全国「精神病」者集団ニュース 2004年3月号

2004年3月発行の「ニュース」抜粋です。 一般定期購読は有料(年6回程発行1年分5000円)です。(病者である会員の購読は送料も含めて無料となっております。)

全国「精神病」者集団
ニュース


ごあいさつ

気候不順の折皆様いかがお過ごしでしょうか。

体調不調の訴えが各地から相次いでおります。この時期はひたすら辛抱と休息でしのぐ時期かもしれません。皆様どうかお大事になさってください。

こういう時期ですが、私たちをめぐる状況は急激な悪化にさらされています。障害者年金や障害者手帳の級の切り下げが各地で横行しています。なけなしの生活保護の障害加算すら0になったという訴えが相次いでおります。

私たちにはいる金=所得保障は障害年金と生活保護のみですが、その頼みの綱すら危うくなっているといわなければなりません。もちろん地域の施設に対しても補助金の削減が行われています。しかし今こそ私たち自身が声を上げ私たちに必要な生き延びる手段を獲得していかなければなりません。私たち自身の懐に直接入る金を確保していかなければなりません。

このところ会員からのご投稿が余りありません。多くの方のご投稿をお待ちしております。各地でニュースを出しておられる方はぜひご送付お願いいたします。各地のさまざまな動きをできるだけ伝えていくニュースとしたいと考えております。

窓口へのお手紙へのお返事が遅れがちとなっていることお許しください。

(略)

全国「精神病」者集団の連絡先が変更となりました。お手紙ニュースなどのあて先変更をよろしく。

なお窓口の電話番号も変更しました。

★お手紙、各地のニュース、住所変更、ニュース申し込みはすべて

〒210-8799 川崎中央郵便局私書箱65号

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北から 南から 東から 西から


(略)


各地からの心神喪失者等医療観察法施行阻止の声

下記はDさんが通っておられる作業所の機関紙に投稿掲載されたものです。出塩さんは招かれた講演でもこの法律反対に触れていくとのことです。


心神喪失者医療観察法案"の怖いところ

福岡 D

7月10日。"再犯のおそれ"があるかもしれないという理由だけで、精神障害者を半永久的に拘禁できるという法案が国会で可決されました。いったい誰が将来"再犯のおそれ"があると予測できるのでしょうか。法案では裁判官1人と精神科医1人で判断が下されますが、これでは常に精神病患者が医療機関に観察されるため、もはや気軽に病状や悩みなどを訴える事が出来なくなります。しかも運用しだいでは誰でも精神障害者であれば強制入院させる事ができるおそれのある法案になっています。

似たような法案ができたイギリスでは過去10年間"再犯の恐れ"を判断しなければいけないという「リスクへの恐怖」ゆえに1.5倍にも強制入院が増えていると言う事です。1人の再犯予防の為に3~5人拘禁しなければならないそうです。あれだけ発展したイギリスでさえそうなのですから、世界一入院患者が多い日本ではさらに入院患者が増える事が予測されます。

地域に根ざした今の精神医療の流れに逆行するどころか、精神障害者は危険だから閉じ込めておけという風潮を助長し作出します。障害者も人権があり人間であるという根本的な認識をいつまでも忘れてはいけないと思います。


鳥取の仲間からのメール

12月22日

いかがお過ごしですか?どうも、この時期は毎年、特に調子が悪くなるのですが、それは、きっと、私だけではないのでしょうね。

町中が、クリスマスのイルミネーションで輝いて、なにやら華やかで楽しげで…。そんなムードが漂っているときになると、何故こうも気持ちが沈むんでしょうか? ことさらに私が不幸な訳でもないはずなのに、まるでそうであるかのような気がしてなりません。希死願望が強くなって仕方がありません。

また、京都で不幸な事件が起きました。

今のところ、一般のTV報道などを見る限りでは、イラク自衛隊派遣や、年金制度などが大きく取り上げられていて、量的にはかつての池田小の時ほどのボリュームの大きさはないようですが、新聞各紙も、微妙な違いこそあれ、やはり、容疑者の精神科の入院、通院歴を報道しました。容疑者が精神病の人であることは、やはり、こうして表に出るのですね。容疑者が心臓病や腎臓病であってもそれは全く事件の報道では取り上げられることはないのに、精神病となると、やはり、こうです。今回の事件と、容疑者の病気は関係あるかもしれないし、ないかもしれない。少なくとも、事件発生の初期段階では、なにも確定していないにも関わらず、必ずこうなのだから、ホントにイヤになる。

せめて、『容疑者の男は取り調べで意味不明のことを言っている。』というだけにとどめることはできないのでしょうか。容疑者の精神病を言うなら、取り調べその他が進んだ段階で、病気と事件の関係がはっきりと確かめられた時にはじめて言うべきでしょう。暗澹たる思いです。

私を暗澹たる思いにするのは、もう一つ。

触法精神障害者医療観察法について、多くの一般の人々、フツーの市民、町で暮らしているおじさんおばさん、サラリーマンや主婦、学生やフリーター、あらゆる人々を思い浮かべたとき、その人たちに対して、この法律が何ら合理性のないものであり必要もないばかりでなく精神病者を明らかに差別するものである、ということを、伝える力を私が持っていないということです。

かくいう私も、長野さんと出会うまで、全国「精神病」者集団を知りませんでしたし、この法律も、内容に興味を持って見たのは、あまりに急な成立に驚いてからでした。

それでも情報を効率よく取り出すのは至難の業で、とりあえずはインターネットで情報を集めようとしましたが、煩雑で錯綜していて、かえって理解しづらく、やっと、問題の核心が見えたのは、長野さんの持ってきて頂いた資料に全部目を通してからでした。

遅きに失したという感じですが、長野さんと出会えなかったら、今もよく分からないままで、気になりながらも、自分の立場をどこにおいてよいのか迷っていたでしょう。遅かったけれど、まだ間に合うかも、と、かろうじて自分を慰めています。

実は、今日も、ごく親しい人と会っている時にこの法律のコトを話題にしたのですが、残念ながら共感を得ることはできませんでした。

その人が言うのは、「病のために法を犯した精神障害者が病ゆえに刑罰を受けることがないなら(責任能力がないなら)、しかるべきところで治療を受け、やがて回復し社会復帰することで、刑罰も受けず、治療もなされず野放しになっているより、むしろいい法律ではないか」ということです。

