全国「精神病」者集団ニュース 2014年2月 抜粋

ごあいさつ

新しい年を迎えました。厳しい寒さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

障害者権利条約は国会の承認を経て、あとは正式な批准手続きという段階ですが、素直に喜べる状況ではありません。

差別解消法が成立した国会では先にお知らせしたように運転免許について新たな障害を精神障害者にもうけた道路交通法改悪がなされ、さきの国会では精神障害者のみ重罰に科すという危険運転罪が新設されました。もちろん秘密保護法による適正調査は精神障害者差別そのものです。条約についても国内監視機関に障害者政策委員会が当たるということですが、実質的に動けるのか、予算や事務局体制も不明です。

さらに政府は国連の人権各条約の委員会からの勧告もしたがう義務はないとしています。これでは条約は単なる紙切れとなってしまいます。

 その上生活保護法改悪、精神病院の病床を居住施設に看板架け替えてそこに移れば退院なんていう話まで出ています。

厳しい年明けです。しかし私たちは生き抜きます。全国「精神病」者集団も仲間が生き延びるための闘いを新たに決意しています。今年もよろしくお願いいたします。

私は統合されるべきであろうか?

                         長野 M

私は、統合失調症と精神科で名付けているところの「病気」である。

 

私は、最初の主治医の巧妙なトリックにかけられて以来、拒薬の心理状況を描写したことはあっても実際に拒薬=服薬を拒否したことは一度しかない。

ある入院中のことであるが、夕食のアナウンスがあってもなかなか

食事のお盆を取りに来ないので、看護師が個室の私の部屋迄食事のお盆をもってきてくれた事がある。その当時としては珍しい処遇である。そのお盆には番茶と夕食後のクスリがすでにセットしてあった。

病院では、食事は部屋で取ろうがホールで取ろうが自由であったが食事を運ぶ台車が病棟に到着すると同時にアナウンスが流れて患者が台車に群れる。お盆にはひとりひとりのネームが置いてあり普通食か流動食かお粥か、椎茸などの刻み方牛乳だめ玉葱だめなど色々な患者の要請に応えて作られている。下膳したらヤカンとクスリの用意してある机に集まりなおして、名前を呼ばれた順に看護師の手渡しのクスリを飲む。

ところが今、個室のお盆には食べる前からクスリがセットされている。私は大混乱に陥り中途で拒食、拒薬して、車で二十分位の自宅に戻り、「病院に戻りたくない。」と訴えた。

外泊許可のない外泊である。兄が元気だった頃で、クスリは兄が病院迄取りに行ってくれた。家で夕食を取ったかどうかは覚えていないが、一泊してクスリを眠剤、朝食後と飲み、病院にもどったと思う。外泊ゆえ外から鍵のかけられた病室の鍵を昨晩と違う看護師が

開けて入室をすすめた。私は(今から思えば当然の風景なのであるが)愕然とした。テーブルの上にはお盆があって、少し食べかけのまま茶碗やお皿の中の“ごはん”は干からびていた。コップに注がれた番茶と恐怖の対象となったクスリがあり、昨晩のフリーズが解除されていなかった。本人は外泊することによって解氷していたのでホールの残菜入れにお盆を持って行き、トントンとはらい、定時に食事を取れなかった人達が置いていった器に重ね、「余りました。」と言って夕食後のクスリを詰所に返した。

今、飲んでいるクスリは朝食後四錠、昼食後四錠、夕食後六錠、就寝前二錠、頓服を一日二、三回飲むので三回としても一日十九錠。

単純計算して一ヶ月三十日で五百七十錠、一年で六千八百四十錠。

服薬歴は二十七年。リスパダール、ルーラン、ジプレキサなどの新薬が出ていなかった頃はもっと飲んでいたと思われるが、今の処方を二十七年続けていたとしても、十八万四千六百八十錠飲んだことになる。十八万錠………。実際はもっと多く二十万錠をゆうに超えると思われる。これに加えて四週間に一回のデポ(注射)がある。

入院中は毎日点滴をしていたこともある。

 

医療といっても一人の医師、一人の薬剤師、一人の看護師では手に負えない巨大産業である。その上に「もっと健康に」をスローガンに国家を頂点とした個人、医療の三角形がねばねばしている。

健康でないことは「悪しきこと」として「自分の体は自分で守ろう」と個人の責任に収束する。

精神「病」の個人の「発症」の責任とは何か?

