2020年11月 精神障害者権利主張センター・絆ニュース抜粋

ごあいさつ

 コロナという言葉を耳にしない日はないという毎日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
伝染性のある疾患であり、ワクチンも治療法もないという現段階では、ひたすら発病した方「感染した(とされる)方」への隔離が呼びかけられています。

あたかもハンセン病の歴史を忘れたかのように、あるいは社会防衛のために今現在隔離 と拘禁が強いられている精神障害者の実態を無視するかのように、こうした言葉が飛び交 う現状に、首のすくむような思いをしている方も多いのではないでしょうか。

とりわけ絆の会員は 圧倒的に東京近郊関東が多く、それぞれ息苦しい毎日を送っておられるのではないでしょうか。

長時間介助を確保し地域での暮らしを続けている重度身体障害者にとってはまさに生活の基盤が脅かされようとしていると言っても過言ではありません。

コロナの対策としてはやはり、手を洗う、密閉、密集、密接という三密を避け、といった基本を守るしかないようです。そして規則正しい生活と食事。わたしたちにとっては困難ではありますが、心がけていくしかないでしょう。

多くの仲間がつつがなく暮らせることを祈っております。前号でご紹介したように絆はコロナの件も含め大フォーラムの仲間とともに厚生労働省交渉を行っております。

ヨーロッパも危機的ということでジュネープでの人権関係の政府報告密審査も延期されており、どういう形で行われるかもまだ不明です。オンライン開催となるという予想はされておりますが、準備はしていかな いとなりません。今後も皆さんとともに議論を深めていきたいと存じます。

福生病院事件について考える。2020年10月 

吉川健明


7月に再開された福生病院事件の民事裁判の口頭弁論の報告を前回の絆に書かせていただきました。その後次の口頭弁論に向けての手続きが先日東京地裁で行われ、その報告集会もオンライン、zoomでのインターネット会議に参加してきました。その報告はまた後段で述べますが、その前に、訴状に対する被告病院側の反論の中で参考文献として出してきた会田薫子氏の「透析しない選択肢も意思決定支援に必要」という論考(日経メディカル 2019/3/12のインタビュー記事)に焦点をあて、さらに会田薫子氏の問題点を考えていきたいと思っています。

 合わせて透析医療の歴史を概括することで、この福生病院時の本質について考えていきたいと思っています。

2、会田薫子氏の問題点、日経メディカルインタビューより

<日経メディカルのインタビュー記事を要約すると以下の通りで、毎日新聞が報道した福生病院事件の記事に対する会田氏の「反論」である。>

「人工透析はやるべきもの、やめてはいけないもの」という誤解が医療従事者や市民の間で広がらないかと危惧している。「死の選択」という捉え方でなく「人生の最終段階の生き方の選択」と捉えてほしい。と述べ、さらに、一般論として医学的見解として「75歳以上の人の透析導入で、フレイル(加齢により心身機能と生理的予備能が低下)が進行したことが立証されたこと(NEJMの2009年の論文)などから透析導入に医学的限界があることさらに臨床倫理学からみて「患者本人からインフォームドコンセントが得られることができない場合、医療行為を医師が強制することはできない。…

「透析療法をおこなわない=自然にゆだねる」選択肢、「必ず透析を受けるべき」という主張は、医療における父権主義(パターナリズム)現在は患者本人と医療者が共同意思決定の時代。患者が必ず治療受けるべきと医師が決める時代に戻すような報道はバッドジャーナリズム。

被告病院側は「必ず透析を受けるべき」を医療におけるパターナリズムとしてその論拠としてこの会田薫子氏のインタビューを証拠として出している。

このインタビューの最大の問題点は、この福生病院事件についてどうなのか?具体的問いかけや検証抜きに一般論として透析の医学的限界などを持ち出していることだ。前回見てきたように、この事件において、患者はまだ透析が続けられる可能性があった。実際女性が透析治療で通院していたクリニックでは、透析の継続を説得されている。

ある医師は、自分のブログで、ポイントオブノーリターンだった(もうこれ以上透析しても生命維持が困難となってしまっている)という見解を出していたが、それは事態をよく見ずに述べているもので、まだ透析含め医療的な可能性はあったのである。