法律のうたい文句と政府の言い分を額面どおりに受け取るならまさにこの人の意見はもっともだということになるのでしょうが、現在のあまりに貧しい精神医療と皆無に等しい地域支援システムを知っている者から見れば、百歩譲っても、うたい文句はまやかしで、そのとおりにはならないと理解できるはずだと思うのですが、精神医療や地域支援の実態を少々説明したところで、病気の当事者でないこの人は、リアルな実感を以て受け止めてくれることはありませんでした。

「それは法の運用面での問題点であって、良心的に正しく運用されるように監視していけばいいのだ。」とも。これももっともらしいのですが、外部の監視の目や当事者の自由を大きく制限することを容認する制度のもとで運用される法なのだから、もともと無理があり、再び犯罪を犯す可能性を強制的な医療と管理の根拠とするのだから、どう運用しようと、そこには正しさ、正義は存在し得ないし、そもそも、再び犯罪を犯す可能性を精神障害者のみに限定して法を制定することそのものが、基本的人権の侵害である、というところまで伝えることができませんでした。

私に、説得するだけの力がないということが、悲しかったし、これ以上この話題を続けると、愛すべき友人と大げんかをしてしまいそうだったので、途中で話題を変えざるを得なかったのですが、苦い思いが後に残りました。

この人だって、良識ある善良なる市民です。私と親交を持っているくらいだから、取り立てて精神障害者に対する差別意識を持っている訳でもないでしょう。しかし、この法律の背筋が凍るような恐ろしさを実感する感覚を持ち得ないのです。

らい予防法廃止後、私はある人との出会いを通してはじめてらいの人々がどのような状況に置かれていたのかを知りました。愕然としました。状況を知って愕然としたというよりも、らい予防法などというとんでもない法律が存在し続けていたこと、それを全く知らずに安穏と私たちが生活していたこと、それに愕然としたのです。

私が多少なりともハンセン氏病について、また我が国の対応について知り得たのは、ひとりの友人との出会いがきっかけであり、それは奇跡的とも言える偶然だったように思います。それほどに「知ること」はそれまでの私にとってチャンスのなかったことでした。それでも、私は『私も彼らをひどい目に遭わせた加害者だ。』という意識を消せません。知らなかったということはそれだけで罪だと思っています。

長島愛生園で会ったおじいさんおばあさんたちは、ただ行きずりの外来者である私を、よく来たね、と、暖かく歓迎してくれました。瀬戸内の海はどこまでも静かに凪いでいて、島を渡る風は穏やかで、明るい光が辺りの小さな島々と海面をキラキラと照らしていました。かつてこの島で行われた残虐な行為の全てを、時間の流れが音もなく降り積もる雪のように覆い隠してしまったかのようでした。島で暮らす人々は、まるで何事もなかったかのように優しくて穏やかで、そして暖かでした。誰からも顧みられず、虐げられ、嵐のような殺戮行為の中を生き延びてきた人たちなのに! 今でも時々思います。彼らのこう縮した指の手を取って、「あなたは私の身代わりになってくれたのですね。」と、泣き伏したい。

長々と書きましたが、このようなことを向き合って話し合える人が私の身近にはありません。共感してくれる人を、未だ見つけられていません。

ひとりで物思いに沈んでいるとなんだかしんどくて、誰かに話したくなって、メールさせてもらいました。すみません。

「精神病」者集団の闘争に、私もなにかの形で参加したいです。しかし、ごく親しい友人すら説得できない私に、一体何ができるのでしょうか。それと気づかず無関心という罪を犯してしまう善意の一般市民を巻き込んでいくことなしに、本当に私たち精神障害者の解放はあり得るのでしょうか。

1月22日

(長野「暮正月は魔の季節」に対して)全くそのとおりで、私もちょうど12月に入った辺りから調子を崩し、うつ病相に入ったまま、年末年始とほとんど寝たきり状態で、やっとここ3~4日前から、うつのトンネルを抜けたようです。

ラピッドサイクラーの私ですから、躁うつはあっても、ひとつの病相が長く続くことはないのが常なのですが(それはそれでしんどいですが)、やはり、この魔の季節だけはどうにもいけませんね。うつがひどくなってしまいました。

加えて、例の法律のことを考えると、余計に気が滅入って、例年以上に魔の季節がこたえてしまいました。

そんな訳で、すっかりお返事が遅れてしまったのですが、やっと、動けなかったためにご迷惑をかけてしまった各方面へのお詫びと後始末、まるで震災直後の神戸の被災地のようになってしまっている自宅の片付けなどを、少しずつはじめたところです。

余りにも未処理の事柄が多く溜まってしまっているし、ウチの中の荒れよう汚れようがハンパでないので、何から手を付けてよいものか訳が分からぬままに、半ばやけくそと開き直りで動いていると言ったところです。ああ、情けない…。

「触法精神障害者医療観察法」について、何人かの友人知人に意見を聞いてみたのですが、専門職でも、本当に内容理解している人は私が尋ねた中で2人だけ。私の主治医と大阪のNさん(フリーのワーカーで、所属しておられる日本キリスト教団の担当部会として反対声明を出した)のみでした。後は、話題に出しても名前は知っているが内容をよく知らない、という反応だったので、意見の聞きようもありません。

昨秋の長野さんを囲む会の時に参加してくれていた、ワーカーのHさんは、私が「どう思う?」と聞いたことで、「実は詳しい内容をまだ把握してないので、長野さんから頂いたパンフをよく読んでみる。」と言って、少し勉強してくれたみたいですので、せめてもの慰めです。

余分に買い取らせて頂いたパンフがまだ手元に少し残っていますので、心当たりの方に「是非読んで欲しい。」と熱意を持って奨めて売っていきたいと思いました。

インターネットは、私も情報を取るために利用しますが、やはり、あのように一冊の小規模な冊子として要点をまとめてあるものの方が、情報を受け取る側も理解しやすいように思いました。

