ねらわれる しょうがいしゃ制度の介護保険統合~今、私たちはどうすべきか 茨木尚子さん(明治学院大学教授)

【骨格提言は「過去のもの」ではない】

私は、2010年から11年にかけて障害者自立支援法に代わる新しい総合福祉法を作る検討をした、国の「障がい者制度改革推進会議」の総合福祉部会の委員として、「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言(骨格提言)」を作った一人です。

骨格提言は、しょうがいしゃ施策の羅針盤とされなければならないと思いますが、役人の間では「あれはもう、前の政権の時に作った物だから」と過去のものという考え方が支配的になっているかのような話も聞こえてきます。

私たちがなぜあれを作ったのか、骨格提言に語られている方向性、私たちがめざしている方向性は何なのかを常に意識していないと、介護保険統合という大きなグランドデザインにいやおうなく飲み込まれていく。そういうリスクをしょうがいしゃ施策は持っていると私は危機感を強めています。

2018年の7月から障害者総合支援法の施行3年後の見直しが検討され、報酬改定が行われた結果、何が変わったのか、今、総合支援法はどういう状況なのか。そして、しょうがいしゃ福祉だけではなくて全体的に社会保障が今どんな方向に動いているのか。その中でも特に、厚労省の掲げる「我が事・丸ごと」地域共生政策が、しょうがいしゃ施策にどのような影響を及ぼすのか。最後に、これからしょうがいしゃ運動は、どう活動していったらいいのか、そういった事を皆さんと考えたいと思います。

【医学モデル 20世紀日本の縦割り福祉】

これまでの日本のしょうがいしゃ施策の流れとしては、第二次世界大戦後に、しょうがいしゃの中でも縦割りの福祉が行われてきたという特徴があります。

これは日本が戦後お金が無い中で、しょうがいしゃ福祉法を作るにあたって、まずは身体にしょうがいがある方の枠を決めて、そこから福祉法をスタートしたのが大きな特徴だと思います。そこから、取り残された知的しょうがいの人達の親の会などの運動で、10年ぐらいたって1960年に知的障害者福祉法(旧「精神薄弱者福祉法」)ができました。

これも日本の大きな特徴ですが、精神しょうがいの人達の福祉というのは取り残されて、結局「病者」であってしょうがいしゃではないという考え方が強かったので、精神しょうがいしゃが福祉の対象になったのは20世紀の後半、1995年に初めて精神保健福祉法が出来て、それで三しょうがいという考え方が制度的に成立したという事になっています。

このように縦割りで福祉法が作られてきた国というのは、日本だけと言ってもいいぐらいで、他の国では20世紀後半にはしょうがいしゃ福祉法は一本で、知的も身体も精神も、その谷間に置かれているような慢性疾患の方なども含めてしょうがいしゃ福祉という事になっていったので、こういう縦割で福祉が作られてきたというのは日本の福祉の大きな特徴だと思います。

どうしてそうなってきたかというと、しょうがいを医学モデルで考えるというのが、とりわけ日本の中では強い。手帳でも何でも誰が判断するかというと最終的に医師である指定医が判断します。もちろんそれは間違いではありませんが、しょうがいというのは多様な見方があって、医学レベルだけではなく、社会レベルで見るという考え方が大事だということが今日本でも言われてきています。けれども、やはり、最終的に誰が重いか軽いかを判断するかというと、やはりまだまだ医学的にしょうがいを見る見方が強い。そういう医学モデルによるしょうがいのとらえ方が、20世紀の間、ずっと日本の中での特徴だったと思います。

21世紀に入ってこの谷間や縦割りをどう解消するか、これは制度を作る側の考えてきた事ですし、われわれしょうがいしゃ運動側もしょうがいの格差、谷間をどう埋めていくか、縦割りじゃない運動をしていくというのが20世紀後半から今までの大きな課題であったと思います。

三しょうがい共通の制度を作る事、それはとても大切な課題でした。しかし、どう作るかと、いう所で、政策側と運動側に大きな考え方の差が出てきたのが21世紀に入ってから、という事になります。

【措置から契約へ 介護保険制度の導入】

一つ大きなポイントは、2000年に介護保険が導入されたという事です。これは65歳以上の介護が必要な高齢者、その他にも40歳以上でも特定疾患については対象ですが、これが導入された。これは、高齢者福祉にとっては、それまでの措置制度から利用契約制度になるという事で、支援がなかなか受けられなかった高所得層の高齢者もサービスがうけられるという事で、2000年以降、高齢者の社会的介護のニーズに対応したと評価される面もありますが、「保険」なんですよね。だから、介護が必要にならない事がとても大事で、すなわち、介護保険というのは予防にとても力点がおかれてきたという経過があります。保険ですから、医療保険と同じように定率負担です。応益負担として三割とか、そういう形で利用料もお金を一部自己負担にする。応益、定率っていうものが絶対に入ってくる。

