透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」批判

「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」批判

2020年20

一般社団法人日本透析医学会

 理事長 中  元  秀  友  殿

        公立福生病院事件を考える連絡会

               代表 弁護士 冠 木  克 彦

          大阪市北区西天満1-9-13パークビル中之島501

                                     冠木克彦法律事務所 気付   

第1.はじめに

 1.2019年5月31日、貴学会は公立福生病院事件について、「日本透析医学会ステートメント」を発表し、その内容が同病院を擁護していたため、私達「連絡会」は、2019年6月15日付で「日本透析医学会ステートメントに対する公開質問状」を貴学会に送付したところ、6月17日付で、「特定事件に対してそれ以上に意思表明すべき立場にない」ことを理由として、内容回答を回避する旨の回答をいただきました。

   その上で、貴学会は本提言に先立ち「提言(案)」を発表して本提言に至っています。

 2.本「提言」序文において、「医療チームが、患者に最善の医療とケアを提供することを 指向して作成した」と述べていますが、残念ながら、本「提言」は「患者にとっての最善の医療」からますます遠ざかり、序文で述べているように、「医療チームが日常臨床の場でしばしば遭遇する判断に困窮する事例」に対し、より効率的に「処理」できる方策を作成したことが主眼にあると判断せざるをえません。

   透析治療の臨床現場で遭遇する困窮事例は医療行為の効率化を妨げていると思われますが、その対処すべき対象物は「人の生命」であって、効率性に置きかえることはできないこと確認されなければなりません。

 3.今回の「提言」の重要な部分は、人生の最終段階ではないが生命維持のために透析を必要とする患者がCKM(保存的腎臓療法を選択して透析を見合わせた場合には「人生の最終段階」となること、透析見合わせは緩和ケアが行われること、深い持続的鎮静を行う場合には、事前に患者・家族等からの同意を取得することが望ましい、と述べています。

   「提言」のこの重要な部分は、患者の透析見合わせ意思を患者本人の「自律」「自己決定」としてそのまま認めていることです。生命維持のために透析を必要とする患者が透析を見合わせるのは、それは即ち、「死に直結する意思」として可能な限り説得して翻意させるのが本来救命義務を負う医師の職務ですが、それをなさずそのまま現実の医療現場で適用された場合、刑法的には「自殺幇助」の問題が生じること、そして事態の進展は透析の中止・不開始の患者を襲う尿毒症の耐えがたい苦しみに対し、透析をなしえないとして救命する方策がなく、ただ苦痛の緩和のために大量の鎮静剤投与により死なせる処置という危険な流れが合理的に想定されます。本「提言」において貴学会は、この「危険な流れ」を適法と強弁するために、極めて不自然な「人生の最終段階」の設定をしていると推認せざるをえません

   以下述べる諸点を真剣に考慮されて再考されることを強く希望するものです。

第2.本「提言」の核心部分とその批判

 1.本「提言」の核心部分

 (1)死に直結するCKMの選択

    患者が透析の開始が必要なESKD(末期腎不全)に至った場合、RRT(腎代替療法として、腎移植、腹膜透析、血液透析のいずれかを選ぶ必要に直面する。そのいずれをも選択しない場合は、CKM(保存的腎臓療法)を選択して透析を見合わせることになるが、生命維持のために透析を必要とする患者がCKMを選択した場合、数日から数週で死亡する可能性が高いが、患者がわかりやすい適切な説明を受け、自らの意思に基づき透析の見合わせを申し出て、最終的にCKMを選択した場合、医師が生命維持のために透析を必要とするESKDと診断した時点から人生の最終段階となる。人生の最終段階において苦痛を緩和するケアが重要であるが、尿毒症による呼吸困難等は辛苦耐えがたい苦痛であり、緩和ケアの内容について患者の意思を確認すること、深い持続的鎮静を行う場合には事前に患者・家族等から同意を取得することが望ましい。

 (2)患者の透析見合わせ意思の変更に対する対応

    患者がCKMを選択し透析の見合わせを決定した後、同患者の意思の変更については「患者の意思は変わりうるものであることを常に認識し、透析を受け入れるための対応を続ける」(9項()第2段落)と述べるが、すぐ以下の文章が続いている。

「人の尊厳の中では自律、すなわち自分のことは自分で決めることが最も重要な要素であり、患者・家族等・医療チームの間で十分な情報共有のもと繰り返し話し合ったCKM選択の合意を尊重すべきである。透析の見合わせに関する確認書を患者・家族等相続人を含むから必要に応じて取得する。患者・家族等・医療チームの間で透析見合わせの合意が形成されない場合には繰り返し話し合い、合意形成に努める。」とあり合意を優先している。