ネットワークには早速、参加させて頂きます。

私が「この法どう思う?」と聞いた当事者の人たちは、皆が皆、ひどく楽観的なのに驚いています。

法の内容をいまひとつ深くは理解してないのかもしれませんが、健常者が楽観するのは分かるとしても、法の対象者となりうる当の精神病者でも、「私は殺人なんかしないモン。」と、まるで自分に関係ないといった風でした。なかには、「その人たち(法の対象となった人)と私たちは違うんだから、そんな人たちはよほどタチの悪い変な人なんだから、あなたもそんなに気に病んだりしないほうがいいわよ。」と言う人までいる始末。これこそが、長野さんのおっしゃる『病者の分断』現象ですね。これでは法を推進した人たちの思うつぼではありませんか。

しかし、この現象、こういった当事者自身の反応は実に多く、同じ病のある同胞から、このような言葉を耳にするたびに、ますます背筋が凍る思いでした。差別の構造は実に巧みです。

強い者は弱い者を見下し差別し、差別を受けて泣いた弱い者は自分より更に弱い者を差別してその不満を解消しようとします。

差別という人権侵害の裏にある構造的な部分にも、鋭く目を向けなければなりません。

私は、たとえ直接私自身が法の対象者とならなかったとしても、誰かひとりでも、それが見ず知らずの誰かであっても、この法によって不当な人権侵害の被害に遭う人出ることがあったら、とても耐えられない気がします。

その人の痛みは、私自身の痛みでもあるからです。


島田事件と赤堀政夫

赤堀政夫 (介護者 大野萌子)

私は無実の死刑囚赤堀政夫と申します。

1954年5月24日岐阜県の鵜沼で不当逮捕され、以降34年8ケ月余を監獄に拘禁され、1989年1月31日に静岡裁判所において再審を勝ち取り解放されました。

逮捕されてからの裁判や、それに加えて再審の闘いは想像を絶する長さで、まさに死闘というべき時間を費やしたとおもいます。

そして、それで私が失ったものは青春のすべてと、殺人者の汚名をませられた私のプライドです。いまもそれらはズタズタなまま、老いを迎えた人生になってしまいました。

私を巻き込んだ「デッチ上げ」の死刑囚生活は毎日が過酷でした。毎朝「お迎え」と称する時間帯に、「今日は私を殺しにくるのではないか」とおびえました。

当たり前のことですが、確定し死刑囚は「死を待つ人」で、それ以外に生きる目的はありません。そして処刑の実態は「即日執行」といわれ、当日いきなり「お迎えだ」と宣告されるのです。

朝はその「お迎え」の時間帯で、予告なくいつ私を迎えにくるかわかりません。

死刑が執行される朝は、場内アナウンスが流され、すべての収容者に「舎房の扉を背にして後ろ向きに座れ」と命令されます。そして監獄の静寂を破り、隊列を組んだ刑務官(警備隊)が「ダッダッダ」と足音を立てて通り過ぎてゆきます。通り過ぎなければその舎房の人が命日となります。

刑務官の足音は「今日は私ではないか?」と 死刑の恐怖をあおりたてます。

そして、「人殺し」の汚名をきせ、屈辱的な扱いを受けた者には35年はあまりにも長く、死刑囚にまつわるさまざまな問題も簡単には語れるわけはありません。

逮捕の不当

私を不当逮捕したのは無論静岡県の島田署の警察官です。

逮捕時、私はどういうわけか「全国指名手配」にされていました。今もってそれは納得ができていません。

なぜなら島田事件と私を結びつけるものは皆無であり、逮捕されるいわれはないからです。

そうして始まった違法捜査は、デッチあげ事件特有の見込み捜査以外にありません。

見込み捜査で人私をしょっぴいたのは、当時「浮浪生活者」の私の不在証明ができないのを、当局はきちんと計算に入れていたものと思います。

そして不当逮捕の岐阜県「鵜沼」から島田へ連衡された私は、マスコミに囲まれるようにして写真を撮られ、翌日には「犯人捕わる」の見出しで私を犯人に仕立てあげました。これは島田署の犯人説にマスコミが加担した典型的なものに違いありません。

無実の死刑囚でっち上げの前哨戦といえるマスコミの犯罪行為です。

そして、いまもロス疑惑の三浦和義さん、松本サリンの河野義行さんにその当時と同様の問題を感じます。私の人権や逮捕の不当性を誰かがかばってくれたでしようか。いまも強い怒りを覚えます。

拷問と強制自白調書

そして、不当といえば、皆様に是非理解してほしいのは「強制的に自白調書」を取られたいきさつです。

センセーショナルな事件(久子ちゃんという6歳児の殺人事件)で社会的関心も高く、留置所に収監されている私を、梯子を掛けて写真に収めることに奔走したマスコミ。

拷問捜査で悲鳴を上げる私の声を聞かれまいとする警察。そのどれもが外部に悟られないために私は島田署の署長官舎が取調室でした。代用監獄の典型です。

殴る、蹴る、手足をねじる、トイレにもいかせない。そして私の手を持って「強制自白調書」へ私のサインを強制的におこなったのです。

代用監獄がデッチ上げの温床といった学者がいるそうですが、まさに私は代用監獄の犠牲者です。

これを許すことは絶対にできませんそれに加えて声を大にしたいのは、日本の裁判は「自白を証拠の王」とすることです。

つまり自白偏重主義ですが、それにはいま多くの人の批判があります。

私のようなケースに持ち込めば、完全に密室代用監獄の強制自白調書となり、私のような犠牲は後をたちません。私は代用監獄の乱用を批判し、即刻廃止することを訴えます。

私の裁判

私の裁判は静岡地方裁判所において開廷されました。弁護士は鈴木信雄先生と大蔵先生でした。

検察側の立証を突き崩す私のアリバイ証明が当初の重要な先生たちの仕事でした。

私の記憶が正しく、無実の確信を深めて行かれた先生方には、検察の証拠とする「殺害順序」に関する司法鑑定の矛盾が暴かれたりしました。所詮でっち上げには「ボロ」がてるものです。

先生方は、このまま裁判の進行があれば「死刑」は免れないと危機感をつのらせておられました。

そうした中で私が「精神病院入院歴」のあることを思い出され、弁護士から「精神鑑定」を申請、それが受理され、私は東京の「松沢病院」に移送され、「精神鑑定」をうけました。