 

*3年前の1月30日で保存して、論の重みに耐えかねて

中断している。

*タイトルと内容はちぐはぐの感があると思われるが、

実は一貫しており、タイトルは生き方の様相を問う。

 

 

 

秘密保護法成立、施行を許すな 

                          東京 山本眞理

12月6日国会で秘密保護法が成立した。さらに共謀罪が国会に上程されようとしている。反対運動の中でのアピールを参考までに掲載します。戦前の治安維持法の時代、サザエさんの作者長谷川町子は海岸で写生していて特高に捕まったそうです。共謀罪はすでに秘密保護法にありますから、海を見に行こうか、といっただけで逮捕だってありうるわけです。

 

20131026STOP!安倍の暴走 つぶせ!改憲 集会に向けて.

全国「精神病」者集団 山本眞理

私たち精神障害者は一貫して治安の対象とされてきた

今国家権力をもって人を閉じ込める事のできる場所が大きく2つあります。

それは刑事施設と精神病院です。

精神病院には嫌と言っても閉じ込めることを合法化している法律があります。精神保健福祉法です。精神障害者に限って、強制的に拉致監禁できる、さらにベッドに体を縛り付けてもいい、という恐るべき法律です。

刑法堕胎罪免責のために母体保護法があり、母体保護法指定医があるのと同様に、逮捕監禁罪免責のために精神保健福祉法があり、精神保健指定医があるのです。

日本の精神医療は世界一の収容大国であり、強制入院の多さ、長期入院患者の多さでも飛び抜けています。刑務所に入れられている人の4倍以上もの人が拘禁されており、さらに11万人以上が5年以上20年以上入院している人も3万6千人以上です。刑務所の無期囚の数は2千人にみたないというのに。

これほど私たち精神障害者は閉じ込められ続けているのに、さらに心神喪失者等医療観察法という精神障害者のみに限って、再犯防止のために拘禁する、地域でも監視するという心神喪失者等医療観察法が2005年から施行されています。

法務省刑事局すら、精神障害者は犯罪をおこしやすいものとすることはできない、と言っているにもかかわらず、私たち精神障害者に対してだけ特別な法律で拉致監禁できるという法律が何重にも作られているのです。

しかも精神病院は一般の病院より医師の数が3分の1でいいという差別的条件です。嫌だと言っている人間を拉致監禁し適切な医療保障どころかまともな医療保障すらせず、漫然と監禁を続けているというのが実態です。

私たちは常にいつ拉致監禁されるかわからない、という社会で生きているのです。それでも生きていくためには精神障害者として障害年金やら生活保護取得しなければならず、私たちは権力に個人情報を完全に握られて生きています

秘密保護法と精神障害者

秘密保全法は全く立法事実もなく、またすべての市民の人権を侵害し、行政のやりたい放題を許す法案です。沖縄密約暴露も当然処罰の対象と言われていますが、あの密約はアメリカの公文書公開によって確認されています。アメリカでは少なくとも秘密とされても一定期間後には公開されるわけですが、今回の法案では特定秘密とされたものは保存もされず破棄され、事後の検証すらできないという恐るべき中身です。国会議員ですら、議員としての調査もできなくなるでしょう。

私たち精神障害者にとっては今回の秘密保護法は精神障害者差別立法として重大な問題点を持っております。

特定秘密を扱う人間に対しては、調査項目は犯罪歴や薬物乱用、精神疾患、借金の有無、お酒を飲むときの「節度」、家族の国籍など。スパイ活動やテロ活動との関係、家族についてまで調べるというのです。

