「人としての尊厳を取り戻す闘い」を支援する会 通 信 №13 別冊

知られざる精神科医療の実態

目 次

1 多剤大量処方と妻の死のストーリー

-それは、ただの不眠の受診から始まった-・・・・・・・2

2 体験記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9

Aさんの証言-新鮮な空気が吸いたかった…医療保護入院から閉鎖

病棟へ

Bさんの証言-もう少しで強制入院!

Dさんの医療保護入院の事例報告

3 入院患者さんの声・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

4 精神科事件史年表

-精神科で発覚した主な問題事件・・・・・・・・・・・・19

多剤大量処方と妻の死のストーリー -それは、ただの不眠の受診から始まった-

(メルマガ「MRIC」に掲載の記事を寄せて頂きましたので、原文のまま、報告させて頂きます)

私の妻は、軽い不眠で心療内科クリニックの門をたたき、最後は薬物中毒により命を失いました。これは、彼女の死の原因を追及し続け、5年でたどり着いた私の見解です。

自殺対策で、うつ病の早期発見が叫ばれています。ですが、その受け皿である精神科、心療内科にそれを受け止めるだけの能力は果たしてあるのでしょうか?

【治療の経緯】

・初診

不眠と軽い頭痛で訪れたクリニックで最初に処方されたのは、ごく一般的な抗不安剤と睡眠導入剤と鎮痛剤でした。

当時の私は、会社を設立し、事業が軌道に乗り始めた時期でした。仕事や付き合いでの飲酒、タクシーでの深夜に帰宅することも多く、夜にさびしい思いをさせたと思います。悪い夫であったと言われても仕方ありません。そのことが妻の不眠の原因であったのだろうと思います。

・4ヶ月後

通院開始後わずか4カ月で、薬は10種類18錠になりました。いわゆる多剤大量処方の始まりです。

不眠の診断に対し、抗うつ剤、抗精神薬、抗不安剤などの薬が複数処方されました。

一度、一緒に病院に行ってくれと言われたことがあります。当時の私は、大の医者嫌いで、特に心療内科と聞いて、「そんなところに行くな。」と答えました。それから彼女は、私に内緒で病院に通うようになりました。

・17ヶ月後

薬はさらに増えました。12種類24錠。

ここで、私が特に問題視しているバルビツレート酸系睡眠薬が登場します。

この頃の彼女は、(今から思えば)薬の副作用とおもわれる肥満が始まりました。私は、彼女に対して、徐々に女性としての興味を失っていきました。このあたりからあらゆる面での悪循環が始まりました。

・初診から23ヶ月後

多剤大量処方はそのままで、もう一つの問題の薬、別のバルビツレート酸系の薬が登場します。この薬は、ネット上では『飲む拘束衣』などと呼ばれ、覚せい剤の離脱症状を抑える時に使用されます。

・初診から25ヵ月後から4年間

別のクリニックに転院。多剤大量処方ではあるが、バルビツレート酸系の薬は姿を消します。バルビツレート酸系の薬を無くすために、他の薬の量が増えてしまったとの当時の主治医の記録があります。この医師が、バルビツレート酸系の薬のリスクを正しく把握していたことが分かります。

・亡くなる7カ月前

もとのクリニックに戻りました。

これから、亡くなるまで7カ月間、同一の処方が続きます。

多剤大量処方に加え、バルビツレート酸系の薬が復活します。そして抗うつ剤SSRI。

処方された薬は、13種類40錠。問題のバルビツレート酸の睡眠薬の一つは、3剤の合剤であるので、実質15種類です。

この頃の彼女は、明らかに運動能力が低下していました。何も無いところでも良く転びました、夜はトイレに行けず、おむつをして寝るようになりました。また知り合いに意味不明な電話をするようになりました。抗うつ剤SSRIの影響だと思われます。

また、遅く帰ってくると、玄関の扉に鎌が張り付けてありぎょっとしたこともあります。こんなことは彼女の性格上あり得ないのですが、今から思えば攻撃性の副作用が出ていたのだと思います。

さすがに、あまりの様子のおかしさに、彼女のご両親に相談を始めました。おかしくなるのは決まって夜でした。しかし。昼間になると普通に受け答えが出来るために、私は判断を誤りました。私の一番の後悔は、病院に通っているから重大なことにはなるまいと高をくくっていたことです。

・初診から7年と5カ月目

冬のある朝、彼女は亡くなっていました。

自宅で亡くなった為、司法解剖に回されました。3ヶ月後に知らされた死因は、薬物中毒でした。

今から、5年と半年前のことです。

その時から、私自身の贖罪と犯人を求める長い旅が始まりました。

最初の容疑者は、私自身と薬を処方した彼女の主治医です。

【原因の追究】

(1)医師の説明

まず、驚いたのは、彼女に処方されていた薬の量です。

こんなに沢山の種類と量を必要とする病気があるとは、にわかに信じられませんでした。

事情を聴きに、クリニックを訪れるとその医師は留守でした。家族にご不幸があり、不在ということだった。しかし、なぜか、クリニックは開いていました。無視察で薬を処方しているのではないかという疑いを持ちました。

医師と会えたのは、妻の死後、2週間後でした。

私は、医師に疑問をぶつけました。

何故、こんなに沢山の薬がでているのかと。医師は、「これでも、眠れない人は居る。」とだけ答えました。納得のできない私は、妻の死に関してどう考えているのか文章にしてくれと言い、一旦その場から立ち去りました。医師は文章にすることに同意しましたが、その約束はいまだに果たされていません。

これ以降、連絡は不可能となりました。従業員には緘口令が引かれ、弁護士を前面に立てて、私とのコンタクトを拒絶したからです。私に裁判という手段が頭をかすめたのはこの時が初めてでした。

(2)ネットによる情報収集

それから、医師や薬剤師と名のつく人を見つけると、片っ端から質問攻めにしました。

しかし、誰からも、私を納得させる説明は得られることはありませんでした。

私に最初に情報をくれたのは、インターネットでした。ネット上では、すでに精神医療を非難する声と擁護する声が、互いに罵声を浴びせるような勢いで論争されていました。この問題が、「一医師の問題ではなくて、精神医療自体の問題を含んでいること」を理解しました。容疑者に精神医療そのものが加わりました。

多剤大量処方という言葉もネットで初めて知りました。

ネットの力は強力でした。情報の量でいえば、凄まじい量の情報が得られました。しかし、裏付けのある情報をその膨大な情報の中から探し出すのは不可能に思えました。

(3)うつ病受診キャンペーン

その頃、『2週間気分が落ち込んだら病院へ』といったキャンペーンCMがTVに流れました。このCMは実に不思議なCMでした。CMのスポンサーが誰だか分からない所謂イメージCMでした。結局スポンサーは製薬会社であることが後から分かりました。あたかも政府広報かと勘違いしかねないものでした。私は不信感を憶えました。

容疑者に製薬会社とTV局が加わりました。

精神医療そのものに疑問を持ち始めた私には、このキャンペーンが悪魔の囁きに聞こえました。そこに行って、何か解決するのかと。

(4)裁判を阻む壁

いざ、裁判を起こそうと思う段階になって、単純な疑問がわきあがりました。何故、同じような裁判は起きていないのかということです。ネット上にはあんなに被害者が溢れているのに。けれど、その理由はすぐに分かりました。

