神医療を担ってきたわれわれとしては、これ以上の既得権侵害は許さない。
医療だけではなく保護でも金を取りたい、福祉でも儲けたい。
そのためには扱いやすい、儲かる患者だけを入院させたい」ことにある。
こうした動きの積極的「科学的」支持者、同盟者が
(略)
○○○医師である。(HP作成者注:HP用に一部伏せ字にしてあります。)
そして消極的支持者は日本の精神医療が治安に奉仕してきた側面、精神保健福祉法の治安的側面を無視し、「社会復帰活動」やら「ノーマライゼション」を唱えさえすれば、「精神病」者の利益になると錯覚している専門家の大群である。
かくして今総会において「司法精神医学の現代的課題――日本の触法精神障害者対策の在り方を巡って――」というシンポジウムが法務省、厚生省、警察庁、日弁連を招き開催され、当事者である触法精神障害者抜きの意見交換がされようとしている。
この当事者抜きのシンポジウムを私たちは弾劾する。
私たち「精神病」者はなぜ保安処分および触法精神障害者への特別な施策・施設に反対するのか?
保安処分とは違法行為を行った「精神障害者」を、その危険性を根拠に、一般の精神病院とは別の特別な施設に予防拘禁し、その「危険性」除去のために強制医療を施すものである。
そもそも○○医師も言うように、「精神障害者」の違法行為者であろうと健常者の違法行為者であろうといずれも再犯の危険性は存在する。
(略)
しかし「危険性」のみを根拠に人を拘禁することが許されるだろうか? 健常者の違法行為者に対しては「累犯者に予防拘禁を」という声はとりあえずはない。
「殺人」を犯そうが受刑後出所して社会生活を送っている健常者はたくさん存在するし、その中で再犯を犯す者も存在する。
しかしなぜ「精神障害者」に対してのみ「危険性」のみをもって拘禁することが正当化されるのか? 合理的根拠は存在しない。
そこにあるのは「精神障害者」は「犯罪を犯しやすい」とする「精神障害者」への偏見と、「精神障害者」の予防拘禁による人権侵害は仕方ないと容認する「精神障害者」差別しかない。
いかなる危険性も排除しようとする社会は恐るべき危険な社会である。
完全に人民が支配され、日常生活の隅々までそして内心の自由まで管理された全体主義的社会である。
現在日本はこうした方向に突っ走っている。
ガイドラインの成立、組織的犯罪対策法の上程、国民総背番号制の導入がなされようとしている。
これらは戦争に向け国民を動員し、そしてそれに反対するいかなる団体も弾圧し、通信や結社の自由を侵害し、全国民を管理しプライバシーを侵害していく法律である。
こうした中で「精神障害者」への治安的な弾圧が強化されるのは必然である。
歴史的に治安が問題になるとき、常に「精神障害者」への弾圧が強化されてきた。
私たちはこうした歴史が繰り返されること、そして「危険のない社会」「全体主義的社会」を断固として拒否する。
私たち「精神障害者」は「発病」と同時に、「厄介者」「危険な者」として、家庭から、地域から、学園から、職場から追い出され精神病院への強制入院させられてきた。
こうした排外を私たち「精神障害者」全員が体験している。
だからこそ私たちは一部の仲間を特別な施設に追放した上での、「社会復帰」や「ノーマライゼーション」、「精神病院の開放化」を決して望まない。
私たち自身が体験した排外を一部の仲間に押しつけていては、私たちは1分1秒でも自由ではあり得ない。
「触法精神障害者」あるいは「犯罪を犯した精神障害者」をいけにえにした自由など私たちは欲しない。
「精神障害者」への予防拘禁を許すことは、先に述べたように「精神障害者」への偏見と差別を認めることであり、これは即座に私たち「精神障害者」全員に向けられる偏見と差別の容認につながる。
私たちは「精神障害者」に対する一切の分断攻撃を許さない。
保安処分および触法精神障害者への特別な施策・施設を許せば何が生まれるか?