一般的に透析の医学的、生理学的限界と技術の限界という問題は日進月歩で変わりうるとはいえ、まだ受け止め切れるものだろう。しかし、「透析をおこなわない=自然にまかす」や「人生の最終段階の生き方の選択」というのは、それとはまた異質の考えだと思われる。

2 透析の歴史から概括してわかる問題

もともと透析の歴史をみても透析の続行をめぐる困難はつきものであった。

人工透析、人工腎臓の考えは、相当古くからあったが実現したのは第二次大戦の最中で、その時、筋肉挫滅症候群で腎不全となった若い戦傷者を透析で一時的だが助けたことが始まりという。その後、技術的限界をなんとか突破しても機械が圧倒的に少ないこと、費用がかかることがネックとなっていた。そのためお金がなく大病院へのコネもない腎不全の患者は透析も受けられず亡くなることがおおく、また受けられても順番待ちで、受けている人の死を待つことになり、まだ公費になる前はその多額の自己負担の重みに耐えかね、それこそ透析をやめてしまうことや自殺に追い込まれることが多数あった。そのため、この透析医療を公費で行えるよう国民的運動があり、健康保険の高額療養費の公的負担制や生活保護の拡充へとつながっていき、日本型福祉、社会保障の拡大の原動力となっていった。

しかし、74―75年恐慌を曲がり角とする日本の資本主義の危機の中。医療福祉、社会保障を削る動きが政府と財界から出て、それが当時の厚生省の「医療費亡国論」となってくる。その攻撃はまさにこの透析医療に向けられた。現在、透析を行なっている病者は約34万人いて、そこにかかる費用は年間500万円といわれ、単純計算で1兆5000億以上かかり、それだけで国民医療費の数パーセントを占める。

透析医療に対する批判の論拠は、こうした経済的問題が主になっている。しかし、一兆円以上かかるといっても多くの人を殺す武器を買ったり、自然を破壊して辺野古の基地を作ったり、危険な原発を稼働させたり、無駄なオリンピックを開く予算を考えれば十分賄えるのは確かであろう。

また治療費と別の患者の経済的問題は、通院費用や生活援助などの問題があり、そこに大きな格差があり、自己責任では到底解決できない問題だ。金の切れ目が命の切れ目でいいのか?

少し前に長谷川豊というアナウンサーが透析医療を糖尿病腎症が多いから不摂生のせいで自己責任だ。金の無駄使い、亡国と言いなして批判を浴びたが、この会田薫子氏の論考は、人生の最終段階などの美辞麗句を言いながら、実際には透析をやめることを促すような冷酷な論理と言わねばならない。

そもそも医学生理学的に透析を行って生命を維持することが可能かどうかそれともデメリットの方が多いかということは、個別に相当異なる。会田氏が上記にあげた年齢やフレイルから考えた透析の限界という問題も一律に生理的条件を無視して透析をすれば良いという考えに対するある意味正当な意見である。だからこそ個別具体的検討が重要で、年齢などで一律に切ることは許されない。

また機器や知見の進歩もある。例えばこの福生病院の件で問題となったのは、シャント(透析の経路)が目詰まりしたため首からのカテーテルでやれるかどうかの検討であったが、そうした経路の機器の進歩は著しいものがある。ある意味観念論的な問題を技術進歩が突き抜けてしまうところがある。もともと透析がこれだけ普及したのは、シャントが発明され、格安に使われるようになったためであり、それにより透析に要する費用や手間も少なくなってきたのだ。

透析の肉体的精神的苦痛というのは確かに存在するが、そういうことをもケアし、生活の質を良くして生きられるようにするのが医師医療者のつとめではないか。

だから、透析をしない、という選択肢が、生理的医学的に,もう透析しても厳しい、デメリットの方が大きいという医学的判断なのか、他の要素はないのかそれが問題ではないか。

経済的困難や家族に負担をかけることの葛藤、さらに透析医療自体で肉体的精神的に苦しいこと。そういうことで透析の続行が厳しくなるのではないか。そうしたことを具体的に援助していくことが医師、医療者、さらにケースワー,行政の仕事ではないか。それ抜きに自己決定と言っても空論以下で、透析をやめること=命が途切れることを促してしまうことになる。自己決定の尊重と言いながら冷酷で残酷ではないか。

実際にこの福生病院事件において、患者は「透析離脱証明書」を書かされ、それを盾に取られ、再開をもうしでてもいったんやめたからと突き放された。この時実際に、透析しても無理だったかどうかそういう検討すらしてない。実際には緊急透析はじめいくつか手段はあったという。

3、会田薫子氏の問題点、臨床倫理学と称するものは倫理的か?