私は精神鑑定医に、「自白は強制されたもの」「無実であること」その上で「アリバイに関する答弁書」を書いて医師たちに提出しています。 その私の「答弁書」に対し、精神鑑定人には、検察官提出の「強制自白調書」が唯一でものでした。

本人の私と検察官の言い分が異なると、医師たちは自白剤といわれる「イソミタール」を私に注射して自白をせまりました。私は何を話したか覚えていません。

かつて獄中から大野萌子さんに出した私の手紙の引用させていただきます。

「警察官ノ人タチガツクリアゲタギサクノ調書ヲバ見ながら、イロイロと事件問題について質問をするのですよ。

その前にマスイヤクノ イソミタールという注射をば、ウデニウチマシタノデス。アタマの方は、ボートナリマス。イロイロト質問をしたが、私の方はクスリガキイテイルノデスカラ、ナニヲハナシタカゼンゼンワカリマセンノデスヨ。

私は人をころしてはいませんのです。犯人ではないのです。ハッキリ先生方に向かってこたえましたのですが、ムダデアリマシタ。ムリヤリ仮自白ヲサセタトキト同じです。ヒドイデス。ヒキョウナヤリ方です。」

医師たちは私の言葉を無効化しました。私への差別性は「精神障害者」ならやりかねないとする予断と偏見です。

鑑定主文では『軽度の精神薄弱者で感情的に不安定、過敏で衝動的な面もある』と結論づけていたのです。

それをうけて、裁判官は判決文では次のようにのべました。

「かかる行為は、おそらく通常の人間にはなし得ない悪虐非道・鬼畜にも等しいものであるといわざるを得ないであろう。(中略)被告人は先に認定したとおり、知能程度がひくく軽度の精神薄弱者であり、その経歴を見ると殆ど普通の社会生活に適応できない」と断じました。私は無実です。

監獄の中で

私はやってもいない「罪」で死刑囚に落としこめられました。いまも悔しくて悔しくていまも、警察、検察、裁判官を一時も忘れることはできません。

死刑囚時代の私はデッチ上げの無念さと、遅々として進まない裁判に幾度となく絶望しました。

いま、確定死刑囚は家族以外の面会を拒否されていると聞きますが、私のような時間との対決を行った者は、死刑囚の面会拒否は社会との接点を失い、人間らしさも喪失します。

それに対しては、外部交通権の「面会と文通」は死刑囚の命綱となります。

「心情安定」のための面会制限を主張する法務当局の狙いは、いつでも「死刑執行」をえるためで、当局のご都合主義にあるでしょうか。諸外国でもこうした死刑処遇はないはずです。

伝聞ですが、フランスでデッチあげられ、その後無実を獲得した「ドレフェス」は、監獄の中にいる時間を次のように言っています。

「一時間が一世紀のように長い、長い、長い・・・・」と嘆いたと聞きます。

それは実感として私に理解できます。皆様には理解の限界を超えている問題だとおもいます。

でも、僕たち元無実の死刑囚には、その途方もない長い時間を、死刑におびえ屈辱に耐え続けてきました。

終わりに

「死刑は何も生み出すものがありません」

「死刑は殺す側の刑務官も傷つき、深い悲しみや、やりきれなさを残します」

「死刑は無実のものを死に追いやることがあります。レプラの藤本さんは冤罪者の可能性のまま処刑されました。」

「死刑は人間の理性をゆがめます。殺しは悪であることを知らしめ、人間の尊厳をおとしめるでしょう」

私は再び訴えます。

無実の死刑囚をこれ以上出さない為、冤罪多発のこの国のデッチ上げを許さないよう、司法当局の監視を強めてください。

いま、とらわれている無実の死刑囚袴田巌さん、名張毒ぶどう酒事件の奥西さんの解放を全力で取り組んでください。皆様にお願いします。

いま、法務省は名古屋刑務所暴力事件を発端とした、「行刑改革委員会」を行っています。

代用監獄のこと、確定死刑囚の外部交通権の禁止を多くの人々に訴えてください。

そして一日も早い死刑制度の撤廃を私は強く訴えます。


裁判所が決めたから外出はできない?!
「心神喪失者等医療観察法」入所施設は監獄?!
「心神喪失者等医療観察法」はやはり保安処分

東京 長野英子

2月27日に「心神喪失者等医療観察法(予防拘禁法)を許すな!ネットワーク」による厚生労働省との交渉が行われた。厚生労働省側は精神保健福祉課の三好課長補佐が出席した。詳しい報告は改めて行うとして、重要な発言がされたことを報告しておく。

交渉の最後に、「この施設は全開放ですよね」という質問が参加者から出たが、なんと三好課長補佐は「裁判所が決めた入院であるから、病棟内はできるだけ開放的とするが、病棟外に自由に外出というわけにはいかない」と発言した。

国会答弁でもあるいは今までの交渉でも厚生労働省の説明は、この施設はあくまで病院であり、行動制限(閉鎖病棟に入れたり保護室に入れたり、あるいは身体を縛ること)はあくまで精神保健福祉法の規定に順ずる」と回答して来た。

実際どう運用されているかはともかく精神保健法で行動制限するのはあくまで本人の医療と保護のためにやむをえないとき、ということであり、開放処遇が原則という建前となっている。だから閉鎖病棟じたい精神保健福祉法違反ともいえる(それゆえにこそまじめに法を守ろうとし、マーク方式を採用し、一人一人外出の基準を決める運用をしているところもないではない)。

当然精神保健福祉法に順ずるなら開放処遇が原則となるはずなのだが、三好課長補佐はさらに「措置入院も都道府県知事が決めているので開放処遇ではないそれと同様云々」とまで発言、精神保健福祉法の今までの建前すらかなぐり捨てた回答をしている。いうまでもなく措置入院であろうと精神保健福祉法の目的はあくまで本人の医療と保護であり、その行動制限もやむをえない場合のみ行わなければならないことになっている。少なくとも厚生労働省の今までの説明ではそうなっているはずである。

