全国「精神病」者集団ニュース2011年11月号ニュース

ごあいさつ

 全国各地に「精神病」者は、必ずいます。大震災の被災地にもいますし、会社にも、学校にも、親戚にも、必ずいます。そして、その多くの仲間が孤立しています。私たちは、もっと、仲間の存在に気づき、連帯していく必要があります。

その存在に気づくべき仲間の一人についてです。死刑が確定し、獄中で死刑の恐怖にさらされている仲間がいます。袴田巌さんという元ボクサーです。彼は、どう考えても冤罪でありながら、死刑が確定してしまいました。いま、当時の裁判官が、冤罪であると声を大にして語りだし、それらが映画になるなどの動きが見られます。

さて、私たちは、2009年総会で死刑廃止を決議しましたが、実際に、何に向かうべきでしょうか。おそらく、死刑の台に立たされようとしている無実の死刑囚という仲間に向けて、なんらかの行動をとることだと思います。

わたしたちは、休みながらも、仲間の存在に気づき、行動できる「病」者の運動を目指していくことが求められていると思います。(桐原)

 

 

書評

桐生敦代著

『統合失調症の治療のしくみを国で根本的に見直してください』

2010年刊、東宣出版

近藤凱彦

 著者の長男は、22歳の時、統合失調症を発病した。それから約20年の間に、10回くらいの入院、そのほとんどが、措置入院だった。この本が出た時点で、なお、入院中である。母親としての立場から、病気との格闘を描いた。

私は、複雑な思いにとらわれた。著者は、非常に強い人である。それに対して、著者の夫である、父親の立場の人は、影が薄い。世の中の常識では、父親の方が母親よりも強く、妻は夫に従うべきと考えられている。

妻の方が強い、という夫婦はあるわけで、それに不思議はない。でも、社会の常識と異なっている。子どもは両親を見、また社会とも関わるから、いくらかとまどうわけである。生きるのが難しくなる、要因となる。父親の方が強ければ、子どもはもう少し違った生き方を身につけたかもしれない。

でも、だからと言って、両親が悪いわけでも、子どもが悪いわけでもない。夫婦も家庭も多種多様であって、それをありのままに、社会は受け入れるべきなのである。男女平等も道半ば、ということか。

長男が発病してから15年くらいは、医者の言う通りに薬を飲ませていた、という。だが、10年目くらいから、幻聴や幻覚が出るようになった。そして、著者は、薬の服用に、疑問を持つようになっていった。

最初の入院から12年たって、長男は、措置入院させられてしまう。措置入院は、通算8回に及ぶが、2回目が終わって退院した頃から、薬を飲ませるのをやめてしまう。その後は、退院しては薬をやめ、薬をやめては再発して入院し、と何度もくり返すことになる。

薬の長期の連用が、病状を悪化させている、と著者は考えるのだ。だが、精神科医は、そうは考えないだろう。薬をやめるから再発するのだ、と考えているだろう。どちらが正しいのか。それはわからない。

著者が主張するように、薬を完全に切るための施設を作って、そこに入るようにすれば、長男は救われるのかもしれない。薬もやめられて、病気も治るのかもしれない。

私は、22歳の発病以来、46年間、向精神薬を飲み続けている。その間、3度入院している。幸い、仕事につけて、32年間、サラリーマン生活を送った。

薬を飲みながら、勤めを続けている、という人も多くいる。それでも、私は、向精神薬の連用には反対である。

向精神薬は、精神病の病気そのものには、効かない、と言われる。精神病に伴う、いくつかの症状を取るだけだ、という。要するに、患者の管理のための薬である。

モシャーとブルチの『コミュニティメンタルヘルス』(92年、中央法規出版)を読んで、印象に残っていることが、2つある。1つは、基本的に向精神薬は使わないということ、2つは、精神病院への入院はできるだけ避け、生活の中で病者を支えていく、ということである。米国での実践例である。

その中で、向精神薬を長期に服用している場合に、それをやめようと試みた、という話が出てくる。薬をやめると、どうしても精神病の症状がでてきてしまう。薬をやめることはできなかった。減らすことはできた、というのである。