 (家族等との透析見合わせの合意優先

    上記患者の「意思の変更」の場合も、患者・家族等・医療チームの間で透析見合わせの合意が形成された場合、患者本人の意思が変わっても「合意が尊重されるべき」として、当初の透析見合わせの合意が本人意思より重視するとされ、意思決定能力を有していない患者の家族等から透析見合わせの申出を医療チームが受けた場合、その患者が意思決定能力のあるときに表明した事前指示を確認できればその意思に従い、「患者の意思を推定できない場合、または、家族等と合意形成できない場合には繰り返し話し合い、合意形成に努める」とする。なお、この「家族等」には「相続人」も含まれている。

 (4)不自然な「人生の最終段階」の設定

    本「提言」の「基本的な考え方」7項「人生の最終段階」の第2段落末尾において、「意思決定能力を有する患者、または意思決定能力を有さない患者の家族等」(以下、「患者・家族等」と略す)「から医療チームに透析見合わせの申し出があった場合には、医師が生命維持のために透析を永続的に必要とするESKD(末期腎不全)と診断した時点から人生の最終段階となる」と述べ、加えて、同9項「透析の見合わせ」2)項第2段落では「人生の最終段階ではない患者が透析の見合わせを申し出て、最終的にCKM(保存的腎臓療法)を選択した場合、医師が生命維持のために透析を必要とするESKD(末期腎不全)と診断した時点から人生の最終段階となる」と述べている。

    しかし、患者が「透析の見合わせ」を撤回すれば「人生の最終段階」ではなくなるので、極めて恣意的な設定であり、なぜこのようにしたかの検討は第3で述べる。

 2.本「提言」の核心部分に対する批判

 (1)CKM(保存的腎臓療法)とは、透析を必要とする患者の生命を救い維持する療法ではない。したがって、透析の開始が必要なESKD(末期腎不全)において、透析にかわりうる治療ではありえない。したがって、現在までの透析治療機関では、ESKDに至れば透析治療をしなければ生命はないとして必死に説得して患者を助けている。CKMの選択などそれは「死の選択」であって、いかに患者が望んでも医療者は「死の選択」をさせないように説得を続けるのが当然の義務として遂行されている。

    ただ、患者の中にはいかに説得してもどうしても透析を承諾しない人があり、その場合やむをえず保存的に対応する措置がCKMであって、透析や腎移植にかわる選択肢の一つとしての治療法ではない。

    しかし、本「提言」では、CKMの選択による透析の見合わせも患者本人の意思として尊重されている。CKMにならないように「説得する」という記載もない。これは医療者として生命の軽視であり、医療者の義務を放棄していると考える。

    本「提言」の「案」が発表された時の新聞記事において、早稲田大学教授で医事法・刑法が専門の学者は「終末期ではなくやむにやまれぬ医学的な事情もなく、日常生活が十分送れる人の場合に治療を見合わせるのは、自殺幇助を認めることにつながる」と指摘し、また、帝京大准教授は「死を決定させる前に患者の人生に踏み込んで問題を解決し、生きる意欲を持たせる必要があるが、その発想はない」と批判している(2020年2月17日付毎日新聞)。貴学会に強く再考を求めるものである。

 (2)本「提言」は患者の透析見合わせの意思の変更に対応するため「透析を受け入れるための対応を続ける」と述べているが、すぐその後に続く文章は、「患者の意思は変わりうる」が「人の尊厳の中では自律」が「もっとも重要な要素」とし「繰り返し話し合ったCKM選択の合意を尊重すべき」と述べ、加えて、その「確認書」を「取得」すること、そして、驚くべきことに「透析見合わせの合意が形成されない場合には繰り返し話し合い、合意形成に努める」とまで述べている。

    患者の意思の変更は、それは即ち透析を再開して生きたいという患者の意思であるが、その患者の意思に添うことが大原則であるのに、そんな患者の意思は「人の尊厳に反する」と否定されている。否定していないというのであれば意思が変わった患者を助けるための手段を記載しないといけない。例えば、「助けてくれ」と叫ぶこと、「透析してくれ」との意思を表明すること、「生きたい」と叫ぶこと、これらは透析見合わせとは逆の行為であるから、これらの行為が患者に認められれば、いかに透析見合わせの合意及びその書面があろうと、これらの合意は否定され、直ちに透析再開がなれるべきことを「提言」は書くべきである。「透析を受け入れるための対応は続ける」というのが本当であれば、「緊急透析」に対応できる体制をとるべきとか明確な規定を入れるべきである。