裁判所が決めたから、と言い出したのは、やはりこの心神喪失者等医療観察法が実質刑罰の代替、保安処分であるという本音が出たということだ。いかに医療と社会復帰の促進などと言いくるめようとしても実施責任者は保安処分だと認識しているということだ。今までの交渉で厚生労働省がここは病院、一般の医療と同じインフォームド・コンセントだなどと言ってきたことが嘘だということは明白になったと考える。さらには現行の精神保健福祉法の運用ですら、さらに保安処分として強化していくという彼ら決意も明らかになったといえる。心神喪失者等医療観察法施行阻止を改めて確認しなければならない。

この件は朝日議員により宿題ということにあり、今後法務省、最高裁、厚生労働省をあわせてこの間の質問事項への回答を迫っていきたいと考えている。


精神障害者ホームヘルパー制度格闘記 その2

東京 長野英子

引越し荷物の片付けについて考慮する、というままで、漫然と日にちがたち、保健師さんが「モニター」と称して訪問を繰り返していた。ところが自体は何も進展しなかった。彼らの認定では二つある部屋のうち一室は「事務室」であり、患者会の荷物があり、そこは一切手を触れないということらしい(ともかく説明がないので正確には理解できていないが)。荷物が片付くまで1日4時間を月4回といっていたがどうにもしようがないので、1日2時間4回と要求水準を下げてはみたが、どういうわけか1回1時間半、月4回と値切ったケアプランが立てられてきた。ケアプランの根拠を示してほしい、ケア会議に出席したいといったところ、要綱に「必要があれば本人出席」とかかれているにもかかわらず、出席は認めない、理由は「やっていないからやっていない」だそうだ。

ともかく何の説明もないまま私は月3回1回1時間という状態で放置され続けている(当初の月4回1回1時間から何の説明もなく減らされたまま)。

ともかく何がなにやらまったくわからない対応で、私はひたすら消耗していくばかりである。

ホームヘルパー制度とはいったい何なんだ。もしかして福祉削減のために地域で生きる精神障害者を消耗させて自殺されようというワナなんだろうか、とまでかんぐっている状態である。

さて現状報告はもっと資料を整理してから改めてしていくとして、現在身体障害者や知的障害者に税金から介護者を派遣する支援費制度があるが、この支援費制度発足1年足らずにもかかわらず、財政的に破綻する、という理由で、介護保険に統合したらどうかという案が国から出されている。介護保険統合を機に精神障害者へのヘルパー制度もこの介護保険で行い、財政は現在40歳以上から取り立てている保険料を20歳以上から取り立てることで充当していこうという案である。

現在の支援費制度や精神障害者のヘルパー制度では費用は収入に応じて払うことになっているが、介護保険制度では収入と無関係に一律の負担を強いられることになる。また今の支援費制度の派遣時間がいったい保障されるかどうかも不明な状態で、現在身体障害者団体の多くは反対の声を上げている。

介護保険の対象となった場合、私たち精神障害者の場合は体は動くではないか、ということでおそらくほとんど何もサービスを受けられなくなるだろうし、ただただ自己負担が増えるだけとなる恐れは十分ある。

現在医療法人の業務拡大案が厚生労働省から出されており、この介護保険によるサービスもすべて精神病院が行うようになる恐れもある。

なにより現在の精神障害者ヘルパー制度は私の体験に見られるようにそれ以前の問題が多すぎる。

以下厚生労働省の社会保障審議会内「精神障害者の地域生活支援の在り方に関する検討会」委員に出した手紙を掲載する。


支援費制度介護保険制度の一元化あるいは支援費制度の介護保険への統合問題について

①表記の問題を論ずる前提として、精神障害者にとってどういった支援が生活上必要なのか、そのことがまず議論されるべきである。さらに言えば、精神障害とは何か、障害とは何か、という前提の議論が必要である。

前提として

*「障害」は本人の医学的疾病あるいは損傷によるのではなく、社会の側にあるもので、それぞれ本人の必要とする人的介助、物理的バリアの撤廃、適切な配慮によって「障害」は除去される、という障害の社会モデルをとること。

*障害の社会モデルをとるとすれば、障害者の自立と社会参加に向けた援助や介助は本来本人の訓練や教育、あるいは矯正を目的としてはならず、すなわち「できないこと」を「できるようにする」ことを目的にするのではなく、「できないこと」は介助し、「できること」を生かしていくことを目的としなければならない。

*精神障害者にとってどういった支援が必要か、についてはさまざまな状況におかれそれぞれに異なる障害内容があり一概に言えず、より深く広い精神障害者本人による議論が必要と考えるが、私の体験から結論を言えば、金と本人の権利主張(セルフ・アオドボカシー)を支える権利擁護官があれば十分といえる。

すなわち何らかの特別なサービス体制より、ダイレクトペイメント(サービスを提供するのではなくて直接現金を支給すること)と権利擁護官制度である。

さらにその金で買える介助体制も必要だと考える。

以下私の体験から羅列的だが意見を述べる

*現行の精神障害者ヘルパー制度は「家事援助」に限られており、ほとんど使えない制度といってもいい。私の体験では「引越しの手伝いはだめ」「外出介助は通院だけ、それも区外の通院の際の外出介助もだめ」「患者会活動の荷物は家事の範囲ではないから片付けはできない」とさまざまな制限があり、ほとんど私のニーズに答えていない。

*困ったとき、具合の悪いときにこそ使いたいヘルパー制度であるが、複雑かつ長期の手続きと硬直した運用(週1回何曜日に何時からという定期的利用以外だめという決まりでは非常に使いにくい)によって、困ったとき、具合の悪いときに即対応したり、そうしたときにだけ使うあるいは頻回・長時間使うということがまったくできない。

*さらに「自立のためであってお手伝いではないから、一緒に働かなければならない」と強制されるので、具合が悪く寝込んだときは来てもらえない。

*症状の安定が要件であり、私のように毎年1回は入院しているものは事実上「症状の安定まで」派遣の見直しさえできず、ひたすらモニターに来る保健師の来訪に耐え続けるだけということになる。

*「家事援助」に限定ではなくて、必要な介助に使える制度でないとほとんどの精神障害者は使えない。「家に人を入れるなら飢え死にしたほうがまし」というのが多くの仲間の実感である。外出の介助があれば、もっと社会参加の範囲が増えるし、使いやすいともいえる。もちろんこれはタクシー券あるいは現金給付で足りる場合も多いともいえるが。