会田薫子氏は、医療倫理学の専門を自認し、これまでも胃瘻の問題や人工呼吸器の問題などを取り上げている。取り上げ方はこの透析問題と共通するものがあり、自己決定などの言葉を言いながら、個々に異なる患者の臨床像や経済的問題や格差の問題を意図的に取り上げないところが大きな特徴である。

一方、会田氏は、日本老年学会の胃瘻造設に関するガイドライン制定や、人工呼吸器のガイドライン制定にもかかわり、透析学会のガイドライン制定では、透析しない選択肢、保存的腎臓療法(CKM,concervative kidney medication)という概念まで作ってきた。

こうした「延命治療」と称される治療手段も当然万能ではなく、技術的限界があり、個体の条件によってデメリットの方が多く治療そのものができない場合も少なくない。だから適応やどこまで行えるかの判断は個別具体性をもって行うしかない。

しかし一方、こうした治療に多額の自己負担と公費がかかり人手も要するし、家族の負担もお金だけでなく大きい。また治療自身の苦痛も少なくない。社会における格差がもろに反映されるし、自己責任でやれることではない。

本人、家族、医療従事者の疲労などもあり簡単なことではないし大きな矛盾やある種苦しみ痛みを伴うことでもある。だから余計に個別具体的検討が必要で、正解のない道を歩まねばならない苦闘といえる。

だからこうした会田氏の臨床倫理学と称する研究に相当の違和感を覚えるのだ。

4、東京地裁弁論準備期日調整および報告集会

9月14日東京地裁において弁論準備期日が行われ、その夜zoomでの報告集会が行われ参加した。

争点として、以下の三つ(治療中止、治療不開始、説明義務違反)が設定され、説明された。

① 治療中止は、8月9日(2018年)医師による透析離脱の提示、14日〜16日の看取りのための入院、鎮静という一連の加害行為を構成するもの。
②8月14日〜16 日の治療不開始
③説明義務違反
という点が改めて確認され、特に治療中止に伴う加害行為について克明に争点が示されたことが報告された。
④その中で看取り目的の入院のため、「こんなに苦しいのなら透析再開してほしい」という訴えに対しても治療方針の説明や意思の再確認を行わなかった
⑤被害女性に対し、鎮静薬を投与したが、量や方法の調整をせずにおこなった
⑥本件は被告病院が主張する「手術不同意」ということが問題なのではないこと。被告は、カテーテル手術の同意が取れなかったことが問題としているが、実際には、透析離脱を提示したこと、看取り入院そして鎮静により結果的に死を招いてしまったことの一連の過程が問題なのである。
⑦被告病院側は、「患者の透析しないという自己決定を無理やり覆すのはパターナリズティックなもので不適当である」と言っているが、過去の判例をみても医師に治療の必要性の説明及び義務があるのは明らかである。

このパターナリズムという言い方自身会田薫子氏の得意の言い回しで、透析ができるかどうかの医学的科学的検討でもなく、患者の社会的心理的葛藤の問題を具体的に考えるのでもなくただ「自己決定」という言葉が出てくるだけでありさらにそれを覆そうとするのをパターナリズムと言うのはやはり何か重大なことを塗り隠しているとおもわざるをえない。

この集会で、福生病院から出た20名の透析非導入の患者と4名の透析中止患者のことについて質問があった。これは毎日新聞の報道が発端で、透析の非導入とは、透析せずただ死を待つ選択を意味する。

この24 名の非導入及び中止の患者の臨床背景は不明であり中には、医学的にみて、「妥当な」例があるかもしれない。しかし、ある内科医師によるとこの24 名は明らかに多いという。この福生病院に腎センターができたのが2013年で以来、149名が治療を受けている。その中で明らかに医学的にみて透析しないもしくは中止する患者が何人か出ても不自然ではないが、24 名は多すぎる。そこに不自然さを感じるのである。

5、新自由主義の危機の中での医療の崩壊、腐敗

今日コロナ情勢のもとで、新自由主義の医療の崩壊と病者、障害者の切り捨て、患者殺しともいえる状況が起こってきている。この福生病院事件は、新自由主義における透析治療の切り捨て、患者の選別を露骨に行ったものである。上記したように福生病院において、24人もの透析非導入もしくは中止があったというのはその臨床的背景を見る必要はあるが、愕然とする話だ。