    なお、本「提言」のこの部分は、現在訴訟になっている公立福生病院事件で被害患者の女性が「こんなに苦しいなら透析した方がよい。撤回する」と明言したにもかかわらず、病院側が無視して死亡させた処置を擁護する立場で書かれていることが明白である。

 (3)意思決定能力を有しない患者(この定義は厳格になされなければならず、「生きる」とか「死ぬ」とかの判断がなされる人は全て能力を有していると判断されなければならない)について、「代諾者」が論じられているが、「本人の意思の代弁」がなしうるのは、あくまで「生きる方向」のみであり、「死の方向」への代弁・代諾はできないことを確認しておかなければならない。当然、医療チームも、患者本人が救命される方向への裁量権を有するが、「死ぬ方向」への裁量権はないことが確認されなければならない。

    したがって、意思決定能力のない人の意思の推定ができない場合、「透析見合わせ」はすなわち「死」を意味するから、その方向への代諾はできないことが確認される必要がある。家族等に「相続人」が含まれれば「死」の方向に代諾される危険性が大きく、代諾で「透析見合わせ」はなされてはならない。

第3.不自然な「人生の最終段階」の設定の意味について

 1.前記第21.()において指摘したように、本「提言」で「患者側から医療チームに透析見合わせの申出があった場合には医師が生命維持のために透析を永続的に必要とするESKD(末期腎不全)と診断した時点から人生の最終段階となる」との不自然な設定がなされている。

   その理由を推認すると、上記7項での引用文の前に「医学的には人生の最終段階ではないが生命維持のために透析を必要とする患者が、CKM(保存的腎臓療法)を選択して透析を見合わせた場合には、数日から数週で死亡する可能性が高い」との一文があり、「死」が近いことがその理由になっていると考えられる。

 2.しかし、人生の最終段階でない「患者・家族等」がCKMを選択してもそれを撤回して変更することが可能である事を同4項「透析見合わせの際のSDM(共同意思決定)とセカンド・オピニオン」で繰り返し論じられており、「患者が意思決定」したあとも「必要に応じて決定を見直す機会を持つようにする」とさえ記載している。

   したがって、「患者・家族等」がCKMを見直せば、「透析の再開もしくは開始」となり、「人生の最終段階」ではなくなる。本「提言」の立場では「それはそれでよい」と言うのであろう

   しかし、問題はなぜそんな「くるくる変わる可能性」のある事項について医学的に不自然な規定をわざわざしているのかということである。

 ひるがえって、具体的な事態を想定する。

   人生の最終段階でない患者・家族等が、透析治療を続ければ10年や20年は生きる可能性がある場合に、透析の見合わせをしてCKM(保存的腎臓療法)を選んだとすると、多くの場合「数日から数週で死亡する可能性が高い」から、徐々に尿毒症が進行し、末期に至ると「耐えがたい苦痛」、ある人に言わせると「地獄の苦しみ」を受ける。客観的には、透析を再開すれば救命されるから「人生の最終段階」(従前からの言い方でいえば終末期)ではない。

   ところが、本「提言」は、無理に「人生の最終段階」と言い張って、この「耐えがたい苦痛」の緩和から死に至る過程を「終末期における延命治療」にしてしまって違法ではないという「理屈」にするために医学的にも全く不自然な「人生の最終段階」の設定をしたのではあるまいか。しかし、かかる設定は、医学的にも社会的にも、全く不合理な設定であって適法性は全く存在していない。

第4.再考を求める。

   以上、中心的な問題について批判を展開してきたが、貴学会がこのまま医療現場にこの「提言」を正しいものとして提示し、多くの医師がそのまま実行するとすれば、正に医療現場にも社会的にもゆゆしき事態が発生することは明らかです。法的諸問題も発生します。

   冒頭で若干触れましたが、透析医療の現場で判断に困窮する事態があることは承知していますが、問題は「生命」に関わる事柄であって、経済合理性や効率性で処断できる問題ではありません。透析が生きるために必要であるにもかかわらず透析を見合わせる意思は、その患者に降りかかっている深刻な事情に基づいており、医療側からその事情を取り除いてしまうことはできないにしても、その患者が希望をもってそれら事情を乗り越えていこうとする意欲を生み出していけるように努力して生命を守ることが医療者としての重要な役目です、この医療の根本使命にたちかえって本「提言」については強く再考を求める次第です。

透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言

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