・裁判費用の問題(訴訟そのものではなくて殆どは弁護士費用)。

・裁判では、相手が医師(その道のプロ)であるのに対して、原告側に立証責任があること。

・診断も曖昧だが、副作用も曖昧、その曖昧な物をさらに多剤大量処方という悪弊が覆い隠していること。曖昧な物を証明するのは不可能であること。

・なにより被害者の気力が続かない事。

・最大の壁は、医師に与えられた裁量権(処方権)の大きさにあること。

・日本人には、裁判に対する漠然とした抵抗感があること。

こうした理由で、なかなか裁判まで辿りつかないのです。

私の場合は、長い社長経験で、裁判に対する抵抗感がありませんでした。

結果、独身になったこともあり、何とか裁判費用を工面することが可能でした。

(5)他の医師の意見の収集

ネットで、私の事を知った新聞記者が、コンタクトをして来ました。すでに妻の死後4年近く経過していました。その新聞記者は、精神医療の問題を長年追っていて、裁判事例を探していたのだそうです。彼女との出会いは、今一つ決め手に欠けていた私に急展開をもたらしました。

彼女は、私の記事を書くために、複数の著名な精神科医、麻酔医、そして妻の行政解剖を行った解剖医にまで、妻のカルテを持って取材をしてくれました。そして、他の被害者の会の人達を紹介してくれたのも彼女です。

妻への処方内容を見た精神科医は、同じ精神科医からみても異常な処方であることを教えてくれました。そして解剖医は、年間の薬物中毒死の中でも、もっとも多剤の部類であったことを教えてくれました。主治医の処方への疑念は確信に変わりました。

実は、この時に意見を頂いた医師は、私の裁判の協力医ではありません。あくまで、匿名での情報提供と言うことで意見を頂きました。匿名である理由は、裁判に協力することが、それぞれの立場を危うくするからということでした。

(6)厚生労働大臣、厚生労働省への陳情

裁判準備と並行し、他の被害者と共に、厚生労働省に要望書を提出に行きました。

内容は、精神医療の多剤大量処方の規制、EBMのガイドライン作成、減薬のガイドラインの作成等です。

厚生労働省に行き、実際に担当者と話して驚いたのは、もう既に、この問題をかなり正確に知っていたということです。容疑者に厚生労働省も加わることになりました。知っていて何もしない監督官庁の責任は問われるべきだと思いました。

これについては、つい先日(6月24日)、『向精神薬等の過量服薬を背景とする自殺について』という要請文が、都道府県・指定都市の精神保健福祉主管部局長、日本医師会を始め、精神医療系団体に向けて出されました。内容は、「自殺者の多くが精神科の受診をしていて、処方薬を服薬してるので、処方に気をつけろ」という内容です。表現が穏やか過ぎで、効果があるのか疑問です。

ですが、その直後、長妻厚生労働大臣は、マスコミの取材に対し「薬漬け医療の問題は認識している」と発言しました。今後の動きを期待したいと思います。

(7)新聞報道

新聞記者と私の間で、裁判の提訴を記事にしたいということになりました。提訴の準備が整い、イザという段階になって、記事が大きく扱えなくなったという連絡が入りました。理由は、新聞社が、大スポンサーの製薬会社に気がねをしたのです。別に圧力があったというわけではありません、単に腰が引けたのです。裁判に勝てるという見込みがなければ記事に出来ないという。私も記者も随分失望しました。それでも都内版の囲み記事で、小さく提訴の記事が掲載されました。新聞では、小さな記事でしたが、インターネットにより全国に配信されました。

その僅か、3カ月後。6月24日の朝刊の一面トップに、救命医療の現場の声として、安易な心療内科クリニックの多剤大量処方の問題が報道されました。このような問題が新聞の一面トップで報道されるのは非常に珍しいことです。

その記事の中で、その多剤大量ぶりについて、救命の医師は、「薬理学上ありえない」と言っています。また、記事で、一番酷い例と引き合いに出されたのは、「抗うつ薬4種類、睡眠薬4種類、抗不安薬2種類など一度に14種類」の例でした。これは亡くなった妻とほぼ同等です。その処方に対する複数の精神科のコメントは、「常軌を逸している。副作用に苦しんだり薬物依存に陥る可能性も高くなる」です。

(8)驚くべき東京都監察医務院のデータ

その証拠を突きつめているうちに、私は、あるとんでもない論文に出合いました。それは、妻を解剖した東京都監察医務院の監察医の論文です。東京都監察医務院へ解剖に回されるのは、東京都24区内の死因が不明なものです(明らかな自殺は含まれません)。

私が驚愕したのは次のデータです。

平成19年度、薬物の検出された検体が全部で1,333件、そのうちアルコールが592件、覚せい剤などの違法薬物が37件、そして一番多いのが医薬品612件である。

さらにその内訳をみてさらに驚きました。

医薬品のほぼすべてが精神科の処方薬であることです。

その中でもダントツに多いのが、フェノバルビタール136件、塩酸クロルプロマジン69件、塩酸プロメタジン88件です。これらは、いずれもべゲタミンの成分です。

このデータは、絶対に見過ごせません。違法薬物の何倍もの死に処方薬が絡んでいるのです。それもほとんどが精神科の処方薬で、さらにその半数以上がべゲタミンという薬なのです。直接の犯人はべゲタミンであることの可能性が高まりました。

いままで、この数字を気にとめた人は誰もいなかったのでしょうか。患者が勝手に乱用したからと言い逃れできるような数字ではありません。今すぐなんらかの規制すべきではないでしょうか。特にべゲタミンは酷い。

今度は、バルビツレート酸系の2つの薬を調べることにしました。すると、この2つの薬はとても古い薬であることが分かりました。そしてなんと、現在の教育では、教科書にも載っていないしろものであることがわかりました。現在では、過去に事故が多かったことと、ベンゾチアゼピン系の比較的安全な代替薬登場で、それらの薬にとって代わられているということです。

意見を聞いた精神科医の中にも、こんな薬は無くなった方がよいという意見は多数あります。無くなっても誰も困らないだろうという医師も複数いらっしゃいます。

しかし、現実には、これらの薬がいまだに多くの精神科医師により処方され、死亡事故が多数起きているのです。薬に罪は無いとの意見もあるが、これだけ事故を起こしている薬は、何らかの規制をされてしかるべきでしょう。

少なくとも、このバルビツレート酸系の薬が、この世に無かったのなら、妻はかなりの確率でまだ生きていたと思います。

こんな薬が残っているのは、薬行政に置いて何らかのシステムの不備があるということです。

(9)医師の医薬品マニュアルの軽視

医薬品の医師向け添付情報を眺めていて、新たな疑問がわきました。

私の妻のケースでは、併用注意だけで物凄い数の組み合わせがあります。慎重投与などの注意を加えるともう数えるのも嫌になるほど注意事項が発見できます。細かく数えて行けば注意違反は、100は超えます。ラボナの医薬品説明には、一番最初に劇薬と書いてあります。依存性薬とも書いてあります。いったい何のための表示でしょう。なんでこんな簡単なルールが守れないのだろうという単純な疑問です。

どうやら一般論として、医師は、医薬品の医師向け添付情報をあまり重視していないようなのです。あれは、製薬会社が自身を守るためにあると思っているふしがあります。製薬会社が身を守るためという認識は正しいと思います。ですが、本来の役割は違うはずです。医薬品の医師向け添付情報が、尊守されていないのであれば、これは重大な問題です。