保安処分あるいは特別病院・病棟を許すと、そこに拘禁される「精神障害者」はどうなるか? まずこうした施設は財政的理由から数少ないものとなることは当然予想される。
したがってそこに入れられた「精神障害者」は家族や友人地域から隔離され遠くの施設に強制的に送られることとなる。
また第三者機関か裁判所命令で拘禁されるとしたら、本人はもちろん家族、主治医が反対しても強制的に拘禁されることとなる。
そしてこうした「特別施設送り」は強烈な烙印となって、「危険な精神障害者の中でさらに危険な恐ろしい者」とされ、対象者は地域から隔離追放されることとあいまって社会復帰など不可能になる。
かりに一般の精神病院に戻ってもこの烙印ゆえにほかの「精神病」者や精神科医はじめ医療従事者から差別され特別扱いされることとなるだろう。
現実にイギリスの特別施設からの釈放者はそこにいたことを決してあかすことができない実態があり、むしろ刑務所にいたと言った方が地域で受け入れられるそうである。
また特別施設で行われる医療は、本人の利益ではなく「危険性の除去」を目指した医療であり、当然強制医療となる。
そこではかつてN医師が発言したように「違法行為を行った精神障害者に対して自殺をせまるような濃厚な治療」が強制されることになる。
「再犯の危険性の除去」は自由な意志を持つ人間存在の否定であり、人間としての尊厳への医学・医療の介入、冒涜である。
こうした思い上がった医学・医療の存在は倫理的荒廃を生み出し、医療従事者の退廃を生み出すことは必至である。
対象者にとっては特別施設の拘禁と強制医療は、いわば「刑罰」であり、医療提供者と本人の間での対等な関係は破壊され医療的関係は存在しえない。
そしてその傲慢な医学・医療は、当然にも電気ショックや精神外科手術、不妊手術や性的能力を奪う手術等の実質的強制につながる。
そこでは本人の治癒などあり得ないしむしろ障害の重度化が生ずる。
また精神保健福祉法見直しにおける意見にあったように、対象者には施設に収容されていなくても、地域での監視制度や強制通院制度の対象とされることが予想され、ここでもその圧力による症状の悪化が生ずる。
そして「危険性の除去」を目的とした予防拘禁や地域での監視は、そこからの「釈放」や対象者からの除外にあたっては「安全の保証」を要求される。
そうである以上責任追及を恐れる当局および医療従事者は「釈放」や制度対象からの除外にあたって極度におびえ、「釈放」や「除外」は例外的となり、対象者は永久に監禁されるか監視対象となる。
いったんこうした特別施設を容認すると、一般の精神病院は開放化され、改善されるだろうか? 断固として否と言わざるをえない。
民事訴訟による賠償責任を恐れる精神病院経営者・医療従事者は少しでも「厄介」と判断した患者を特別施設に移送することに汲々とすることになり、また特別施設からの患者の受け取りを拒否することになる。
また政府も「厄介者は特別施設で引き取ったから、一般精神病院は現状でいいだろう」ということで、差別的特例の撤廃など永久に不可能となるだろう。
こうした状況下で一般の精神病院における医療技術は低下し、医療提供側にとって「扱いやすい患者」にしか対応できない状況が固定化されていく。
現実に特別施設や保安処分制度のある国では「少しでも厄介な患者は特別施設に送る」、「特別施設からの患者は拒否する」という状況が生まれ、特別施設が満杯になるという実態がある。
私たち全国「精神病」者集団は国際的に患者会との交流を通して各国の保安処分体制の情報収集につとめている。
イギリスの「精神病」者団体で「精神障害者」の違法行為者の救援も行っている、サヴァイヴァー・スピーク・アウトのルイーズ・ペンブロック氏はM医師の「イギリスのセキュリティ・ユニットでは患者は満足して希望を持っている」という意見に対してどう思うか、と質問したところ、「なぜ!?」という悲鳴と共に、そこに入れられている仲間は満足どころか人権侵害状況に苦しめられていると説明してくれた。
そして彼女は自分たちがイギリスでセキュリティ・ユニットの存在を許しているので、M医師はじめ日本政府がそれを日本に導入しようとしているのでは、と言って日本の「精神障害者」に申し訳ないと謝罪した。
もっともこれに対しては、日本の「科学者」や政府は常に自分たちがやりたいことについて、「諸外国では……」と言って都合のいい情報だけをつまみ食いして合理化するのが常であると言っておいてが……。
また私たち全国「精神病」者集団は一昨年会員2名をオランダに派遣し、オランダの保安処分施設TBS施設の一つである、ユトレヒトのドクター・ヘンリ・ヴァン・フーヴェン・クリニックを訪問し、職員抜きで入所者と交流した。
オランダにおいては患者の権利擁護制度や治療拒否権が一般精神病院では確立しているが、TBSにおいてはこれらは一切なく、TBSは一般精神医療から隔絶されている。
