ごあいさつ
新年早々、私たち障害者は、重大な問題を抱えることになりました。これまでの自分たちの運動の蓄積が、政権の気まぐれや政府の意図によって、破壊されかけているのです。医療観察法廃止闘争の狙い目であった見直し時期に出たのは、形式的な医療観察法の国会報告でした。違憲訴訟の基本合意がされた障害者自立支援法も、障害者自立支援法改正案の国会通過による延命の可能性が顕著になりました。障がい者制度改革推進会での1年近くの議論も、議第二次意見書を反映できていない政府部内調整中の障害者基本法改正(案)というかたちで不安が強まりました。総合福祉法での第1期作業チーム報告書に対する厚生労働省からのやる気のないコメントについては、もはや、基本合意も総合福祉法もひっくり返すつもりであるとしか思えないものでした。私たちは、私たちの蓄積を守りながら、しぶとく、運動を続けていかなければなりません。条約の理念である、他の者との平等を実現すべく、声をあげていきましょう。
(桐原)
新年を迎へて
白縫 狂介
① 何故、斗うのか。
私はこれまで、5度、強制入院(医療保護入院)処分を受けました。
最初の1~2回目は何がなんだか、よく意味が分かりませんでした。が、4回も5回も強制入院させられると、さすがに、その人権侵害ぶりに怒りがこみ上げて来たのです。
中でも、3度も強制入院させたW病院は悪質で、私はこの病院を人権侵害で訴える事にしました。
最初にした事は、地元の新聞社に行って、今度、こういう裁判をするので支援してもらいたい、と言ったのですが、記者は全然相手にしてくれず、「そんな裁判をするより、まず働いて、生活保護を返上するのが先でしょう」とか説教するのです。
私は、こりゃ駄目だと思いました。裁判をするには弁護士費用も大変で、これも私は、地元の弁護士会でやっている法律扶助制度を利用しようと、申請したのです。
この申請が認められれば弁護士が無料で助けてくれるのですが、これも却下されました。要するに、この裁判は勝ち目がないと判断したのでしょう。
と言うのも弁護士は閉鎖病棟に強制入院させられて、入院生活中にどんな違法行為があったかを目をサラのようにして調べるばかりで、肝心の強制入院制度自体が人権侵害だということに目が向かないのです。
クスリが強くて眠くなるのでクスリを飲まないで逃げ回っても、押えつけられて注射を打たれて、またまた眠くなってしまう。
閉鎖病棟に入院中はそんなわけで、寝てばかりいたような記憶しかないのです。
しかしこれでは裁判には勝てないと弁護士は判断したのでしょう。
そんなわけで、結局、代理人(弁護士)抜き訴訟になったわけです。
私は一人で図書館に通って、法律コーナーで『本人訴訟のやり方』とかいう、ハウツウものの本を何冊か漁って、とうとう、裁判所にW病院を人権侵害で訴えたのです。
これにはW病院側も驚いた事でしょう。
何せ、生活保護の精神障害者が、弁護士抜きの訴訟をしたのですから。
結果は、第一審、強訴審、上告審ともいずれも敗訴しました。
いずれも医療保護入院は人権侵害ではなく適法であるという判決で憲法違反には当たらないとの事でした。
結局、私のした事は無駄な努力だったのでしょうか?
いいえ決してそうではありません。その証拠に強制入院処分が、ピタリと止んだのです。医者(特に開業医)も世間の評判を気にするという点では人の子である。ヤブ医者といわれるより名医といわれる方がいいのです。
私が最後に強制入院処分を受けたのが、平成4年ですから、もう20年近く強制入院処分を受けていません。
それというのも私が訴訟をしたからなのです。地元の医療界では、どうやら私は、ブラック・リストに載せられているのかもしれませんが、とにかく「不公平とみたら斗え!」です。
② 病気について
ヤブ医者について述べたので反対に、心に残った医者について述べておきます。
それは、T大学病院のM先生のことです。
その先生は次の2点を言われたのです。
(1) 医者に診てもらうか、もらわないかは自分で判断しろ
(2) 薬を飲むか飲まないかも自分で判断しろ
この言葉は、一見、つき放したような態度でありながら、患者のプライドを傷つけずに、なおかつ、自助努力も求めているのです。
一例を言うと、私は、人の多く集まる場所がニガ手だったのです。雑踏なんかでは、人が私のウワサをしているのではないかと苦痛でした。しかし、ある時、思い立って韓国の釜山へ旅行したのです。釜山へは、地元のF市からは関西よりも近くて安上がりです。
そして街中を歩きました。そしてやはり、ウワサ話が聞こえてきました。しかしそれは―日本語で―
ようやく私はウワサ話が幻聴のせいだと理解したのです。
それからは、日本に帰っても、人が私のことをウワサしていても、幻聴なんだと気にならなくなりました。
ちょうど、BGM(バック・グラウント・ミュージック)でも聞き流すように。
そして、幻聴も、いつの間にか治まり、私も人の集まる所が、ニガ手でもなんでもなくなったのです。
以上が、自助努力で、病院を克服した例ですが、それにしてもM先生は名医とでも言うべきでしょう。
<了>
―2011年1月14日―
心神喪失者等医療観察法関連新聞記事
以下に掲載中
障がい者制度改革推進会議総合福祉部会山本委員提出資料
http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/2011/02/dl/0215-1b03_01.pdf