京都の嘱託殺人事件もそうだが医師、医療者が超えてはならない線を超え、不要邪魔とみなすものを排除しようとしているのではないかと危惧してしまう。

こうした流れは、このコロナ情勢でますます深まる資本主義と新自由主義の危機を反映している。コロナについても有害事象が懸念されるワクチンや治療薬の無理な開発や承認を急いだり、必要以上の感染防御が強要されたり、実際に社会的経済的格差で感染した後の予後が分かれるなどの事態が起こっている。

一方で、病院や医療機関は、経営危機に陥り、東京女子医大病院など夏の一時金も労働者に支払うことができなくなり、看護師数百人が一時一斉退職を願う事態にまでなった。千葉船橋の病院の労働者のストライキをはじめ全国で医療労働者が闘いに立ち上がっている。病者、障害者もこの福生病院事件を許さない闘いをはじめ各地で命を守るため闘いはじめている。

アメリカで黒人差別による警察の虐殺に対し、BLM運動
(black lives matter 黒人の命は大切だ)という運動が広がっている。

Handicappers or patients lives matter!
病者や障害者も生きているんだ、勝手に殺すな!
そう叫び、無数の人々と手を携えともに生きていこう。

主な参照文献
1、 腎臓病と人工透析の現代史 有吉玲子 生活書院  2013年11月
2、 長寿時代の医療ケア    会田薫子 ちくま新書 2019年7月
3、 高齢者ケアと人工透析を考える 会田薫子他 医学と看護社
2015年6月
4、延命医療と臨床現場  会田薫子 東京大学出版   2011 年 7 月
5 、透祈医療の 歴史      太田和夫          メディカル出版    2008 年 6 月

サイト以下より
首相の悪だくみ人脈 ゴルフ仲間は医療界寵児と規制改革委員

 山本眞理

安倍晋三首相の私的人脈を表わす 2 枚の写真。1 枚は安倍昭恵夫人が 2015 年 12 月 24 日にフェイスブックに投稿した加計孝太郎氏(加計学園理事長)らとの「悪だくみ」写真として知られるが、安倍氏の義弟である松崎勲氏がフェイスブックに投稿した別の写真に一緒に写る藪本雅巳氏は、日本屈指の医療法人グループ「錦秀会」の理事長だった。彼との関係から、安倍首相の知られざる大阪人脈が明らかになる。(取材・文/森功=ノンフ ィクション作家。文中敬称略)
* * *
大阪医療界の寵児と評される藪本雅巳 (57) は、安倍晋三最側近の一人に数えられる元外務副大臣の中山泰秀の仲人である。

安倍と藪本もゴルフ仲間で「晋三さん」「ヤブちゃん」と呼び合う関係だ。二人で中山の政治資金パーティの発起人になってきたことから、大阪では中山が安倍と藪本を引き合わせたのではないか、という説もある。だが、そうではないと語るのが、ある自民党大阪府連の関係者だ。

「安倍家と藪本家は、もとは安倍晋太郎先生(安倍の父で元外相)の時代にさかのぼるはずです。晋太郎先生はミナミの料亭『大和屋』を恐贋にされ、大阪に もよくいらしていた。その時代に雅巳さんのお父さんである秀雄さん(錦秀会の初代理事長) と知り合い、懇意になったようです。

雅巳さん本人が、‘‘晋太 郎時代の安倍事務所の金庫番と親しくなり、いっしょにゴルフなどをしていた”と言っていました。そうした縁で、二代目の病院理事長の雅巳さんが晋太郎先生の後継者である安倍総理に近づいたのだと問いています」

米国留学時代からの 40 年来の仲間である加計孝太郎や昭恵夫人の遊び仲間だった 35年来の増岡聡一郎(鉄鋼ビルディング専務)ほどではないまでも、相当長く、深い付き合いなのは間違いないだろう。だからこそ、安倍本人が大阪の藪本を神奈川県茅ヶ 崎のスリーハンドレッド(ゴルフ場)や山梨県河口湖畔の別荘に招いてきた。しかも、二人を取り巻く交友関係は単なるプライベートの域にとどまらない。