もちろんTBSは一生出られない可能性もあり拘禁期間は不定期である。
クリニックでは職員とほかの患者との委員会によって、外出許可その他すべてのことが討論されていくことになっており、巧妙な相互監視と密告制度により、入所者には一切プライバシーは存在しない。
もちろん最終的決定権は職員にある。
常に職員に対して「進歩」を見せていくことが求められ、当局の望む繰り人形になることでしか釈放の望みを持つことはできない。
これらについては外でパンフを販売しているのでぜひ読んで欲しい。
私たちは国際的な情報からも保安処分施設や特別施設を日本には決して作らせてはならないと決意している。
○○○医師はじめ医療従事者の繰り返す、諸外国の保安処分施設特別施設は素晴らしい、という発言は入れる側の論理でしかなく、入れられる側の認識についての調査がない一方的評価に過ぎない。
○○○医師の誤り
刑法は本来「犯罪者のマグナカルタ」であり、犯罪者への恣意的刑罰権を否定するために生まれた法律である。
そしてその手続き法が刑事訴訟法である。
近代刑法の原則は責任主義と罪刑法定主義であり、ある行為が「犯罪」となる構成要件は行為があったこと、その行為に違法性があること(=刑法条文上にあげられた行為であること)、責任能力があること、の3つである。
この要件があって初めて検事はその人を起訴できる。
したがって現行刑法において、責任能力がない者すなわち心神喪失の者の行為は犯罪でない以上起訴され公判にかけられないことになるのは当然である。
この前提の上で精神保健福祉法25条において検察官通報が義務としており、「検察官は、精神障害者又はその疑いのある被疑者又は被告人について不起訴処分にしたとき、裁判(懲役、禁固又は拘留の刑を言い渡し執行猶予の言い渡しをしない裁判をのぞく。)が確定したとき、その他特に必要を認めたときは、すみやかに、その旨を都道府県知事に通報しなければならない。」となっている。
こうして不起訴あるいは心神喪失により無罪等になった者は精神保健福祉法の精神鑑定を受けさせられ、措置入院のルートにのせられる。
この精神鑑定は公判とは違い、違法行為を行ったという事実を立証する責任も持った検察官は存在せず、それを要求する弁護人も存在しない。
証拠が反対尋問されることすらない。
鑑定医は検察、警察の言い分を鵜呑みにし、本人の訴えに耳を貸そうとしたいことはわれわれの精神科医との診察場面から当然想像できる。
この場合違法行為を行ったという事実が警察、検察の誤認の場合もありうる。
違法行為があったとしてもたとえば傷害、殺人でも正当防衛という場合もありうる。
これらの場合起訴公判になれば当然無罪となるのに、不起訴であるがゆえに「違法行為を行った精神障害者」というラベリングをされ、長期あるいは一生措置入院される可能性がある。
仮に保安処分新設や特別施設が作られれば、このラベリングによってそうした施設に送られ一生監禁される可能性もある。
いったん措置入院となれば、とりわけ「殺人」を犯したとなれば、健常者が判決で受ける刑期以上、多くの場合は一生精神病院に監禁されることになる。
現実に1997年6月30日現在において厚生省の統計によれば全措置入院患者数は4772名、その内10年以上20年までの措置入院患者は16.3%、さらになんと37.7%が20年以上の入院となっている。
すなわち全措置入院患者の54%が10年以上措置入院されていることになるのだ。
さらに精神保健福祉法29条の4によれば、措置入院の解除にあたっては都道府県知事の指定する指定医による診察の結果、自傷他害のおそれがなくなったと見なされることが条件となっており、単に主治医や家族の都合で措置入院が解除される訳ではない。
また同法29条の5においては措置を解除した際には措置入院者の症状消退届けを最寄りの保健所長を経て都道府県知事に届け出ることになっており、その書式には措置年月日、本人の氏名、生年月日、住所、病名、症状の経過、入院継続か通院医療か、転医か、その他か、さらに退院後の帰住先住所、保護者の住所氏名、生年月日まで書くことになっている。
いったん措置入院となればこれだけの個人情報が行政に把握されることになっている。
○○○医師の主張とは異なりいったん措置入院となった違法行為を行った「精神障害者」は健常者以上に過剰に長期拘禁され、監視されているのが実態である。
少数の例外をあげつらう前にこの広範な人権侵害の実態、すでに現存する保安処分体制=「危険性をもって人を予防拘禁している実態」について問題にすべきである。
また歴史を振り返れば、有名な事件の実行者とされた「精神障害者」は全て自殺に終わっている。
ライシャワー刺傷事件の人、現天皇の結婚パレードに石を投げた人、近くは西口バス放火事件の丸山さん、そして故Y議員の娘さん、全て自殺に終わっている。