つい最近、医療過誤裁判から身を守る為の製薬会社主催の医師向けセミナーが開かれたと聞きました。そこで医師向けに説明されたのは、副作用出現率が5%以上と書いてあるものは副作用を事前に患者に伝えなさいということでした。

そんな事を、わざわざ教育しなければならないのかとさらに驚きました。ルールは、患者を守る為だけにあるのではない。ましてや製薬会社を守る為だけでもない。医師そのものを守るためにも必要なものです。

少なくとも、私の生きてきた世界では、ルールとはそういうものでした。

そして、法(ルール)の番人たる司法もその前提で機能しているはずです。

最高裁の判例で、『医師向けの医薬品添付情報に従わない場合には、相当の理由が必要』との司法の判断が現実にあります。

誤解のないように付け加えますが、もっと、裁量権を広く与えられるべき領域の医師もいます。救命医療や新しい先端医療の現場の医師等です。ただしその裁量権もルールで規定されるべきだと思います。

(10)『取りあえず』から始まる薬物依存

ここまで来て、私の妻が受けた治療は、薬の説明書きに従わず、医師の今までの経験と勘で行われていたことを理解しました。

ここまでで、随分色んな問題点を発見しました。これだけの様々な悪条件が重なり、妻が亡くなったという事を理解しました。

けれどまだ、最大の疑問が解決していません。

妻は、いったいなんの病気で、どう診断され、どんな治療を受けたかということです。

精神科の診断は難しいと言われます。それはそうでしょう、診断は、医師の過去の臨床経験と主観に基づくもので、殆ど客観的な診断手段を持たないからです。物差しがないのですから、医師によって診断が異なるのは当り前です。医師が万能だなどとは全く思っていません。

ならば、最初の診断は、そのまま主観に頼っても良いが、いわゆる「除外診断」をして行くしかありません。精神医療での物差しは薬しかありません。抗うつ剤が、効かないなら、うつ病以外の別の病気を疑うというふうに。しかし、私の妻の例のように、最初から多剤大量処方では、それも使えません。ましてや、妻の診断は、最初から、最後まで不眠です。その診断にたいして、睡眠薬、抗うつ剤、抗不安薬、統合失調症薬など全て同時に処方されています。

ここまで来て、妻の本当の病名が私には分かりました。ある精神科の医師が教えてくれた病名です。

それは、『処方薬による薬物依存症』です。

【終わりに】

これが、私の妻の死にまつわる物語です。出来るだけ感情論を排し、事実に沿って記述したつもりです。様々な問題提起をしましたが、今、妻の死は、それらが複雑に絡み合い悲劇的な結果を生んだのだと理解しました。

妻の死の責任は、色々なところにあります。もちろん、私にも、亡くなった妻自身にもあります。被告医師に全て責任をおわせるのは酷だとも思っても居ます。しかし、被告医師には、一定の責任があることを確信しています。なぜなら、彼のやったことは、プロの仕事ではないからです。

相手医師からの回答にはがっかりしました。そこには、いかに私が悪い夫で、亡くなった妻がしつこい薬依存者であったということのみが延々と記述されています。医学的、薬理学的な反論は殆どありません。多剤大量処方については、『皆やっている』。禁忌事項については『そういう記述があるのは認める』。です。

全く議論が噛みあいません。

私は、その医師の人格を攻撃する気はさらさらありません。私が悪い夫で、妻がしつこい薬依存者であったことも反論する気はありません。プロであるはずのこの医師の治療に、重大な過失(ルール違反)があるかないかを問うているのです。

多剤大量処方は、多くの場合、それ自体がルール違反です。ルールを守っていればそもそもできるはずは無いのです。それを許して来たのは、広い医師の処方権(裁量権)です。

逆に処方権が認められるべき医療分野は沢山あると思います。けれど、精神科の街角クリニックといった、外来患者さんのへの処方権は、厳しく規制されるべきだと私は思います。もちろん、同時に、不幸にもすでに『処方薬による依存症』に陥っている患者さんの救済も考えねばならないでしょう。

そして、皆さんに特に伝えたいのは、私の妻が、そもそも「軽い不眠」でクリニックの門をたたいたということです。「軽い不眠」から始まり、最後は「薬物中毒」で亡くなったというその経過です。妻の例のように、日本独自の精神科の多剤大量処方という悪弊が、問題を複雑化、悪化させているのは疑いようの無い事実です。

この物語は、私の妻だけの物語ではありません。

妻は、不眠でしたが、「軽い不眠」を「軽いうつ」と置き換えても、問題は全く同様です。

同じような物語は、文字通り五万とあります。

もう、そろそろ、こんな物語は、終わりにしませんか。

最後に、この精神医療の問題を、他科の問題と混同されないことを強くお願い申し上げます。そして、少なからず、私の主張を応援して頂ける精神科の医師もいることを記しておきたいと思います。

2010年7月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp

2 体験記

(「ほっとスペース」様より寄せられた体験記です。本件控訴審、控訴人第4準備書面の甲27号証として、原文のまま、提出しております)

Aさんの証言 - 新鮮な空気が吸いたかった…医療保護入院から閉鎖病棟へ

おいしい空気が吸いたい。

1月終わり、外の木々が凍えている頃。外出や散歩の許可が出ていない私は、病棟の食堂の下にある、わずか10センチしかない小窓を開けて、床にうつぶせになって小窓から吹いている空気を吸った。・・・おいしい。

今から約6年前。ここはある病院の閉鎖病棟。看護師と一緒にエレベーターに乗り、看護師がカギを持って二重のドアを開けて入る。決して自分で出入りできない。ここは閉鎖病棟。40床位の小さなものである。窓は全く開かない。どこの窓も。唯一、患者が自由に窓を開けられるのは、ナースステーションに近い、食堂の下の小窓である。

私は、当時の夫のドメスティックバイオレンスで精神的に不安定になり、興奮状態になり、夫を殴り返したり、物を壊したりするときがあった。「入院したい」と夫に訴えたら、夫に私の主治医のいるクリニックに連れて行かれた。クリニックの主治医は、私たち夫妻に提携病院を案内し、主治医とその病院に行くことを約束した。

病院に着いたら、さっそく私はMRIに運ばれ、夫は約束で待ち合わせた主治医に会う。それから夫と主治医のやり取りは、決して私にはわからなかった。気がついたら、夫は既に帰ってしまっていた。

MRIなどの検査後、夫にさよならの挨拶もできずに閉鎖病棟に入れられた。保護室ではないが、ドアや窓が文字どおり閉鎖されている。勝手に患者が出られないようになっている。

換気はベッドの上の空調になっている。その薄汚れた汚さが、私の涙を誘った。新鮮な空気が吸いたい。普通の生活に戻りたい。夫に会いたくなってホームシックにかかっていた。

入院後の私の権利は病院食と週2回の風呂、夫から持ってきてもらったパジャマ。パジャマはウエストのひもを抜かれて、ゆるゆるになった。コインランドリーはナースステーションにコインランドリー代を請求し、週2回定められた洗濯日に自分で洗濯。狭い病棟の廊下でぐるぐる歩き回るしか運動が出なくて、フラストレーションがたまった。