*患者会活動その他さまざまな社会参加、娯楽のためにも使える介助が必要。

*さらに言えば通学や通勤などにも使える介助制度も必要だと考える。

*「家事援助」に限り自宅派遣に限る、というヘルパーではなくてたとえば溜まり場的な場所にヘルパーを派遣する、患者会活動そのものにヘルパーを派遣するというほうが使いやすい。そこで1日2食の共同炊事などの可能性も出てくる。

*ヘルパー以外にはどうしても必要なのがレスパイトサービスである。

ショートステイ制度はそもそも一人暮らしでは使えず、日数も限られ、手続きもややこしく、困ったときに駆け込める場ではない。選別と強制のない、最短でも3週間までは使える場所が必要。保険点数誘導により休息入院は割が合わないということでほとんど不可能な実態であり、レスパイトサービス(一時休息サービス)が必要である。

もちろんこれも現金給付がしっかりあればホテル等使えることになるので現金給付でもかまわないし、障害者休養ホーム事業を拡大してもいいかもしれない。もちろん特殊精神障害者レスパイトサービス施設ではなくて、全障害者へのレスパイトサービス施設が必要だと考える。

*レスパイトサービスと適切な介助体制・現金給付さえあれば、入院や強制入院はかなり避けられ、財政的にはむしろ安上がりとなると考える。

*危機対応サービスとしては添付したフィンランドのモバイル(このサービスについては散らし翻訳を添付しました。必要な方には全国「精神病」者集団窓口にお申し込みになればお送りします。以下にも掲載中です。http://www.seirokyo.com/archive/world/mobil.html)。のような、精神障害者向けというのではない、困っている人を対象とした24時間365日のサービスが必要。私たちが危機状況のとき狭い意味での医療対応が必要な場合はあまりない。

私は混乱の中で時間外深夜に救急車をよんだが、精神科でありかつ一人暮らしということで一切対応してもらえなかった。強制入院以外には今私たちにとっては時間外は無医村状態である。

②介護保険との統合について

まず障害者本人の意見集約とそれのみでなく介護保険サービスユーザーである高齢者本人の意見集約が前提である。介護保険自体もその使いがっての悪さについてさまざまな不満が高齢者本人から出ている。「自立に向けお手伝いではない」というヘルパー制度の問題点は高齢者のヘルパーでも共通しているように見える。

精神障害者に特殊化したサービスではなく全障害者向けのサービスそして社会サービス総体への統合は長らく特別視され差別されてきた精神障害者にとっては原則的な方向性とは考えるが、そもそも介護保険が財政上の理由で、税から保険制度に変更となった経緯があるので、その前提から問題を捉えなおす必要があり、安易に障害者へのサービスを介護保険に統合してもまたまた1年足らずで、財政破綻ということになりかねない。もちろん自己負担増に関しては応じきれずますます精神障害者は使えない制度となる可能性は高い。

介護保険制度そのものの問題点の洗い直し、支援費制度の総括点検がまず必要と考える。そして①に述べたように精神障害者本人によるサービス要求が集約されなければならない。

その2
今ある地域でのサービスについて

現行の地域サービスはともかく私のつかえるものはないなと思っておりますし、仲間からもそうした訴えが来ています。

たとえば医療機関のデイケアについて

診療報酬の関係で、管理が厳しくなり、1日6時間デイケアに参加しなければならなくなり、とても6時間は耐えられないので使えなくなったという訴えがありました。

たとえば私の場合、私の基本的な居場所はベッドの中です。そこからようやく抜け出して出かけ、かえってくるとまずベッドに直行という感じの生活です。私は1日3時間以上の活動・仕事は無理です。先日も心神喪失者等医療観察法を許すなネットワークの会議の後ニュース発送という無茶をして、午後2時から8時過ぎまで働いたら、後半は日本語が使えなくなってしまいました。

「長野さんパソコン何台持ってるの?」「2枚」

「このMさんの文書だけれど」「えーMさんの文書なんてないよ」

などという頓珍漢な会話となっていました。

私の担当の保健師さんがヘルパー派遣時間について「精神障害者は人といると疲れるからせいぜい30分から1時間」というのも理由のないことではなくて、私のペースにあわせた人でないと、長時間人といると疲れることは事実です。でもそれならデイケアや作業所に行っている人は精神障害者ではないのでしょうか? 専門職のダブルスタンダードにはなれてはいるけど、ともかく彼らは矛盾したことを平気で言います。

6時間いなければ、と要求されたらデイケアにいけない方は多いと思います。

つまり一人一人のペースに合わせた場所ではなくて集団への対応ですから。だからこそ個々人のペースに合わせたサービスとしてヘルパー介助が必要と考えます。作業所だってあの長時間に毎日耐えて通える人は少ないんではないかしら。

少なくとも私はデイケアも作業所も無理です。

ところがグループホームや福祉ホームは条件として「就労可能は人(福祉的就労も含む)」となっています。それぞれ現場では工夫はしておられるでしょうし、またB型はこの要件がなくなったわけですが、それにしても集団対応では使える人は限られてくると考えます。

さらに言えば、せっかく退院できて自分なりの生活を作り上げようとしても、こうした縛りがあるんでは、自立でも社会参加でもなくて、お仕着せの生活を強いられるだけということになります。私たち精神障害者はここまで管理しないといけないという思い込みがあるとしか思えませんし、住宅保障とはまったく違う位置づけでグループホームがあるとしか思えません。精神病院という施設から新たな施設に移行しただけということになります。グループホームを使っている方が、職員に「いつになったら退院できるでしょう」と聞いたという話がありますが、当然です。

一人一人が自分の生活を作っていくのをそっと支えるサービスが求められています。そういう道案内として町ですでに生きている仲間の支えピアヘルパーは必要かもしれませんし、いろんな暮らし方のモデルを示していくことも必要と思います。

あるいは地域生活支援センターについて

ベッドが主なる居場所である私にとっては地域生活支援センターは遠すぎます(相対的には歩いて15分くらいですから近いのですが)。10万人に一つでは使える人は少ないのではと思います。それに規模が大きすぎると思います。食事サービスに一度行きましたが、あまりに大勢の方がいらしてかえって疲れました。