患者会の仲間の話を聞くと、多少事情が異なる。薬を飲まないで、元気に働いている人もいる。薬を飲まないと眠れない、というのは思い込みで、肉体労働で疲れると、ぐっすり眠れる、という人もいた。私は薬がやめられない。私の仕事は肉体労働ではなく、事務だった。

著者の長男は、やはり統合失調症を発病したが、薬は早くやめることができて、今は元気に働いているという。

日本では、多種類の向精神薬をいっしょに飲ませることが多い。外国では、1種類だけというのが通例である。ひとり当たりの服用量は、日本が圧倒的に多い。

この本の問題提起を正しく受け止めて、議論し研究し、対策を立てることを、切に望む。

 

アウトリーチ事業に関して厚生労働省担当部局に質問状

 

厚生労働省精神・障害保健課への質問

全国「精神病」者集団

1 精神科病院敷地内「地域移行型ホーム」、「退院支援施設」について以下質問する

今現在何箇所あり、それぞれ何床であるか、個別施設名も含め明らかにされたい

それぞれの施設がどれだけの地域移行を果たしたのか実績を明らかにされたい

それぞれの施設の入所期間分布を明らかにされたい

2 福祉ホームB型について以下質問する

今現在何箇所あり、それぞれ何床あるのか、個別施設名も含め明らかにされたい

それぞれの施設の入所期間分布を明らかにされたい

3 精神科療養病床について以下質問する

精神科療養病床は全国何箇所、それぞれ何床あるのか明らかにされたい

精神科療養病床における、入院期間別統計を明らかにされたい

4 アウトリーチ事業について

声明にあるようにこの事業は人権上および医療上も多大な問題があり、地域移行のためにはむしろ地域の支援団体障害者団体が精神病院や刑事施設にアウトリーチ(出張すること)の方が重要と考えるが、実態について以下説明を求める

① 誰からの通報で、誰がどうした過程手続きで判断し、派遣を行うのか?

② 事業実行の過程において責任を持つのは誰なのか、あるいはどの機関なのか?

③ 現在2012年度の目標25都道府県のうち、手を挙げている都道府県機関はどれほどあるのか

③2011年度の試行実態について以下明らかにされたい

*何箇所で実施されたのか、施設名も含め明らかにされたい 実際費やされた費用についても明らかにされたい

*全国何名を対象にしたのか施設別対象者数を明らかにされたい

*この事業の実績としていかなる成果があったのか、その実態把握を行っているのか明らかにされたい

 

 

■ 年金診断書書式変更

今年8月から障害年金の診断書書式が変更されました。「みんなねっと」誌によると、まったく一方的変更で全国「精神病」者集団は当然、当事者団体はどこもヒアリングすら受けていないそうですが、裏面の日常生活能力の判定その他いろいろ変わっていますが、問題は新たに追加された現在時の就労状況、勤務形態や一月の給与仕事内容まで書くことになっています。これって年金切るためではないかと疑いたくなりますが、そもそも外来の医師がそこまで把握しているなんてありえないので、「みんなねっと」誌によると医師が診断書に書くべきことではないとして、日本精神科病院協会が年金局に交渉し、この部分に記載がないからという理由で受け付けずに返送するということをしないことを各年金機構に周知させることを約束させたとのことです。(日精協もたまにはいいこともする)。

今後診断書で更新手続きなさる方この点十分ご注意を、そして必ずコピーをとっておくこと重要。被災などしたら大変ですし、万一変更などあった場合の不服申し立てにも重要。

新たな書式で更新された方で影響があった方などいらしたら、ぜひ窓口まで情報を集中してください

 

 

■「強制の廃絶」を巡って―私の立場

            運営委員 桐原尚之  

全国「精神病」者集団の組織目的は、「差別と排除を許さない 強制医療・入院に反対する」である。組織目的の後ろ半分は、強制の廃絶を主張していると解するのが妥当かもしれない。一方で、強制が問題ではなく、実態としてある精神病院が問題であり、精神病院の廃絶が実態に即したスローガンであるとする立場もある。私は、こうした議論を重ねなければならないと思っている。スローガンとは、われわれの運動や差別の実態を端的にあらわす言葉であり、運動体として、もっともよい言葉を探さなければならないのだと思う。