スパイやテロ活動は関係ないと言っても、国家に強要する行動も入りますから、デモも当然はいるわけです。そしてここであえて精神疾患が挙げられていることに注目してください。

ここに今国家が何をそして誰を治安の対象としているのかが明確に現れています。

先の国会で障害者差別解消法が成立しました。そして皮肉なことに明確な精神障害者差別立法、精神障害者が運転免許を取りにくくする道路交通安全法の改悪が成立、さらに危険運転罪という精神障害者が事故を起こせば他の人より重罰にするという特別立法が上程され、継続審議となり、今国会で成立かと言われています。

私たちは治安の対象とされこうした差別立法にさらされて生きているのです。この上さらに秘密保護法が成立したらどうなるでしょうか? 私たちには何が特定秘密になるかわかりません。防衛とか外交だから私たちに無関係でしょうか? しかし国家の安全保障に関わるものというのは漠然としてあまりに広い範囲となります。たとえば先の戦争中には天気予報も国家機密だったそうです。災害時の行政の動きなども秘密とされましょう。

今も差別が厳然とあり、精神障害者の就職や職場での昇進などは困難です。

一応差別解消法ができました。精神障害者だから採用しません、昇進させませんとなれば、それは障害者差別ということで非難されることになります。民族差別についても同様でしょう。

しかし何が特定秘密になるかわからない、特定秘密を扱うことになるかもしれないから、あなたは採用できません、あなたは昇進させません、となれば障害者差別でも民族差別でもありません、と差別を正当化できます。

たとえばコンビニのバイトですら、災害時の物流計画に触れるかもしれないし、そしてその計画が特定秘密になるかもしれないから、ということで精神障害者はお断りなんていう例も出てくるかもしれません。格好の差別正当化の口実です。

もちろん外国人の公務員採用も否定されていくかもしれません。

差別の強化、そして生活保護切り捨ての中で、私たち精神障害者は生存すら脅かされていくことでしょう。

そして今、精神障害者に対してとりわけ高齢の認知症の精神障害者に対して恐るべき攻撃がかけられてきています。精神病院への大収容時代の再現です。高齢者の行き場がない、高齢者の介護で失業する人間が出てきている、認知症の高齢者が周囲に迷惑をかけたり乱暴したりしている、鉄道に飛び込んで迷惑をかけたらから家族は賠償しろ、などなどの大合唱が起きています。一方で介護保険の切り捨ても進んでいます。

安心安全のためには施設に高齢者を入れましょう、でも新しい建物作るのは無駄、精神病院の病床がたくさんあるじゃあないか、そこに入れれば安心安全、精神病院経営も安泰、新しい建物を準備する必要もない、一石二鳥、いや三鳥です。

かつて60年代高度成長期を迎え、危険な精神障害者を収容しろ、そして精神障害者の介護にあたっている家族を労働市場へということで精神病院が急増しました。その頃の入院した方がいまだ長期入院となっているのです、そして今その60年代が再現し、大収容時代が来ようとしています。

本日皆さんのおとなりには精神障害者が参加しています。そして職場に学園に地域にたくさんの精神障害者が生きています。そしてみなさんご両親ほか高齢者が当然ご家族にいるでしょう。精神病院を姥捨て山にして精神病院で死ぬ未来を選びますか? 障害者を排除しないそしてともに生きき共に闘う文化とうねりを今ここから出発しましょう。

障害は個人にあるのではなくて社会にあるのです。どういうもう一つ別の社会をつくり上げるかが今問われています。

私たちは決して諦めません、こうした障害者差別と闘っていきます。私たちの口を封じ私たちの絆を断ち切ろうとする共謀罪を許しません。

共に闘いましょう。

 

資料、東京新聞より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2014011402000118.html



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