2019年1月 精神障害者権利主張センター・絆ニュース 抜粋

ごあいさつ

寒い日が続いております。皆様いかがお過ごしでしょうか。
昨年よりの生活保護基準引き下げ、さらに障害年金のストップなど厳しい状況が続いております。オメデトウゴザイマスとも言いかねるような悩ましい年明けです。

本年も何とぞよろしくお願いいたします。

三種が取れるようになるまでは郵送料が一般並みなので今回は12ページですので92円となります。厳しい状況下で恐縮ですが11ページにカンパ要請を掲載し振替用紙も同封いたしました。12ページに5月の合宿についてお問い合わせを載せましたので皆様ご意見をお寄せください。

また旧優生保護法については日本精神衛生会への申し入れを年明けに出しましたが、それについて団体署名のお願いをしております。5ページをご覧ください。公表可能な団体のみ団体賛同をお願いいたします。

精神保健福祉法改悪案は廃案としたものの、各地で警察の入った個別ケア会議が開かれている実態があります。強制ではない同意ということですが、実質強制となっている実態は7ページに安倍さんの報告が掲載されています。読者の皆様で同じご体験おもちの方も報告をお寄せいただければ幸いです。

精神障害者は障害と疾病を併せ持つ、だから他の障害者と違うという合言葉の元地域でも分離隔離の攻撃、囲い込みが強まっています。街が病院、お家が病室とでも言うのでしょうか。精神病院の生き残り策としての地域精神医療が今後私たちを追い詰めていくのではないかと案じられます。

「イエス ノー」から人権、誰もが誰に対しても「ノー」といえる社会を、福祉を、医療をと願わずにおれません。私たち障害者運動の正念場、私たちの生を否定する流れに抗うことを今年もと思っております。

共に、という言葉の意味を今年はより深めていかなければなりません。障害者権利条約で繰り返されている「他のものとの平等」という言葉をより深めていくことをまずと考えます。

ペルーの輝かしい勝利、強制入院制度の廃止、後見人制度の廃止の成果を見つめそして今私達の仲間の生を見つめつつ今年も歩いていきましょう

こころの医療センター駒ヶ根患者「処理」の〈新システム〉について

狂い死にの会JAPAN 代表 牧田美保
非常に腹が立っている。腹が立ちなおしているのである。十月二日二千十八年、私は一か月ぶりに〈駒ヶ根病院〉を訪れた。二日後に東京新宿の草間彌生美術館行きを控えており、不安だった。「もし、駅構内で眼球上転発作が起こったら?」「街の人波の中、また『違う世界』にさらわれてしまったら?」頓服薬はもちろんだったが、現金を多めに持つくらいしか対策はなかった。十月二日は予約どうりの診察日で、クスリは定期薬が切れるところであった。アパートの駐輪場に向かうアスファルトに、茶色い大きな羽根のボロボロになった蛾のしかばねが〈あった〉。悪い予感がした。知識とは蛾であるからだ。

「まるで流れ作業のようだ。」

伊那市駅発十時三十八分豊橋行き、いつもの電車である。この日、私が体験した〈駒ヶ根病院〉であったことが、行き帰りのシャトルバス運行からJR飯田線の行き帰りの運行状況まで全てあらかじめ仕組まれたことのように感じる。

「まるで流れ作業のようだ。」

外来患者のお仕事は通院・服薬である。通院にはお金がかかる。それに私は医療とは、当事者の限界ラインをよく見据えた上で決して過剰であってはならないとの信念を持っていたので、このところ月一度の外来としていた。する・される関係は信頼という相互作用の生まれない限り疎外しかもたらさない。行きつくところが人間のモノ化である。そして十月二日精神科単科病院において私は最後のあがきを聴いた気がした。製薬会社営業マンのプレスされたズボン、生き生きとしているのは彼らであった。困惑の表情を隠せない看護師たち。ロボットのような対応をして同じ言葉ばかり繰り返す受付の事務員。

「まるで流れ作業のようだ。」
「ここは心を癒すところではなかったのか。」

シャトルバスを降りる。自動ドアが開く。おかしい、受付も待合もいつもより混雑している。「十月一日より電子カルテの新システムにより―」云々看板が出ている。「何のことだろう。」少し待って「お待ちのお客様どうぞ。」ペラペラ「処理」が始まったらしい。必要なものを提出する。ペラペラ説明されるが何のことなのかわからない。「はあ。」

精神科における究極の患者像は「あー。」とか「うー。」とか言っているだけの、身体そのものである。これは皮肉である。投薬或いは注射点滴電気ショックの標的としてのみ価値を持つ身体そのものである。精神科においては元気な患者はあってはならない。患者は生き生きしていてはならない。「すみません、『病気』です。治療に励みます。」とうなだれて頭を下げていればよいのである。クスリ、精神病薬を飲んでくれる身体がない限り精神科は成立しない。特に病棟では治療サディズムは大いに発揮されているであろう。

透明ファイルを渡される。この瞬間から私は人間、牧田美保から受付番号63番という記号になる。女性職員に対応させて、後ろの方に見たこともない男性職員が黄色い腕章をつけて「君臨」している。今、思い出す。三十四年前〈駒ヶ根病院〉受付は藁半紙の受付票に鉛筆で名前を書いて、本人か友人かに丸印をするだけであった。

