≪緊急声明≫
公立福生病院で起きているいのちの切り捨てに抗議します!
しょうがいしゃの命を奪う滑り坂の拡大を阻止しましょう!
2019年3月22日
「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会
私たちは、障害者権利条約(以下、権利条約)の具現化のため、2011年8月にしょうがいしゃの代表も関わって作られた「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言」の完全実現を求めて行動しています。
透析を受けている内部しょうがいの仲間をはじめ、しょうがいしゃは、日本国憲法第二十五条の生存権と共に、権利条約第十条の「生命に対する権利」があり、同条約十七条の「その心身がそのままの状態で尊重される権利」を有しています。
にも拘わらず、公立福生病院(以下、福生病院)は、透析の中止や不開始を患者に提示し、死に追いやっていることを報道で知りました。とりわけ、昨年8月16日に亡くなった女性への対応には、非常に強い衝撃を受け、怒りを感じます。
★事件の概要
毎日新聞をはじめとする報道を総合すると以下のような事件が福生病院で起きていました。
2018年8月16日午後5時過ぎに、透析の再開を希望していた44歳女性が死に追いやられました。この女性と夫は、前日から透析の再開を訴えていましたが、同病院の腎臓病総合医療センター(以下、同センター)のスタッフはこれを無視し、苦しむ女性に鎮静剤を注射するのみでした。
女性は、5年ほど透析を続けてきましたが、同月9日にシャントが使えなくなったため、かかりつけの診療所からこの地域の中核病院である同病院に運ばれました。その場で、担当の外科医は、首周辺に管を挿入して透析を続けるか、死に直結する透析の中止を提示し、女性は透析の中止を選択しました。クーリングオフもなく、夫も呼ばれた場で、女性は意思確認書にサインしたとのことです。
このことを知ったかかりつけの診療所は驚き、透析を再会するように女性を説得しました。女性は翌日、同病院に行き、同センターの内科医と話したうえで、そのまま自宅に帰りました。夫の証言によれば、女性の気持ちは揺れていた、とのことですが、14日になって、「息が苦しくて不安だ」と、福生病院に入院します。
そして、15日の夜、夫と女性は、担当の外科医に透析の再開を要請します。外科医も女性から数回にわたって聞いたと言っています。外科医は、「正気な時の(治療中止という女性の)固い意思に重きを置いた」として、この要請を無視して死に追いやったのでした。
夫はその手記で14日の入院について、「治療して生きて帰ってくる、そう思っていました。まさか『死ぬための入院』だなんて、誰が想像し得たでしょうか。」と記載しています。毎日新聞3月7日付けによれば、女性は、死の当日(16日)の午前7時50分の発信で「とうたすかかか」という7文字をスマホに残し、これは「父ちゃん助けて」という夫に向けたSOSだったのではないかと記されています。
同病院では、この女性を含む5人が透析中止を選択し、13年4月~17年3月、最初から透析治療をしない「非導入」で計20人が死亡していると報じられています。
★いのちの切り捨てを肯定する病院側
このような事実が報じられているにも関わらず、福生病院は、3月8日付の声明で「密室的環境で独断専行した事実はございません」とコメントし、反省の意思すら示していません。そこには、患者を死に追いやることについて、むしろそれを肯定する思考があるからだと考えられます。
この外科医は透析について、「無益で偏った延命措置」と発言して、透析患者を「終末期」と考えています。最長で50年近くも透析を続けている人がいるにも拘わらずです。
福生病院の松山医院長は、昨年8月16日に亡くなった女性のケースも含めて、同病院で行われている透析の中止や不開始を適正で倫理的だ、と述べます。そして、人工呼吸器や胃ろう、透析を挙げて医療費の観点も指摘しつつ「どういう状況下でも命を永らえることが倫理的に正しいのかを考えるきっかけにしてほしい」と語っています。いのちの切り捨てを推し進める立場であることは明白です。
★死への誘導は許されない
腎臓を患う患者にとって、透析治療が必要と診断された場合、ほとんどの患者が、人生に対する不安や絶望を感じてしまうでしょう。また、毎年贈られてくる医療費の通知も重圧となります。医療スタッフは、そのような患者に対して透析を受けながらの人生に希望が持てるように、励まし、支えて治療に当たることこそが求められます。
夫の手記によればこの女性は、「1999年ごろに抑うつ性神経症と診断され、治療を続けていました。その頃から精神的に不安定で、過去20年間で薬を大量に摂取し、自殺未遂を3回しています。」と記されており、死を選択するような提起をすること自体が許されません。
透析の導入あるいは実施そのものが患者の生命に危険をもたらす場合以外において、透析を導入しなかったり、それまで行ってきた透析を継続しないことは、患者を死へと誘導する行為であり絶対に容認できません。シャントを作るために病院を訪れる人は、生きようとしているのですから。
亡くなる前日に「こんなに苦しいのであれば、透析をまたしようかな」と言う女性に対して、この外科医は、「苦しいのが取れればいいの?」と聞き返し、「苦しいのが取れればいい」と言う女性に鎮静剤を注入したと報じられています(3月7日付毎日新聞)。これは、明らかに死に向かって誘導しているのです。殺人行為です。
★意思の選別は許されません
この外科医は、2018年8月9日に示された女性の意思を「正気な時の意思」とし、15日の透析再開を求めた意思を「正気でないときの意思」と切り捨てました。
このような意思の選別は、絶対に許されません。
このような選別がまかり通れば、重篤な患者の意思はもちろん、認知症、せいしんしょうがい、ちてきしょうがいとされた人たちの意思も無視されることになります。
このような人物が「透析治療を受けない権利を患者に認めるべきだ」と主張することについて、強い嫌悪感をもって糾弾します。自らの思考に合致する方向を権利とし、そうでない意思は無視して構わないとするこの態度を、断じて容認できません。
★「消極的安楽死」を推進する医師たちは、医療現場から去るべきです
上述の外科医や福生病院の委員長の発言は、透析にとどまらず、人工呼吸器、胃ろうなど、いのちの維持に医療を必要とする人たちを、生きるに値しないものと考えているから出てくる発言です。そして、こうした医療の不開始や中止を拡大して行こうとする意図があるが故の言動です。
このような医師たちは、すべての市民の命の安全のために、医療の現場から直ちに去るべきです。
★こうした医師たちの思考を助長しているのは、国や医学界の姿勢にあります
2007年に厚労省が医療の不開始・中止のためのガイドライン(「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン)を作成し、その後、日本透析学会をはじめいくつかの医学界より同様のガイドラインが発表されます。これらは、いずれも「消極的安楽死」を推進するものであって、今回の福生病院事件と同様の方向性をもっています。対象の限定や意思確認の在り方に違いがあったとしても、国や学会がそのような方向性を打ち出していれば、もっと強力にその方向を推し進めようとする人物たちが出てきてしまうことは避けられません。こうして、いのちを切り捨てる滑り坂が拡大してしまうのです。
これは、社会保障切り捨ての方向と出生前診断の拡大、「生きるに値しないいのち」があるかのような政治家をはじめとする人々の発言の中で、津久井やまゆり園事件が起こって行ったのと、同じ構造をもっていると考えます。
政府や学会は、「消極的安楽死」や優生政策を推し進める政策やキャンペーンを直ちにやめることを要請します。