地域生活支援センターはむしろオフィスだけにして、小さなスペースがあちこちにあり、そこに職員が出張するというほうがいいと私は思っております。

ともかく集団対応ではない一人一人に合わせたメニューとサービスが必要で、そのためにはおそらく精神保健業界だけで完結しようとすること自体が無理なんだとも思います。娯楽も勉強もあるいはいろんな活動ももっと一般的なサークルや営利サービスを利用するしかないのではと思います。

友人で幻聴がしんどいときはパチンコに行く方がいます。私は孤独で眠れない夜は幸い盛り場にすんでいるので漫画喫茶に行きます。介護保険からパチンコ台や漫画喫茶代がでるならそれならそれでいいのではと思いますが、出ないでしょう。やはり介護保険云々より、ダイレクトペイメント、所得保障が必要です。

本人が自分にあったサービスを選択する、のではなくて、サービスに合わせた生活を強いられる体制では、いったい何のために退院したのか、「自律と社会参加」はどこにもないということになります。今私たちにある地域サービスはともかくお仕着せに合わせて暮らせと私たちに要求しているといっていいと考えます。

そもそも今までこの国の政策は一切私たちの意見を聞かずに作られてきたことが問題です。

所得保障と今使われている税金・医療費

ともかく一度精神障害者にはいったいどれだけのお金が使われているのか、医療費も含めて計算してみる必要があると思っております。多分私たちの求める所得保障をしっかりするほうが、現行のお仕着せサービスより安上がりではなかろうかと私は考えますし、デイケアなど医療とはいっているけれど実は医療ではないと私は考えますから、医療がやる必要のないことを医療費以外でするとなれば、単純に言えばかなり安上がりになるのではと考えます。

たとえば毎日1万円かかるデイケア・ナイトケアを月20万として、一人頭その半分の10万円を毎月使えば、もっと私たちの求めるサービスができるのではと思いますし、サービスのいらない人に10万支給すれば自律と社会参加はもっともっと促進されると思います。

デイケアはドル箱だそうですから医療側の抵抗は当然でしょうが、でも試算してみる価値はあるんではないでしょうか?

さらに言えば作業所や地域支援センターに使われている税金だって、本当に必要なのか、もっともっと考えられるべきだと思います。それより所得保障のほうが有効である可能性もあります。


歴史的勝利!
国連人権条約作業部会草案
強制を廃絶

条文草案第10条

〔身体の自由及び安全〕

1. 締約国は、次のことを保障する。

(a) 障害者が、障害を理由とする差別なしに、身体の自由及び安全についての権利を享有すること。

(b) 障害者がその自由を違法に又は恣意的に奪われないこと並びにあらゆる自由が法律で定めることなしに奪われず、かつ、いかなる場合にも障害を理由として奪われないこと。

―――中略―――

条文草案第11条

〔拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰からの自由〕

1. 国家は、障害者が、拷問又は残虐な、非人道的、品位を傷つける取扱いあるいは刑罰を受けることを防止するため、すべての効果的な立法上、行政上、司法上、教育上その他の措置をとる。

2. 特に、締約国は、障害者が十分な説明に基づく本人の自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けることを禁止し、かつ、当該実験から障害者を保護するものとし、また、いかなる実際のあるいはあるとみなされた損傷を矯正し、改善し又は緩和することを目的とする強制的な介入及び強制施設収容から障害のある人を保護する。

現在国連で「障害者の権利と尊厳を強化し守る包括的かつ完全な国際条約」作成に向け議論が進められている。私たち全国「精神病」者集団が参加している世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク(WNUSP)は国際障害者同盟(障害種別の国際組織の連合体)の仲間とともに、「私たちのことを私たち抜きで決めるな」というスローガンのもと、積極的にこの条約策定に参加している。国連の策定に向けた昨年の特別委員会、そして今年1月の特別部会にそれぞれの障害者団体からの代表委員を出し、委員会内外を貫き共同して私たち自身の条約制定へ向け闘い続けてきた。

今年1月の国連障害者の権利条約の作業部会において、私たちWNUSPは歴史的な勝利を手にした。この30年間の私たち全国「精神病」者集団結成以来の、そして世界の精神障害者運動誕生以来の主張がついに草案本文に書き込まれた。300年にわたる私たちへの弾圧の歴史に終止符を打つ勝利である。

作業部会草案には、前提としてすべての人が法的能力を持った人として法の下で認められる、ということが書かれ、その上で強制の廃絶が右表のように書き込まれた。

精神障害者に対する強制収容法はほとんどの国にあるわけで、当然各国政府はこうした文面に賛成せず、それは脚注に書き込まれている。

国際的にこの10年余り精神医療は反動の嵐の中にあり、とりわけ欧米では強制の拡大、地域での強制医療法の成立が相次いでいる。日本でも昨年私たち精神障害者のみを差別的に予防拘禁する「心神喪失者医療観察法」が成立し今施行準備が進められている。この危機的な状況下での勝利であるが故にこそ、私たちはこの勝利に喜んでばかりはいられない、5月の特別委員会に向け自国政府への働きかけが重要となる。

しかしこの草案はWNUSPの発足以来の闘いの成果であり、また国際障害者同盟の仲間たちの闘いの成果でもある。地雷サバイバーネットワークによる日報では、WNUSPからの代表委員ティナ・ミンコウィッツの粘り強くかつ一歩も引かぬ主張振りが見て取れる。

丸々2週間朝から夜までの厳しいスケジュールで、障害者に対する適切な配慮があるペースではなく、その中でたった一人の精神障害者本人として闘い続けた彼女に敬服している。もちろんここにいたる経過での彼女の表に見えない苦闘は計り知れない。

とりわけ私たちを絶望させたESCAP草案における強制の容認以来、作業部会議長草案、そして今回の草案へとWNUSPおよび障害者団体の闘いは目を見張るものがあった。

5月までに何ができるか、わたしたちも国内のほかの障害者団体とともに、強制入院禁止に反対している日本政府への働きかけに努力していく。そして「心神喪失者医療観察法」はもちろん精神保健福祉法廃絶の勝利を目指し闘い続ける。