10日目。「みんなで売店のアイスクリームを食べに行こう」と誘われた。しかし、看護師は、私をアイス仲間から引き離した。で、若い病棟の主治医に呼ばれ、「あなたは『医療保護入院』です。ご主人の許可が得られるまで、外出や退院ができません」と告知された。私は主人に騙されてしまった。アイスを食べ損ねたということよりも、内緒で「医療保護入院」にさせたクリニックの主治医と夫が許せなかった。

そして、入院中に「溶連菌感染症」に罹り、40℃以上の高熱を出したとき、主治医から「発熱で肝臓に影響する」とすべての向精神薬をカットされた。そしたら、私は服を脱いで暴れたらしい。急きょ数人がかりの男性看護師に取り押さえられ、ナースステーションに運ばれ、当局医に平手で打たれ「*1保護室行きだぞ!!」と叱られたが、私の必死の抵抗と、ある看護師の一人が「保護室は満杯です」と言ったため、保護室行きは免れた。しかし、強い薬を飲まされ、2日位眠らされた。目が覚めても、症状が軽減する数日後まで点滴で眠らされた。

しかし、ここの病棟の雰囲気が悪い。入院患者の暴行が激しい話もよく聞く。点滴が外れ、退院したくても、夫の連絡がつかない。医療保護入院は自分の自由が利かない。退院どころか、散歩もできない。精神病者の自主性を奪うものか?

結局、症状が軽減した後、夫の都合で引き取りたいとのことで、急きょ退院になった。医療保護入院は医師と保護者(今回の場合は夫)のご都合主義なのか?というのが、入院しての疑問である。

橋本注) *1「保護室」とは、精神科における隔離室で、治療上、静穏な環境で安静を保つ必要がある場合、自殺のおそれがある場合、他人に危害を加えるおそれがある場合、感染症の場合など使用するというのが建前で、実態は独房です。狭い個室にむき出しの便器。窓には鉄格子というのが一般的です。24時間施錠がなされ、監視カメラの設置のある場合も。この体験記のように医療者が患者に対して懲罰的に使用したり、脅迫の手段として用いられるほど、劣悪な環境であり、保護室送りは、およそ治療とは言い難いのです。

Bさんの証言 - もう少しで強制入院!

今年8月の熱い中、クーラーもない部屋で私は熱中症に倒れた。猛暑の続く8月末、私は引っ越しをしました。幸いにも、なんとか引っ越しは完了し、新しい住居にクーラーがついていて命拾いをしました。

しかし、猛暑の中の引っ越しは、私には心身ともに、深い深い傷を残してしまいました。

引っ越して数日後の9月5日、私は、極度の過労と緊張のためか、意識障害になっていたようで、どの薬をどれだけ飲めばよいか全く分からなくなっていたようです。

夫が、様子のおかしいわたしを心配してくれましたが、引っ越し前の県営住宅に、住居明け渡しの立ち合いに行かなくてはならず大いに困っていました。場所が遠いので、1泊2日の行程となり、その間を私一人で置いておくしかなかったからです。

夫は、私の薬を調整・整理するために相談したくて、病院に行きました。診察がはじまり、先生が問診・質問をするのですが、私はオウム返しを繰り返すばかりで、どうにも要領をえず、任意入院となりました。その間の事はあまり覚えていません。夫と主治医から聞いた話です。

次の日に、気が付いたら私は保護室にいました。「ここはどこだろう?」と、考えても、初めての経験で、まったく分かりませんでした。誰もいないし、誰もこない。多分保護室だろうと思いました。

なぜか保護室に入れられてしまった私は、ボーとしていました。出される食事と歯磨きをこなすだけでした。1日に一回だけ男の人が入ってきます。「貴方はどなたですか?」と聞くと「院長です」と答えました。「どうですか?」と聞かれ「ここはどこですか?」と聞くと、「保護室です」と答えられ、私は心の中で「やっぱり」と思いました。2泊3日の事ですが、このあとが問題です。

夫が帰ってきて、病院に迎えに来ました。院長が出てきて、「こんな状態で退院なんて認められない!」と、私と夫に怒鳴ってきました。「医療保護入院しか絶対に考えられない!」と、脅しまくられました。夫が、「どうしても*2任意の入院ではだめなのか」と聞くと、「絶対だめだ」と応えました。同席した主治医は、勇気あるドクターで、「まず保護者と本人の考えを聞きましょう」と割って出てきました。すかさず夫が、「帰ろうか?」と聞くので、「帰りたい」と私は言いました。そこで院長は、最後まで怒鳴っていましが、「まあ、あくまで任意の入院なんだから、本人が望めば退院はできなくはないのだが・・・そんなことになったら全く保障できない。」とうそぶきました。夫は意を決して、「何と言われても連れて帰る」と宣言しました。そして、私は友人たちとファミリーレストランで、ささやかな退院祝いをしました。そこで私は、「病院で苦しかった。二度と保護室にいれないで」とつぶやきました。

その後、院長の予想に反して、私は数日で立ち直り、院長の診断・予測と脅しがいかにうそっぱちであったかを知りました。さもさもしく用意された医療保護入院に、もし同意していたなら、数日で立ち直ることなどとてもできず、それどころか、こんなインチキ同然の医者に殺傷与奪の権限を与えてしまいとんでもないことになっていたに違いないと思います。この院長は、書物も何冊も書いていて、各地で講演をしてまわる高名な医師ですが、その現実はこのとおりです。医療保護入院の制度は、この私の通院している病院では、医療とは名ばかりの、まったくのインチキです。

橋本注)*2 精神科には入院形態として「任意入院」「医療保護入院」「措置入院」と三種の形態があり、任意の入院とは、他の一般診療科での入院と同じ形態のことです。皆さんが病気になった際、入院生活そのものに恐怖を感じることのない、当たり前の形態のことです。「医療保護入院」「措置入院」という特殊な形態が存在するのは、精神科だけです。

Dさんの医療保護入院の事例報告

1】強制入院(医療保護入院)までの経過

①通所施設に来るまで

Dさんには幼い娘が一人いるが、育てることができず、今は別れた元夫が娘を一人で育てている。そしてDさんは、働くお母さんと二人で暮らしている。Dさんは、この2か月の間、調子が悪くて、病院にも行けなかった。私たちの通所施設にも行けず、薬も飲んでいなかったという。そして、11月のはじめに、頼りにしているお母さんが遠くの病院に入院してしまい心細い一人暮らしになった。近所に住む二人の男につけ狙われていると3信じているDさんにとって、ひとりっきりの生活は、とても怖く、たまらなく寂しい。お母さんの退院予定日の11月14日まで待ち切れなかった。

何日か過ぎた11月10日の昼、Dさんは、たまらず私たちの施設に、「寂しくてたまらない。助けて!」と電話をしてきた。職員2人が出向き、明日にでも通所するように説得した。しかし、その夜、深夜になって職員の電話に、「サヨナラ」と留守番電話メッセージが入った。それを知った私たちは大変に心配した。

翌朝(11月11日)、10時過ぎに、Dさんから「今朝から何も食べていない、私はどうしたらいい? 助けて!」と、電話があった。職員が、「とりあえず、おかゆを作ってたべて、それから通所したらどうか」と勧めたら、「そうしてみる」と、Dさんは応えた。しかし昼になり、「もうたまらない、早く助けにきて!」との電話があった。