「『処理』だ。」「患者『処理』だ。」二番目の受付に行くまでにこの言葉を直感した。いつもは二番目の受付に渡す透明ファイルを返される。「お時間のあるときに読んでおいて下さい、とか言っていたな。」何がお時間だ、こちらは必死の思いで通院しているのである。「何だ、これは。」よく見ると黄色い基本カードというのが挟まっていて心理、注射、血液検査、CT、脳波、などと書かれている。そこに患者心得のごとく細かく、外来をこうしてああしてこう動けという文が列記されている。記号63番が医師によって情報を指示され、〈処方される身体〉となって「処理」される。診療報酬が発生する。全てはこれが目的である。

「何ですか、このシステムは!患者『処理』ではないですか!」診察室に入ったなり私は仁王立ちになってこう叫んだ。「何がそんなに気に障ったのでしょう。」「先ずはこの、患者に持たせているファイルの文字。心理、注射、血液検査、CT、脳波、これらが精神科を訪れた患者に恐怖を与えるとはお考えにならないのですか!」「私に言わないで病院側に言ってください。お待たせしたのはすみませんでした。」医師は言った。
ピンポン、ピンポン。「受付番号x番の患者様は中待合室に―」ピンポン、ピンポン。「受付番号x番の患者様は会計窓口に―」ピンポン、ピンポン。ピンポン、ピンポン。ピンポン、ピンポン。「うっ、うるさい。」電子で作られた血の通っていない不愉快な声が、のべつまくなしに流れる。ピンポン、ピンポン。「何とかならないのか。」ピンポン、ピンポン。ピンポン、ピンポン。ピンポン、ピンポン。

生きている主体としてではなく、治療されるべき客体として患者を「もてなす」と極致はこうなるのか。「処理」。私は懐古趣味ではないが、病院の芝生ではケースワーカーと患者が手つなぎ鬼をして遊びまわり、病棟の開け放した窓からは患者のラジカセでロックやジャズが鳴り響き、一般病室が足りなくて保護室のドアを開け放って病室として使えば、患者がギターをつま弾いている。病棟間出入り自由、病室間出入り自由。病棟の連日の麻雀大会、歌謡大会。患者自治会の経営する喫茶は毎日大賑わい。外来に訪れた日にはまず喫茶に行くか、開放されたケースワーカー室で自分専用のコーヒーカップで、セルフサービスでインスタントコーヒーをご馳走になり気合を入れる。ケースワーカー室のコーヒー代はカンパ制である。気の向いたときに小銭を入れておけばよい。全開放であったから駒ヶ根の町には入院患者がうようよ。まあそんな病院が〈駒ヶ根病院〉であった。〈「自由」こそ治療である〉を目指していたのかもしれない。

開放病棟の〈駒ヶ根病院〉から閉鎖病棟の〈こころの医療センター駒ヶ根〉へ。私がこの文章で糾弾している〈新システム〉はいきなり十月二日二千十八年に現れたものではない。病院新築工事を、病院「改」築工事と偽って患者、地域の関心を避けた病院当局のずるさなど当時から見抜いていた。公立精神科単科病院、喉から手が出るほどお金が欲しかった筈である。犯罪的としか言いようのない医療観察法病棟。その新併設をドル箱としたとの事情を知っている患者はちゃんと存在したのである。もしかしたら病院当局よ、あなたたちは「医療観察法病棟の維持さえできればあとはどうなってもいい。」と思っているのではなかろうか。患者「処理」、その発想は「精神障害者の『処遇』」である。敷衍して考えれば、人が人を「診る」「看る」。現代社会で毎日当たり前のように行われていること。そのこと自体も問わねばならない。こんなデラックスな精神科病院の医師の定着率があまりに低いのはどうした訳か。患者をモノ化していけばいく程スタッフもモノ化されていく。スタッフのピラミッド構造の頂点が医師であることは言うまでもない。
そこまで批判してあなたは病院に来るつもりかと言われるだろうか。返事は用意してある。

「あら、私は『患者様』ではなかったの?」

私は心を鬼にしてこう言おう。人間を保護室閉鎖病棟という檻に入れて鍵をかける仕事、如何にうまく言いくるめて患者を従順な服薬ロボットに仕立て上げるかという仕事、これが精神科医の仕事である。

私が今夏発表した短歌「精神医療現代教」連作十首よりの一首をひく。

ひとりの人間である前に〈患者〉を営業させられてゐる不条理

以下の項目について要求する。まず長期的要求として、
1.殺人兵器として機能している精神医療の象徴、また精神障害者差別の象徴と言える犯罪的医療観察法病棟の廃棟を要求する。三十四年前の開放病棟時代から全ては強固な閉鎖病棟、医療観察法病棟を生むための伏線であったことを認め、廃棟に向けての五か年計画十か年計画を提示せよ。

2.結論的には、精神病院こころの医療センター駒ヶ根の現在の形での廃絶を要求する。全精神病院を国会議決でなくしたイタリアに見習え。

短期的要求として、
3.電気ショック療法に対して、患者様の私は如何なる「ご理解ご協力ご支援」も出来ない。即刻電気ショック療法を中止せよ。

最後の事項として、
4.「ヒトトシテ」どのような「心」で毎日勤務しているのか。

4項目に対し真摯な回答を願いたい。

2018年10月24日

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