ティナの報告ほかWNUSP関連資料邦訳は以下の長野のサイトに掲載中。

http://popup.tok2.com/home2/nagano2/

草案本文邦訳およびWNUSPの作業部会への提案等をご希望の方は全国「精神病」者集団窓口までご請求ください。コピー代送料実費でお送りいたします。

またこの件に関する報告リーフも用意しております。送料実費でお送りいたしますので、ご希望の方はお申し出ください。


権利条約をめぐる国内の動き

昨年より、新アジア太平洋の10年に向けアジアパシフィック障害者フォーラムの日本の受け皿として国内の障害者団体の集まり「日本障害者フォーラム(JDF)」準備会が作られています。

構成団体は以下

事務局は日本障害者リハビリテーション協会

<構成団体(順不同)>

(1) 障害者団体等

日本身体障害者団体連合会
日本盲人会連合
全日本ろうあ連盟
日本障害者協議会
DPI日本会議
全日本手をつなぐ育成会
全国精神障害者家族会連合会(予定)

(2) 障害者福祉団体等

全国社会福祉協議会
日本障害者リハビリテーション協会

(3) オブザーバー団体

全国「精神病」者集団
全国盲ろう者協会(予定)

国際障害者同盟IDAに参加しているWNUSPの国内組織の精神障害者団体ということで全国精神病」者集団にもお声がかかりましたが、組織の力量としてオブザーバー参加ということになっています。

JDFの専門委員会の一つが障害者権利条約の委員会であり、このJDF準備会の枠で障害者人権条約について政府との意見交換の場も持っています。

上記のように作業部会草案に強制の廃絶が入り、政府およびNGOの認識として論点のひとつに強制の可否が上げられるところまできています。

3月27日、28日にはJDF準備会の内部学習会として人権条約の各論点の学習会があり、強制をめぐるテーマでは全国「精神病」者集団として山本真理が28日午前10時から発題します。

全国「精神病」者集団会員で余裕のある方はぜひご参加をお願いします。いつも「精神病」者は私一人で心細いので。会員以外でもJDF参加団体の方もぜひ。

日時 3月27日 午後1時半から

3月28日 午前10時から

場所 27日 戸山サンライズ

28日 新宿区障害者福祉会館

まだ詳しい案内ができておりませんので参加ご希望の方は全国「精神病」者集団窓口までお問い合わせください。(文責 山本)


☆冬季カンパにご協力ありがとうございました。

冬季カンパ合計は以下となりました。今年度は黒字で終わることができそうです。多くの方のご協力に感謝いたします。

冬季カンパ総額 189,100円

☆カンパに寄せられた一言

♪♪ 障害者手帳の等級が3級になりましたもっと寄付したいのですが……。少しですがカンパします。

♪♪ 平成15年度の精神障害者社会復帰施設整備費の補助金が36億6千万円の予算だったのが10億円しか認められず26億6千万円(70%以上)カットされました。その原因として昨年7月10日に心神法案が衆議院を通過して国公立病院に特別病棟などの整備費として52億円の予算がつき、補助金がそのしわ寄せで削られたと聞いております。まだまだ当事者活動は続けていかなくてはなりません。私も糖尿病と闘いながら当事者活動をやっています。全国の仲間の絆の窓口として山本さんも健康に十分留意され無理せず活動してください。冬季カンパ振り込みますので大切に使ってください。

♪♪ 厚生労働省通達により昨年の8月25日からデイケアの要件が厳しくなり、食事利用だけの人も6時間の拘束時間に耐え切れず参加できなくなりました。病院敷地内で逸脱行動があったのでしょうか強制入院になってしまいました。デイケア利用者も全体として減り行き場をなくしています。

♪♪ 自由に動ければ一緒に活動したいと思っております。少ないですが振り込みます。形式だけでも会員にしてください「人格障害」者への死刑判決。大野さんの「人権賞」について意見があります。またメールで送りますので読んでください。このたびはニュース送付ありがとうございました。

♪♪ ニュース2年間で5回出せたこととてもよいことだったと思います。こちらのグループでWNUSPが話題に上っています。学習の大切研鑽の大切身にしみて感じているところです。

(山本注 2年で5回ではなくて2年間1年当たり5回しか出せなかったということです。お約束は年6回なんですが)

♪♪ がんばってください。

♪♪ がんばろう。

☆4月22日に東京で支援費問題をめぐって合宿をという呼びかけがある「精神病」者からされています。詳細はまったく決まっていませんが、興味のある方は全国「精神病」者集団窓口までお問い合わせください。

☆2月なのに21度なんていう日があったと思うとミゾレ交じりの日があったりの東京です。気候不順の折皆様くれぐれもご自愛ください。次号は5月発行予定です。


私たち自身の声を上げていこう私たちが生き延びるためのサービスを

全国の「精神病」者の仲間の皆様、入院中の方そして町で暮らしている方、一人暮らしの方、家族と暮らしている方、さまざまな暮らしの中で、それぞれ工夫をしながら、生き残る闘いの日々を送っておられると思います。今私たちの求めるサービスを勝ち取っていくために以下のようなご意見を募集いたします。全国「精神病」者集団窓口まで皆様の声を集中してください。

*入院中に困ったこと、必要なこと 役に立って助かったこと、退院するに際し役立ったこと、退院後の生活を作っていくうえで困ったこと、必要なこと、逆に役立ったこと

*毎日の生活で困っていること、必要なこと。毎日の暮らしの中での工夫として仲間にも勧めたいこと。たとえば限られた経済で上手に暮らす知恵、買い物の情報の得方その他買い物の工夫、食事や片付けものの工夫など。体調が悪くなったときどういうやり方でしのいでいるか、ご自分の工夫、あるいはもっとこうしたサービスがあれば、という提案。

*ヘルパー制度を使っておられる方は、どのように使っているか、使い方の知恵、あるいは使っている上で困っていること、もっとこのように改善してほしいなどの点。

*地域のサービスたとえば作業所や地域生活センターを使っている方はどのように使っておられるか、そしてどのように役立っているのか、あるいはもっとこのように改善してほしいなどの点。

その他なんでも皆様の声を集めたいと思っております。はがき一枚でもかまいませんのでよろしくお願いいたします。メール、ファックス、手紙を窓口までお寄せください。

全国「精神病」者集団窓口 山本真理


(略)