そこで、職員が車で救援に向かったが、向かっている間中、電話で「早く助けて、もう待ちきれない」と訴え続けた。そして、職員が到着する少し前、彼女は両腕に無数の切り傷(リストカット)をつけてしまっていた。Dさんは、「リストカットの時に、布団に血が付いてしまい、おりからの地震*4(幻覚)で怖くなり、パニックが起きて、(血が付いて)気持ち悪くなった布団を窓から投げ落してしまった。部屋の鍵も無くしてしまった。」と電話で訴えた。迎えにいった職員と会えて、Dさんはやっと少し落ち着きを取り戻し、車に乗って、施設にやってきた。

その後、職員ら、仲間数人と話しているうちに、薬は必要だから、病院が診察・投薬に応じてくれるなら、今からでもいっしょに病院いこうということになった。

②通所施設から、病院へ

電話で、診察・投薬を求めたところ、主治医が了解してくれたので、すぐに車に乗り込み、Dさんと、付き添い3人、総勢4人で病院に向かった。30分ほどの移動時間であったが、病院の近くまで来た時、「苦しい。助けて。」と激しく叫んだ。病院へ向かっているという緊張が極度に高まったためであったろうか。

2】病院でのできごと

①主治医が出てくるまでの15分間

病院に着いた私たちを、数人の職員が取り囲んだ。主治医Tドクターはいつまでたっても出てくる気配がない。Dさんは、「T! でてこい! いつまでまたせるか!」と興奮を高めていった。取り囲む人数はどんどん増えて6人ほどになっていく。私たちは、「取り囲むのはよせ! なぜ取り囲む! すぐに主治医を呼んでほしい!」と要求したが、いっこうにTドクターは姿を現さない。

Dさんは、ついにしびれを切らして、ガラスのドアをけり飛ばし、ドアは大破してしまった。さらに数人の男が出てきて、ドアの破損具合を調べたり、割れたガラスの寸法を測ったりしはじめた。

②主治医Tの登場から、診察開始までの10分

やがて、Tドクターが出てきたので、私たちが、「遅いじゃないか。早く診察してくれ。」と要求した。Tは、「母親とまだ連絡がとれない。電話を待っているところだ」といって、また引っ込んでしまった。

10分後、再度登場したTドクターは、「今、母親と連絡がとれた。今から診察をする。」と宣言した。

Tは診察以前に、最初から医療保護入院を決めており、入院中の母親の同意が取れるまで時間稼ぎをやっていたのであろう。こうして、Dさんは診察室に連れて行かれ、やがて屈強な男たちが集まってきた。看護助手か看護師であろう。

③診察室から病棟へ

7~8分の後、診察室のドアが開き、Tが、「Dは医療保護入院。電話で母親の同意をとった。」と宣言。Dさんが連れだされ、「いやだ! 帰る、助けて!」と泣き叫ぶDさんを屈強な男たちが連行していく。Dさんが壊したドアを通って中庭にでて、さらに入院病棟に入り、階段を引きずって上階に上がって行った。この間、私たちは、ドクターに橋本さんの闘いを紹介し、「この医療保護入院で、橋本さんに行われたような、男性看護師によるケアが行われるようなことがあれば、私たちは許さない。あらゆる手段で闘う」と訴えたが、Tドクターは、「私の権限ではどうにもならない」といって、取り合わない。そこへPSW(精神保健福祉士:橋本 注)の女性がきたので、同様の要請をしたが、「そのようなこと(男性によるケア)の無いよう、極力努力する」というばかりであった。

これが、H市でも、「ましなほう」と言われる病院で行われている、医療保護入院の非道な実態である。

橋本注)*3・*4 精神病による「妄想」「幻覚」という症状の一つですが、ここで注意していただきたいのは、当人にとってそれは紛れもない現実であるということです。それほどリアルな現実感をもって「妄想」「幻覚」「幻聴」は現れます。病者にとっては「現実」なのですから、どれほどおそろしく感じているかを理解するべきです。ただし、適切な治療と良好な人間関係や生活環境によって、確かにそれがあっても、病者自身が、幻覚が幻覚であり幻聴が幻聴であることを、自覚できるようになります。多くの病者は、それらと共存する形で社会生活を送っています。

3 入院患者さんの声

(「大阪精神医療人権センター」作成の資料『入院患者さんの声』(20周年誌にまとめられたもの)より抜粋させていただきました)

同センターは、その幅広い活動のなかでも「精神医療オンブズマン活動」を行っており、病院訪問、連絡協議会への報告、検討などに取り組んでいます。そのなかで、本資料は、病院訪問により集められた患者さんの生の声として、たいへんリアルな内容となっています。ここに掲載することができなかった声や、「大阪府精神障害者権利擁護連絡協議会」への「検討項目及び結果分類」の年次ごと一覧表などもあり、

同センターにお問い合わせ頂くことでも入手可能です。

(大阪精神医療人権センター 公式サイト:http://www.psy-jinken-osaka.org/

金銭管理を自分でさせてもらえない

・病院が日用品など買うためのお金を預かっている。自分の手元におきたい。(67)

・お金を病院に預けています。1週間で1500円の現金しか渡されない。(66)

・年金の届出が1ヶ月以上放置され、抗議をしたら、病院側から、他人事のような冷たい対応をされ、意見箱に投書した。(64)

・お金、通帳を病院に預けています。生活保護もその通帳に入るようになっているのですが、ちゃんと入っているのか誰に聞けばよいの? (66)

職員が金銭を使い込む

・病院から、病棟全体などで近くのスーパーに買い物に行くとき、患者(知的障害)のお金で看護師が食事をしたり、病棟へのお土産を買ったりしていたようだ。(64)

使役労働

・入院中に、○○当番というのが廻ってくる。朝起きた時から、「当番やで」と言われる。なんで、こんな思いをしないといけないの。(57)

過剰投薬

・薬を山ほど飲まされる。「減らして」と言うと増やされた。(61)

・きつい薬飲まされて昼間も眠くて昼寝してしまう。起きたら4時ごろ。門の開いている時間が終わり、起きたときには病室から出られない。タバコも買いに行けない。(59)

・医保入院。毎日薬ようけ飲まされる。しんどくてしゃーない。(57)

プライバシーが守られない病棟・職員

・ロッカーや消灯台を開けるよと言われて、拒否したのにも関わらず開けられた。プライバシーの侵害と人権無視だと思う。(68)

・看護師が自分の病気のこと(病名)を他の患者さんに話す。(65)

・病棟によってロッカーの大きさが違い、持つことのできる私物の量が違うのは不公平ということで、看護師に衣装ケースの中の自分の荷物を捨てるよう言われた。(62)

通信・面会の制限

・病院、主治医が人権センターに電話をかけてはいけませんと言う。(61)

・病院では電話が詰所前にあるからかけれない(67)

・妻が入院して40日近くたったのですが、面会できない(61)

・テレホンカードを取り上げられることがある(61)

本人よりも保護者の意見優先

・両親は主治医に言われるがままで、退院させてもらえない。(62)

・主治医は「退院してもいい」というけれど、親が「もうちょっと落ち着くまでいてなさい」って言う。(61)

・「お父さんがよいと言えば退院してよい」と医師に言われた。でも入院のときの病状で、家族関係が悪くなったから、退院、外泊を受けいれてくれない。(67)

医療保護入院への疑問

・「退院したいと言うのなら医療保護入院に替える」と言われた。(58)

・任意入院が医療保護入院になった理由を説明してくれない。聞こうとしても避ける、逃げる。(65)

任意入院の閉鎖処遇

・任意入院なのに、4週間外出制限された。納得できない。(58)