たとえば 2013 年 5 月 6 日の山梨県「富士桜カントリー倶楽部」でのゴルフ。ゴールデンウィークに首相主催で行なわれた4 組のミニコンペだが、そこには藪本だけ でなく、首相補佐官や秘書官、内閣官房参与も集った。二組目が萩生田光一(現・自民党幹事長代行)、中山泰秀、藪本雅巳、大阪大学医学部大学院教授の森下竜一のパーティだ。

ここに出てくる森下と藪本の付き合いも古く、濃い。大阪市内のある病院長に聞くと 、こう話した。

「藪本先生と森下先生は阪大医学部の同級生かと思っていました。そのくらい仲がよく、 いっしょに飲んだり食べたりしていますよ」
藪本は 55 歳の森下の2 つ上にあたり、同級生ではない。「錦秀会」幹部によれば、藪本は関西医大から阪大大学院に進み、そのときに森下と知り合ったようだ。

森下は、2003 年から大阪大学大学院医学系研究科臨床造伝子治療学教授に就任。日本における遣伝子治療研究のスペシャリストだ。予防医学やアンチェイジングを謳う「日本 抗加齢医学会」の副理事長も務めてきた。医療ビジネスを展開する藪本に、森下は大学の 研究者として協力してきた 。

安倍との関係でいえば、森下は第二次安倍内閣が発足するや 、2013 年 1 月 23 日、内閣府「規制改革会議」の委員に抜擢される。 さらに3 月 18 日には、首相が本部長を務める「健康・医療戦略本部」の参与に就任した。GW のミニゴルフコンペは、その 1 か月半後だ。森下は医療分野における安倍政権のアドバイザーと して尽力してきた。

森下は、日本維新の会とのつながりも深い。2013 年 4 月 17 日に「大阪府・市統合本部医療戦略会議」参与、2016 年 6 月 28 日には大阪府知事の松井一郎が進める「日本万博基本構想」委員となり、維新の会と連携してきた。憲法改正で歩調を合わせる維新の会を、 首相の安倍や官房長官の菅義偉がバックアップしてきたのは言うまでもない。

藪本雅巳と森下竜一 。奇しくも彼らの動きは、安倍政権の進める医療政策と足並みが揃っている。とりわけ第二次政権発足以降、安倍は先端医療や高齢者向けの医療・介護を成長産業と位置付けて力を入れてきた。そこに橋下徹や松井一郎という維新の会が打ち出した政策が複雑に絡み合い、それぞれが果実を得ようとしているかのように見える。
引用終わり

神出病院サイトによると、なんとこの薮本雅巳氏が神出病院の理事長をしており神出病院は錦秀会の経営による。

大フォーラムの厚生労働省交渉でも私が不思謙と思ったのは、精神病床削減というのに、殺人事件まで起こした病院をなぜ厚生労働省が必死で守ろうとしているのか、出会ったが、答えはこの薮本氏にあるのかもしれない。

彼の政治力に対抗できない現政権ということか

さらに神戸市の第三者委員会は国に対して、神出病院の院長の指定医取り消しを求めているが、指定医全員の取り消しやら、保健指定の取り消しと行った、実質的に神出病院を 潰すための動きをしていない。いわゆる改革派の医師たちもまた同様である。それほどこの薮本氏の政治力に怯えて いるのか 、あるいは自分たち もまた薮本氏の政治力を借りようとしているのか、実態は不明ですが。

いわゆる改革派の精神科医も所詮「いい病院」を守ろう、という姿勢をそしてより良い精神医療をという目的を捨てようとはしない。
本当に精神病院は必要なのか、オルタナティプがないという口実を永久に続けるつもりなのか、そもそも地域精神医療はオルタナティブなのか。

私は個人的には精神医療そのものの解体以外に問題解決はありえないと考えている。わたしたち精神障害者は精神医療を求めるのか、それとも精神医療そのものの解体を求めるのか、21 世紀障害者権利条約の時代に、わたしたちWNUSP(世界精神医療ユーザーサバイバー)の仲間は人権モデルに基づいて、むしろ精神医療の解体を求めるものも多い。ほんとうのいみでのオルタナティブこそが今求められているのではなかろうか、それ が先に紹介した国連健康の特別報告者の中間報告を発展していく道ではなかろうか。 大きな岐路に立って今私達は精神障害者解放への道を探っていかねばならない。

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