その中で、私は「強制の廃絶」に拘りたいと考えている。もちろん、瀕死状態の者の緊急避難による医療を否定するつもりもない。まずは、生命が優先であるが、意識が回復した段階で治療を拒否した場合で生命の危機にある場合、ここから先の議論を詰めなければならないと思う。はたして、医療拒否を自己決定として最優先し権利として認めるのか、そのような自己決定が生命倫理の観点から認められないとするのか、考えなければならないだろう。でも、この投稿では、それについて触れることはしない。あくまで、「強制の廃絶」の意味を考えることにとどめたい。

強制とは、手続に関する概念である。強制という手続のはなし以前に、実態としての精神病院が問題とされなければならないことは言うまでもない。ほとんどの精神病院の中では、虐待、虐殺、脅迫、暴力、拘束、隔離、過剰投薬、電気ショックがある。これを問題にするのは当然であるが、運動という観点からは、一歩踏みとどまり、なぜ、このような理解不能な人権侵害の収容所が出来上がったのかを考える必要がある。ひとつは、偏見や差別といった社会的背景があるだろう。確かに、これを論じる必要もある。が、偏見や差別だけでは、精神病院がここまで膨れ上がる理由として、あまりにも不十分といわざるを得ない。偏見や差別を実体化させたのは、精神病院や精神科医に強制という権限を持たせた精神衛生法制であると考える。精神病院・精神科医に強制という権限を持たせたために、ここまで腐敗したのだということを私は言いたい。それから、精神病院・精神科医に強制という権限を与えたままにしているから、社会的入院の解消が進まないのだとも言いたい。故に、「強制の廃絶」とは、最終目標に設置するべき性質のものと理解しておらず、実態を改善するための一方法論(方法論としての強制の廃絶)として理解している。精神病院の権限を弱めることが、実態の改善に貢献できるものと思っている。

 

 

 

「強制の廃絶」を巡って―私の立場

 

            運営委員 桐原尚之  

全国「精神病」者集団の組織目的は、「差別と排除を許さない 強制医療・入院に反対する」である。組織目的の後ろ半分は、強制の廃絶を主張していると解するのが妥当かもしれない。一方で、強制が問題ではなく、実態としてある精神病院が問題であり、精神病院の廃絶が実態に即したスローガンであるとする立場もある。私は、こうした議論を重ねなければならないと思っている。スローガンとは、われわれの運動や差別の実態を端的にあらわす言葉であり、運動体として、もっともよい言葉を探さなければならないのだと思う。

その中で、私は「強制の廃絶」に拘りたいと考えている。もちろん、瀕死状態の者の緊急避難による医療を否定するつもりもない。まずは、生命が優先であるが、意識が回復した段階で治療を拒否した場合で生命の危機にある場合、ここから先の議論を詰めなければならないと思う。はたして、医療拒否を自己決定として最優先し権利として認めるのか、そのような自己決定が生命倫理の観点から認められないとするのか、考えなければならないだろう。でも、この投稿では、それについて触れることはしない。あくまで、「強制の廃絶」の意味を考えることにとどめたい。

強制とは、手続に関する概念である。強制という手続のはなし以前に、実態としての精神病院が問題とされなければならないことは言うまでもない。ほとんどの精神病院の中では、虐待、虐殺、脅迫、暴力、拘束、隔離、過剰投薬、電気ショックがある。これを問題にするのは当然であるが、運動という観点からは、一歩踏みとどまり、なぜ、このような理解不能な人権侵害の収容所が出来上がったのかを考える必要がある。ひとつは、偏見や差別といった社会的背景があるだろう。確かに、これを論じる必要もある。が、偏見や差別だけでは、精神病院がここまで膨れ上がる理由として、あまりにも不十分といわざるを得ない。偏見や差別を実体化させたのは、精神病院や精神科医に強制という権限を持たせた精神衛生法制であると考える。精神病院・精神科医に強制という権限を持たせたために、ここまで腐敗したのだということを私は言いたい。それから、精神病院・精神科医に強制という権限を与えたままにしているから、社会的入院の解消が進まないのだとも言いたい。故に、「強制の廃絶」とは、最終目標に設置するべき性質のものと理解しておらず、実態を改善するための一方法論(方法論としての強制の廃絶)として理解している。精神病院の権限を弱めることが、実態の改善に貢献できるものと思っている。



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