・任意なのに外出も退院も出来ない。医療審査会がとりあってくれない。(57)

・開放病棟なのに鍵がかけられている。(62)

・任意入院。退院させてもらえない。「今はまだ退院の段階ではない」の一点張り(57)

・任意入院だが何をするにも制限がある。(61)

・任意入院中だが「家族が来ないと退院できない」と主治医に言われた。(66)

保護室処遇の問題

・保護室から出してほしいのですが、なかなか出してもらえません。(64)

・保護室ではトイレを使うのも監視カメラで見られていて、はずかしい。(64)

・しょっちゅう保護室にいれられている。保護室の使われ方に疑問を感じるが、どこに聞けばよいのかわからない。(66)

人手不足による放置

・他科の受診をしたいが、人手が足りないと言われ、受診できない。(63)

・歯が痛いと言ってるのにほったらかし。歯の治療を受けたい。(60)

医者による権利侵害

・「ピアカウンセリングのこと知りたい」と言ったら主治医が「そんなんしたらいけません」と言う。(61)

・退院したいが、主治医が「一生ここにいたらよい」と言う。(62)

・Drに「なんで、生活保護を受けてんの?」と聞かれた。怒鳴られたり、ニヤニヤされたり。しんどくて医者に行ってるのに(58)

主治医と滅多に会えない

・主治医は体調が悪いとか言ってあまり診てくれません。(64)

・主治医の診察が30秒くらいで、充分に話をきいてくれない。(65)

・医師に伝えたいことがあるが取り次いでもらえない。(63)

相談したい人に相談出来ない

・主治医も担当ケースワーカーも男性。女性と話したい(61)

・女性の看護師に相談すると、上司の男性看護師に聞くように言うだけで、話を聞いてくれない。若い男性看護師には話しにくいこともある。(67)

・担当*5PSWは忙しそうで、なかなか病棟にきてくれない(63)

・病院にはケースワーカがいない。看護師にきくと、退院については主治医にまかせているから、と取り合わない(66)

病院や第三者に実情を伝えたい

・病院への不満を直接病院職員に言うと、「意見箱に入れてください。」と言われた。患者の訴えが意見箱を通してしか病院側に伝わらないのはおかしい(64)

・意見箱に投書したが答えてくれない(62)

・入院中のつらかったこと、話だけでも聞いてください(61)

・面会に来てください。(58)

必要な時に入院させてくれない

・子どもが精神科で薬をもらい飲んだ。足をひきずり舌が出て、筋肉注射が ものすごく痛い痛いと言っていた。親としては何も言えなかった。わからなかった。3日後自殺した。その後、私も精神科へかかり抗うつ剤を飲んだ。便秘にはなるし吐き下はするし。医者はなぜこんなきつい薬と知ってて緊急入院させてくれなかったのか。(60)

・精神科の救急に電話したら、満員で迎えにいけないと言われた。しばらく待機するように言われ、連休中がまんした。(62)

非人間的な居室空間

・カーテンもナースコールもない。他患者にたたかれた。食べるスペースもない。トイレ、お風呂ゆっくり入れない(60)

・入院の際には開放病棟にあるきれいな個室に入れるとの話だったのに、部屋があいていないという理由で、閉鎖病棟の隔離室に入れられた。トイレに囲いがなく、ダンボールの上で食事をしないといけなかった。(64)

・病棟の廊下、便器に便がついていても、ほったらかしで数日おかれることがある。トイレに落ちていた便もティッシュでとって捨てるだけ。消毒もしない(67)

・日光がよく入る病棟で、エアコンの数が少ないため、病棟の中がとても暑い。(65)

・病棟が暑いのに「修理中」と、冷房を入れない(65)

アメニティのなさ

・入院10日目くらいからやっと魚が食事に出た。それまで野菜ばかり。肉はたまに出ても脂身ばかり。お金もなくてひもじい。(58)

・(病棟で)毎日、ひまで、ひまで困っている。

治療や入院への説明不足・納得出来ない

・入院している子どもが「どうしてここにいなければいけないの?」と泣いて訴える。(62)

・医師の診断に納得がいかない。他の医師にみてもらうことはできるのですか?(67)

・入院の理由が分からない。(62)

・もう6ヶ月になるのに、任意に替えてくれない。もう治っているのに、いつまでもしばられている。(58)

・入院中はおとなしくしていないと退院できないと思い、納得していないが薬を飲んでいた。(63)

・前の病院の主治医は「統合失調症」と言う。今の主治医は「わたしはそうは思わない」と言うだけ。はっきりしないのは不安。(61)

・子どもに会わせてあげると言われて連れて行かれた先が精神病院で、強引に入院させられた。(63)

病院や治療への不信感

・私が入院している病院は、療養環境としてとてもたくさん問題があると思います。ただ、今は、自分にとって入院が必要だと思い、病院を探したが、みんな満床で、入れたのがこの病院だけだった。医師は話をきいてくれるのでここにいたい。苦情を言うことでスタッフから目をつけられたり、「それじゃあ、他の病院に行ってください」と言われるのが怖くて言えない。(67)

・主治医に言っても薬をかえてもらえない。自分のことについての情報の流れが、主治医、看護師、家族の間でどうなっているかわからない。(64)

・保護室から精神医療審査会に電話をかけたかったので、医師に付き添われて電話をしにいった。1回目は話中で電話がつながらなかった。もう一度かけようとしたら、横から医師に電話を切られた。(67)

*6電気ショック、はじめて。気持ちが暗く、まわりに不信感がでてきた。(61)

虐待的言動

・外泊希望したら「まだそんなこと言ってるんか。一生退院できひんで」「あきらめるか」とか言われた。(66)

・5~6年前に退院したいと伝えるとグランドに立たされた。倒れると看護師に腹に蹴りを入れられた(65)

・看護師、ヘルパーに偉そうに言われたり、ひっぱられたりします(66)

強制入院時に感じたショック・屈辱

・家族についてきてもらい急に入院になった。外来で男性看護師と女性看護師5人に、何の説明もなく「着替えをします」の一言もなくパジャマに着替えるのにいきなり押し倒され両手つかまれて男性看護師がかぶさって手を押さえられ、手がはれ上がった。(59)

・「修理に行くから家にいといて」といわれて家にいたら、Drがきて注射打たれて独房に入れられた。なかなか出してもらえない。(60)

・主人に無理矢理入院させられた。診察も説明もなし。(60)

退院時の支援不足

・入院の時にはグループホームがあると聞いていたが女性しか入れない。病院からは病院近くへの退院やアパート暮らしをすすめられ、アパート探しも協力してもらえるという話だったが、その後「アパート探しは家族で」と手紙がきた。(65)

・看護師が退院するように言う。不安。グループホームなどあるらしいがどんなところか?(63)

・主治医が「(退院に向けて)外泊してもいいけど」と言うが、外泊先がない。誰に相談したらよいのか・・・(65)

・入院してもう5年。「保護者いないから単独では退院はあかん」と医師から言われる。このままがまんしないといけないのか。(57)

出たいのに・・・

・主治医がころころ変わって退院の目処がつかない。(65)

・今いる病棟は、自由に外に出られないし、お金を自分で持てないので、ジュースも飲めない。(66)

・10年間、入院している。外出できない。家族に会いたい。(61)

・病院替わりたい。26年間もここにおるんです。(57)

・入院費を払わないと出られないと言われた。(67)