介護保険もスタートラインは一割、そして今は所得に応じて三割まで、医療保険と同じ所まで一割二割三割という形で自己負担が増えてきています。社会保険のシステムは何が都合がいいかというと、管理する方が負担率を非常に決めやすいという事もありますし、保険料を払って、その保険料を担保に運用するので、国としては税金でやるよりも資金を確保しやすいということも一方である。ある意味目的税的に操縦できるので、国としては介護保険を一つの柱として高齢者の介護にあててきたという経緯があります。

「そんな事はまかりならん!」と、しょうがいしゃ団体は介護保険に反対運動をしたわけですね。当然応益負担っていうのはおかしい。「益じゃないぞ、権利だぞ!」という運動をしていたので、それを乗り越えて65歳以下の人を巻き込むのはとても国としては考えづらかったので、2000年には65歳以上の高齢者を対象としたのです。

【介護保険拡大は規定路線?】

私も今、自分の親が介護保険を使っていて思うのですが、高齢者の家族の負担を減らすための制度だということです。しかし、その制度が生まれた時に、将来65歳未満に介護保険を広げるという考え方は、しっかり仕組まれていたわけです。

それで、2003年に支援費制度をスタートさせるわけです。措置ではなくて利用契約にしますという事で、まず身体と知的の人を統合しました。

そのときもしょうがいしゃ運動は厚労省で座り込みをしました。ホームヘルパーに利用上限を付けるといった政府方針に対する反対があって、2003年時点では、上限は一応撤廃されて制度がスタートしたのですが、すぐにお金が足りないとなった。

在宅サービス、特に知的しょうがいの方の移動支援サービスが急激に増えたので予算が足りない。国の義務的経費で予算計上しないと、とても支援費はもたないという事で、始まったと同時に次の法律を作りますと、国は言ってきたわけですね。だから私は、これは筋書き通りだったかなと思っています。

一旦支援費にして、その次に介護保険とも非常に親和性のある制度にし、三しょうがい統一にして、というプランがあったんだろうなと思います。結果として、支援費制度が2003年に始まって、すぐ次の年にグランドデザイン案というものが出来て、将来の介護保険としょうがいしゃ福祉施策の統合方針が示され、これにはしょうがいしゃ運動は反対しました。

【しょうがいしゃ支援は「益」ではない】

一番大きなポイントは応益負担という所です。サービスが必要な人ほどたくさん自己負担を払う、一割払うという事が、しょうがいがある人にとっての平等なのかという、根源的な問いかけを運動はしてきたわけです。しょうがいのある人が道を歩いている、社会に出ていく、学ぶ事、働く事、生きていく事すべて権利ですよね。権利を遂行するのに支援が必要な人が支援を受けることを「益」と言ってしまうと、非常に矛盾してるし、おかしいじゃないかっていう事を訴え続けましたが、なかなかうまく伝わりづらかった。

自立支援法を作る時に、最後まで反対した身体しょうがい、知的しょうがい当事者団体もありましたけれども、どこかで妥協して介護保険という大きな枠組みに入らないと、しょうがいしゃ福祉の予算が削られてしまうのではないか、大きな社会保障の中で取り残されるのではないかと賛成した団体もあって、ここで自立支援法への道というのが開かれてしまったわけです。
結果としては2005年自立支援法が成立して、その年から一割の自己負担というのがスタートする事になるわけです。

自立支援法の一割負担は本当にしょうがいしゃの生活に大きな影響が出たと思います。自己負担が必要になった人は、そのために介護の利用を辞退したり、就労支援を使っていた方は工賃のほうが利用料より安いというので、辞めたりする人が出てきたと聞いています。そういった事で訴訟が起きました。しょうがいしゃの生きる権利を阻害していると、各地で自立支援法違憲訴訟が起こる。

そして、マニフェストに「障害者自立支援法を廃案にして新しい総合支援法を作ります」と明記していた、今は無き民主党に政権交代したので、新しい法律を作る方向性が出てきたわけです。

【国連障害者権利条約批准に向けて】

もう一つは、国連の障害者権利条約ができて、条約に日本が批准するために、この条約に合った法律に福祉法を変えるだけではなく、差別禁止のための法律も作らなければならないとも謳われていましたので、2010年から「障がい者制度改革推進会議」というものが作られて、その中で新しいしょうがいしゃ施策の方向性が検討されていく事になります。