この事実に○○○医師はどう答えるのか?再犯を繰り返す事例よりはるかに多いのではなかろうか? その統計すらないことに私たち「精神障害者」の悲劇がある。
○○医師はさらに保安処分制度、特別施設がないために違法行為を行った「精神障害者」が精神病院において過剰な行動制限を受け生命の危険にまでさらされていると主張するが、これこそまず精神保健福祉法の撤廃と、精神医療の実態の底上げをもって解決すべき問題である。
厚生省の統計(1996年)によれば都道府県立以外の措置入院指定病院において医療法特例の医師数が配置されていない病院は約29%、医師以外の職員配置でも医療法上に非適合な病院は約34%をもしめている。
措置入院という形で強制的に予防拘禁しておいて適正な医療を保障する最低限の物理的条件である医療法特例の人員配置すら満たさない実態こそをまず問題にすべきである。
また再犯を繰り返す「精神障害者」が存在するという論文を○○医師は書いているが、その根拠となっている資料は全て法務省、検察、警察の資料である。
自白調書も含め警察検察の資料は全て公判において反対尋問にさらされていないものである。
事実かどうか検証されていない資料を根拠に○○医師がいかに論理を立てようとも砂上の楼閣に過ぎない。
昨年の日本精神神経学会の沖縄での○○○医師のセミナーにおいて、こうした追求と共に、「あなたは自分の論文の根拠となった事例の当事者に取材しているのか?」と質問したところ、○○○医師の回答は「一切当事者には聞いていない」と回答している。
まさに○○○医師の論文は一面的な根拠なき論文に過ぎない。
さらに○○医師は被害者感情について強調する。
被害者の相談窓口、セルフヘルプグループへの援助は当然であり、また被害者に対する経済的保障は国家の法として交通事故並みに保障すべきである。
被害者への経済的保障や援助については私たちも死刑廃止運動の中で主張しているところである。
しかし被害者感情を慰めるために、「精神障害者」への保安処分を認め、人権侵害を認めろという主張を私たちは決して認めることはできない。
迂遠な道であろうとも、精神医療が医療の名にふさわしいものとして再生することにしか、精神医療への信頼回復の道はない。
私たち「精神病」者は日本精神神経学会に保安処分反対の旗を再度掲げることを要求する。
全国「精神病」者集団は日本精神神経学会に対し、刑法改悪=保安処分新設に反対し、いかなる保安処分策動も許さず、保安処分を導入する思想と対決し、その思想を徹底的に医療現場から放逐することを要求する。
これなしには私たち「精神病」者は安心して精神医療を受けることはできないし、また精神医療が医療の名にふさわしいものとなることはあり得ない。
1999年5月
第95回日本精神神経学会総会に向けて
全国「精神病」者集団
夏期カンパアピール
精神医療の「近代化」「洗練化」のため、新規措置入院が増加しています。
また精神保健福祉法見直しにおいて強制的な移送制度の合法化により、地域の「精神病」者の生存権は侵害されようとしています。
日本精神神経学会およびマスコミ、国会議員の中で保安処分推進論があからさまにキャンペーンされています。
こうした状況下で、全国「精神病」者集団は「一人の仲間も排外しない。保安処分の対象者を内包する」という姿勢で闘いを繰り広げなければなりません。
全国「精神病」者集団の基盤である獄中者、精神病院入院者、そして地域で孤立した仲間にとって、ニュースと手紙電話での交流は命綱です。
この命綱を守るためにも全国「精神病」者集団は存続し続けなければならないと決意しております。
しかし会計報告にありますように全国「精神病」者集団は大幅な赤字に苦しんでおります。
5月27日現在赤字は約15万円でこれは一会員からの借金でしのいでいます。
このままではニュース発行もままならない事態となります。
今後も助成金申請や有料ニュース購読者の拡大などの自助努力を重ねていく決意でおりますが、なにとぞカンパ要請にお応えいただけますようお願いいたします。
また今回ニュース購読料請求の用紙の入っている方は、なにとぞ継続してニュース購読いただきニュース購読料をお振り込みいただけますようお願いいたします。
資料代未納の方もお振り込みをお願いいたします。
郵便局に行くのが面倒な方は切手で送っていただいてもかまいません。
1999年6月
全国「精神病」者集団
振込先 郵便振替口座 00130-8-409131
口座名義 絆社ニュース発行所
現金書留
〒923-8691 小松郵便局 私書箱28号 絆社ニュース発行所
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(※HP用に名称など一部省略して掲載しております)