橋本注)*5 「PSW」(Psychiatric Social Worker)とは、「精神保健福祉士」のことです。1997年に誕生した精神保健福祉領域のソーシャルワーカーの国家資格で、社会福祉士、介護福祉士と並ぶ福祉の国家資格(通称:三福祉士)のひとつです。
特にわが国では、精神障がい者に対する社会復帰や社会参加支援の取り組みが、先進諸国の中で制度的に著しく立ち遅れた状況が長年続いたという背景から、近年、関係法の改正などにより、精神障がい者も同じ一市民として地域社会で暮らすための基盤整備が図られることとなり、それらの制度設計の一環として、精神保健福祉領域に特化した資格として、「精神保健福祉士」が創設されました。社会福祉学を学問的基盤として、常に権利擁護の視点を持ちながら、病院の外の他機関とも連携しつつ、精神障がい者の抱える生活問題や社会問題の解決のための援助や、社会参加に向けての支援をすることがその役割と言えます。ちなみに、身体障がい、知的障がいに特化した福祉士の国家資格は存在しません。
しかし、PSWは医療職ではありませんので、医師の指示によって業務を行うものでないにも関わらず、『主治医がいれば、その指導を受けること』もPSWの義務として定められている(精神保健福祉士法第41条第2項)ので、残念ながら、病院の職員として勤務する多くのPSWは、医師の部下としての立場に置かれるのが実情で、PSWとして独自の専門的な視点に基づく判断とそれによる支援を行うのは難しく、また、それだけの技量を持つPSWはめったにいないのが実態です。

*6 「電気ショック」とは、「電気痙攣療法」のことで、頭部(脳)に通電することで症状を改善するとされているものです。救急医療における心肺停止状態の心臓への通電で心拍を回復するのと原理的にはほぼ同じですが、当然、心肺停止しているわけでもない人に通電するのですから、患者には相当な肉体的負荷がかかります。心臓疾患のある人、またはその疑いのある人には禁忌です。古くから行われている治療法で、現在でも一部の精神科では行っていますが、施術前に入念な検査(心肺機能、他、多岐にわたる)を行った上で、麻酔科の診察を受け、全身麻酔下で行われるのが正当な形です。しかしながら、1970年代頃まで、この治療法が患者への懲罰として多用され、麻酔もなしで、多くの病者に苦痛と恐怖を植え付け、今でもその体験のトラウマに苦しむ病者が存在します。通称『電パチ』といって、現在でも病者の間では恐れられています。治療効果についてはたいへん個人差が大きく、あらゆる薬物療法に反応しなかった重い鬱病患者が劇的に回復する例もあれば(ただしこれも一時的で再発は多く、そのため熱心なリピーターとなる例もある)、全く効果の無い例も多々あります。脳に対する通電の治療効果の機序は、実は、現在の医学では解明されておらず、効いたとしてもなぜ効いたのか、科学的に説明できないのです。

4 「精神科事件史年表」―精神科で発覚した主な問題事件

「精神科事件史年表」(読売新聞・原昌平氏作成)から「大阪精神医療人権センター」が抽出したもので、紙面の関係で勝手ながら2000年以前については一部省略し、掲載します。

■ 精神科事件史年表

(注:訴訟や個別過誤、患者同士の刑事事件はあまり収録していない)

発覚年 病院名 所在地 主な内容
2008 12 貝塚中央病院 大阪 違法拘束中の男性患者が重体、転院先で死亡。看護職員の暴力で患者が告訴
12 東京クリニック 東京 元患者につきまとい、脅迫メール。元院長をストーカーと脅迫容疑で逮捕
11 しのだの森

ホスピタル

千葉 男性入院患者の腕をねじ上げ、骨折させたとして看護師を傷害容疑で逮捕
10 大東市の診療所 大阪 向精神薬エリミン約20万錠が不明。暴力団に売った元事務長を近畿厚生局が書類送検
8 米子病院 鳥取 男性入院患者の顔を殴ったとして看護助手を暴行容疑で書類送検(起訴猶予)
7 モリタニ

クリニック

京都 リタリン大量に使途不明。院長を近畿厚生局が書類送検(起訴猶予)
6 初石病院 千葉 火災で保護室の患者が煙を吸い死亡。看護師がカギ開けず。別の患者を放火で逮捕
6 十全病院 石川 患者ら2730人の個人情報がネット流出。職員がメモリーで持ち出していた
4 藤枝駿府病院 静岡 肺炎球菌で院内感染64人、患者4人が死亡。保健所報告は発生の約4週間後
2 光ヶ丘病院 富山 男性患者(84)が同室の男性患者(87)を殴って殺害。のち殺人容疑で書類送検
2007 12 武蔵野病院 群馬 男性看護師が男性患者の頭をけり、死なす。傷害致死で逮捕。以前から暴行
11 県立こころの医療センター 三重 面会室で交際相手の女性を絞殺、入院患者の男を逮捕
11 公立小浜病院 福井 救急搬送の男性に鎮静剤投与後、心肺停止。1年後死亡
11 片倉病院 山口 入院中の女性が病室のベッドで首を圧迫され死亡。殺人で捜査
11 東京クリニック 東京 リタリンを無診察・無資格で処方した容疑で捜索。のち院長を書類送検
10 京成江戸川クリニック 東京 リタリンの無資格処方で院長と事務員を逮捕
10 陽和病院 東京 入院中の少年(18)が男性看護師(33)を刺殺
7 松山記念病院 愛媛 患者13人からの預かり金975万円を男性職員が着服、懲戒解雇
6 しおかぜ病院 香川 入院患者が同室の患者を刺殺
5 宮城県精神医療センター 宮城 看護師が患者2人の預金312万円を着服、懲戒免職
2 東松山病院 埼玉 職員水増しで不正請求。男性看護助手が患者に暴力
1 国立・武蔵病院 東京 患者1688人分の個人情報が入った私有パソコンを医師が紛失
1 東京クリニック 東京 説明を求めた女性患者の頭を院長が壁にたたきつけ負傷。傷害で逮捕、有罪
2006 11 国立・国府台病院 千葉 PTSDの女性患者を男性医師が殴る。民事判決で認定
10 国立・賀茂精神医療センター 広島 看護師が入院患者8人の預かり金の計78万余円を着服、懲戒免職
10 国立・国府台病院 千葉 入院費など計約436万円を着服した係長が着服、懲戒免職
10 成増厚生病院 東京 保護室で患者が放火、女性患者1人死亡、4人重傷。保護室カギあけず
9 新潟県立精神医療センター 新潟 使途不明通帳が2冊(計約77万円分)が見つかる
9 国立・武蔵病院 東京 准看護師が患者のキャッシュカードを盗んで316万円を引き出し、逮捕
9 三船病院 香川 5階病棟の床下に白骨死体。02年6月に行方不明の女性患者
8 岩倉病院 京都 患者の金数百万円が不明。女性看護師長が30万円返還
7 埼玉江南病院 埼玉 准看護師が患者に暴行・負傷。法務局が勧告。傷害で略式命令
6 本舘病院 岩手 女性患者が預けた預金通帳と印鑑で事務職員が890万円を着服
6 都城新生病院 宮崎 閉鎖病棟で火災、男性1人が死亡
4 都南病院 岩手 元通院患者の女性に医師が睡眠薬を飲ませ、準強姦で逮捕、有罪
1 瀬戸内市の病院(廃) 岡山 不当な漫然長期入院・使役労働。弁護士会が人権救済勧告
2005 11 心斎橋みやまえクリニック 大阪 医師がうつ病の女性患者の家に上がり、体を触り逮捕
8 三隅病院 山口 薬剤師が向精神薬約150錠と注射器を外部へ横流し
7 行橋厚生病院 福岡 看護師2人が入院中の小5男児を殴って負傷させる
4 安田メンタルクリニック 愛知 女性の患者の胸をさわったとして院長逮捕、有罪確定
2 長崎県の病院 長崎 看護師を患者への暴行で容疑で逮捕
2004 11 西熊谷病院 埼玉 職員が女性患者に暴行、男性患者の窒息死届けず、不正請求
11 都内の病院