総合福祉部会の55名の委員による喧々諤々の議論を経て、奇跡的に全委員の総意という事で骨格提言がまとまったのですが、この骨格提言に基づいた法律を策定しようという時に、残念ながらまた政権が変わるんですよね。また自民党に政権が交代して「骨格提言の方向性は段階的に目指します。」という事で、殆ど自立支援法と中身が変わらない形で、障害者総合支援法が2012年に成立します。「三段階に分けて法律を骨格提言に近づけていきます」という事で、法律施行の時にやるもの、1年後にするもの、3年後に見直すもの、という3段階に分けてスタートします。

施行3年後の見直しの結果を受けた法律改正が行われ、2018年の4月に報酬改定が行なわれてから、ちょうど1年が経とうとしてるというのが今の段階です。

【しょうがい程度を測る物差しはあるのか?】

自立支援法から現在の総合支援法に至るまでの話を先にしておきたいと思います。

まず、介護保険統合を目論んで作られた2005年の障害者自立支援法ですが、とりあえず三しょうがい同じ福祉制度になった事。とても大事なポイントです。

2つ目は支給決定に対して障害程度区分(現在は障害支援区分)という区分と認定審査を入れた事。これはまさに介護保険と将来統合する為に、項目の大部分は介護保険の認定審査と同じ質問項目で作られました。同じ物差しを使って三しょうがいのしょうがい程度を測って、その程度区分によって受けられるサービスの量とか種類を決めていくという仕組みが導入されたのです。

その頃、カナダのしょうがいしゃ支援をしてる人から「知的しょうがいの人と、精神しょうがいの人と、身体しょうがいの人を、同じ物差しでしょうがいの程度を測るなんてカナダではありえない!」と言われました。ベッドから起き上がれない事がしょうがいの人と、支援がないと一晩中寝れなくて悩んじゃう人がいた時に、そんな「ベッドから一人で起き上がれますか」ということが、しょうがいが重いとか軽いとか言われるのはおかしいと。だから、しょうがいによって認定に大きく差が出ていたわけです。

総合福祉部会で各自治体の程度区分の割合を見た時に大きな差があったんです。ある県はとても「自立」のパーセンテージが高い、認定を受けても自立になる人の割合が他県に比べて倍くらい多い。

それからまた別な県は自立と区分1、2は低いですが、4が非常に高く、5、6は少ない、4だけがが高い。なぜかと思って聞いたら、4から施設入所できますよね。その県は在宅サービスがとても少ないので、結局18歳以上になって、親御さんが高齢化すると入所施設しかないという地域が多いので、4を目指して皆が認定審査を受けるという事で、際立って4が高くなっているのではということでした。

また精神しょうがいの人は、一次審査と二次審査の変更率の差がものすごく高い。自治体によっては8割ぐらい変更している自治体もあれば、40%くらいしか変更してない自治体もある。多分出てきたコンピューターの統計を変えられない自治体と、精神しょうがいの程度が測れていないから、本当に人の目で確認しようという自治体とで差が出るわけです。

だから同じ区分、3とか4でも自治体によって全く実態が違う。それは現場の人や当事者はみんな分かっている。でも同じ物差しを使ったら平等だという考え方がとても強くて、なかなかこのコンピューター調査が外せないのです。

程度区分が、今、支援区分に変わりました。変更率、程度区分で変更した項目を入れて、精神しょうがいしゃや知的しょうがいの人達が一次審査で高く出るような項目を入れた事になっていますが、これで本当にいいのかと、考え続けなければならないし、おかしい事はおかしいと言っていかなければならない。こういう同じ物差しで測るという事は、社会保険というものに入っていくときの必要条件になっているので、私はここを切り崩すことがとても大事だと考えています。

やはりアセスメントは、その人のニーズに基づいて、どのような支援が提供されれば、その人のニーズが満たされるのかという事を一人一人考えていくことでしかないと思います。

程度区分から支援区分に変えるために、行政はコンピューターソフトを全部変えたわけですよね。ソフトを変え、そのシステムにかかるお金で、アセスメントできる行政の人を増やしたり、判断できるチーム作りをしたりするほうがよほどいいのではないか、と思います。

【65歳問題は残っている】

障害者自立支援法の中で、もう一つ重大なものが第7条で、介護保険優先原則というのが規定されていました。65歳になるとしょうがいしゃでも介護保険制度を優先し、介護保険にあるサービスをまず使っていくという事が規定されている。これも明らかに介護保険統合を狙ったものです。まず65歳以上のしょうがいしゃから介護保険に統合していくというわけです。