(複数)

東京 身体拘束によるエコノミークラス症候群で5年間の4人死亡
10 土屋病院 山形 無資格の理事長や職員らが4年間、薬を調合
6 海辺の杜ホスピタル 高知 准看護師が入院患者8人の預金643万円を引き出す
1 県立友部病院 茨城 閉鎖病棟の入院患者が抜け出し凍死。鍵かけ忘れか
2003 12 岐阜県の6病院 岐阜 入院患者に掃除や配膳などの院内作業、県も容認
8 福島松ヶ丘病院 福島 作業名目で清掃作業、違法拘束、超過収容
5 三生会病院 山梨 心臓に持病の男性患者に電気ショック療法、死亡
4 松口病院 福岡 任意患者の退院拒否、電話制限、違法拘束
2002 12 上妻病院 東京 任意入院の女性患者の退院を不当に拒否
10 県立会津総合病院 福島 保護室に複数収容、電話面会制限、不正請求
8 宇都宮病院 栃木 O157に123人が集団感染、9人死亡
7 和歌浦病院 和歌山 看護助手が男性患者を殴打して死なせる
4 浜黒崎野村病院 富山 指定医の診察なく隔離、カルテ改ざん
1 豊明栄病院 愛知 男性入院患者が何者かに扼殺。違法な院内作業
2001 12 県立病院静和荘 山口 女性患者の不審死届けず。両親の面会を半年拒否
12 井之頭病院 東京 保護室で抑制中の男性患者が窒息死
8 箕面ヶ丘病院 大阪 職員水増し、違法拘束、外出制限、電話妨害
8 中間保養院 福岡 職員水増し、不正受給、超過収容
3 新門司病院 福岡 事務長が患者の金や市の補助金など9500万円着服
2 真城病院 大阪 看護士がゴルフクラブで頭を殴るなど暴行
1 宝喜クリニック 東京 女性を拘束して病院へ搬送中に窒息死(業過で有罪)
2000 11 朝倉病院 埼玉 不要な中心静脈栄養、違法拘束、病室で手術
9 県立大村病院 長崎 看護士が勤務中に女性患者と性関係
5 埼玉医大 埼玉 中3少女がビタミン併用を怠った輸液で死亡
1999 11 松口病院 福岡 患者の退院・処遇改善請求を取り下げさせる
2 多度病院 三重 インフルエンザで19人死亡。超過収容、使役労働
1998 12 平松病院 北海道 保護室に男性患者2人を入れ、1人が暴行死
11 奄美病院 鹿児島 女性患者を庭木に縛る。ニセ医師が診療
9 国立犀潟病院 新潟 違法拘束中の女性がノドに物を詰めて窒息死
1997 3 大和川病院 大阪 暴行死、違法入院・拘束、電話・面会妨害、使役労働、職員水増し、24億円不正受給
2 山本病院 高知 職員2人が女性患者の頭を壁に打ちつけ死亡
1996 11 栗田病院 長野 院長が死亡患者の預金着服、脱税、患者虐待
1995 12 皆川記念病院 神奈川 男性患者がベッドに縛られたまま流動食を詰め窒息死
1994 12 米沢市立病院 山形 精神科病棟の火災で女性患者がCO中毒死
4 越川記念病院 神奈川 患者にエアガン乱射、違法拘束、職員水増し
1993 9 湊川病院 兵庫 男性患者が何者かに暴行を受けて重傷
2 大和川病院 大阪 男性患者が院内で暴行を受け不審死
1992 6 河野粕屋病院 福岡 電気ショックで82年に患者2人死亡。不当な強制入院
1989 5 河野病院 福岡 違法な入院・拘束、看護士が電気ショック
1986 10 根岸病院 東京 自殺を病死に工作、処方箋の記入を部外に大量発注
5 青葉病院 東京 職員水増し、使役労働、違法拘束
1985 10 青梅成木台病院 東京 乱脈経理、患者の金を理事長らが着服、不要入院
7 吉沢病院 東京 無資格の看護職員が注射やレントゲン
7 大多喜病院 千葉 入院患者の急死、違法入院など
4 厩橋病院 群馬 看護士が患者を殴って頭の骨を折る
1984 10 青山病院 広島 火災で患者、看護婦ら6人焼死
3 宇都宮病院 栃木 患者が職員らのリンチで死亡。院長らが患者虐待、使役労働、無資格診療、違法解剖
1982 6 鴨島中央病院 徳島 患者8人が集団脱走、うち2人は連れ戻されたあと自殺
1980 9 高岡病院 姫路 ガラス店や鉄工所で作業療法と称して低賃金労働
1 大和川病院 大阪 看護人が男性患者に暴行、死なす

あとがき

今回ご紹介したものは、私どもに寄せられたものの一部にすぎません。ですから、精神医療の世界では、この事例の何倍もの人権侵害が、日々起きていると考えるのが妥当であると思います。

精神科病院は、なおその多くが閉鎖病棟であり、人権侵害が発生しやすく、また発生しても顕在化しにくい状況があるのです。

また、我が国の精神保健福祉は、先進諸外国と比して、あまりに遅れているといわざるを得ません。今回はその具体的データをご紹介することが叶いませんでしたが、入院病床数の多さ、在院日数の長さは、群を抜いており、あまりにひどい有り様です。さらに、社会支援システムが皆無に等しいほど貧しいことも、諸外国と比して顕著に表れています。

先進国の一員であるはずの我が国において、ここまで精神保健福祉が貧困で、精神障がい者がむごい状況におかれていることには、様々の原因があるのですが、行政-厚生行政の責任が大きく関係していると考えます。つまるところ、国の責任なのです。

しかし、我々国民が主権者である以上、国の責任は我々自身の責任であるとも言えます。

多くの人々は精神障がいに無関心で、人々の無関心は無知を呼び、無知から来る偏見によって、我々精神病者は、常にいわれなき差別にさらされています。

あまりに閉鎖的な精神病院という環境のなかで、社会から忘れ去られたようにひっそりと人生の大半を過ごす多くの善良なる病者がいることを知って下さい。彼らにはおよそ人間らしい暮らしなどないことを知って下さい。彼らにとって、「人権」など、絵に描いた餅に過ぎないということを知って下さい。

多くの国民が、精神障がい者のおかれた状況に関心を寄せるならば、国を動かすことですら、不可能ではないはずです。

そのためには、どうか、本当のことを知って下さい。精神障がい者をめぐるあらゆる実態を、勇気を持って直視して頂きたいのです。

心ある皆さまが、偏見のなかで忘れ去られ社会から見捨てられた人々の、声なき声に耳を傾けてくださることを願って、あとがきとさせていただきます。

橋本 容子



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