もっと深く考えていくと、国の考え方には、公助というものの比率を、社会保障全体の中で下げていくという大きな狙いがあります。障害者自立支援法は、税を財源とする公助でした。今も総合支援法は公助です。介護保険というのはみんなが保険料を払う社会保険というシステムで、共助なんです。医療保険も同様ですが、国民全体の共助です。共助の中には社会保険もあるけれど、互助というお互いが助け合いましょう、という考え方もあります。厚労省のホームページを見ると、これからの社会保障の優先順位は、自助、共助(互助)、公助の順番でこれをバランスよく動かす事で社会保障を維持していくといろいろな文書に書かれています。

一見もっともらしく思えるのですが、基本的にはいかに社会保障費を下げていくかを考えているのだろうと思わされます。しかも、法律にはしっかりと介護保険優先、まず65歳になったら公助ではなくて共助を優先しますよ、という事が埋め込まれているわけです。これは、総合支援法でも残されています。廃止になっていないので65歳以上問題は今まで続いているのです。後述しますが、今回の施行3年後見直しで、65歳以上の高齢しょうがいしゃの方の本人負担が少し軽減されましたが、制度的には介護保険優先は残っている。一方で、「自己負担分はずっと国で払いますよ」とは書いてない、そこは気を付けるべきポイントですね。

しかしながら、制度改革は行われていかなければなりません。2010年に民主党政権と訴訟団が和解して、合意文書を2010年の1月に取り交わしています。「自立支援法を廃止し」、ここが大事なのですが、「介護保険統合を前提とせず、新しい法律を策定する事」。「前提とせず」というのがしっかりとこの文書には書かれているんですね。だから何度でも「あなたたち政府は、政権が変わったとはいえ、前提としないと約束しましたよね」という事はしっかりと言っていく必要があると思います。

【権利条約19条という羅針盤で進むために】

大事な羅針盤として、障害者権利条約があります。日本は2014年に権利条約を批准しましたが、批准するという事は国内法を権利条約の内容に齟齬がないように変えて、またそれによって国内のしょうがいしゃの生活は権利条約の内容に齟齬がないように見直していく、検証していくという事になります。

条文は全て大事ですが、中でもしょうがいしゃ福祉にとって条約第19条がとても大事で、自立した生活および地域社会に受け入れられる事、その中でも、しょうがいがある人がしょうがいのない「他の者」との平等なくらしを目指しているんだという、そこがとても大事だと思います。この19条の誰とどこで生活するのかを選択する機会を有する事、他の者との平等で特定の居住施設で生活する義務を負わない事、そのために必要な地域社会の支援サービスをしょうがいしゃが利用する事ができる。これが権利なんだと、国際的に条約が規定されていて、それを日本が批准しているのだからこれを目指した福祉法にする事がとても大事です。これが今本当に実現されているのか、しょうがいのない人と同じようにしょうがいのある人が選択できているのか。やはりできてない事がたくさんありますし、それから特定の居住施設で生活する義務を負わない事、これも解決できてない。精神医療機関での長期入院、それからまた知的しょうがいの人達、重度の身体しょうがいの人達で本人が希望していないのに施設で暮らし続けている人達がいる。そういう現実もしっかりと考え続けていく必要があると思います。

それが介護保険と統合になった時どうなるか。高齢者の家族は、まだまだ施設を望んでいる方がとても多いですよね。地域で最後までヘルパー使って暮らしましょうという運動は、高齢者福祉ではほとんどないですね。むしろ、足りないので施設を作って下さい、安心できる施設作って下さいという考え方が強い。65歳以上からの高齢でケアが必要な方は、65歳未満のしょうがいしゃよりも圧倒的に多いので、そういうものに取り込まれると、その人達や家族、の考えている方向性にどうしても流れていく。そこがとても危険だと思います。

【骨格提言6つのポイント】

権利条約を日本の国内的に具現化したものが、骨格提言です。

骨格提言には6つのポイントがあります。
(1)しょうがいのない市民との平等と公平を目指す。
(2)しょうがいの谷間や空白をどう解消していくのか。三しょうがいだけがしょうがいしゃではなく、制度の谷間に置かれている人達や、空白部分をどうするのか。
(3)地域格差もあります。格差の是正、しょうがい種別によって制度の差がある事をどう考えるのか。
(4)放置できない社会問題の解決。社会的入院や保障の問題をどう解決していくのか。
(5)前述した誰にも合わない物差しを使ってしょうがいのニーズを計るのではなく、本人のニーズに合った支援サービスを提供できるシステムにしていくべきだという考え方。
(6)しょうがいしゃ支援に正当な予算を付けていますかという事です。やはりマイノリティーとして非常に予算を抑えられてきたという事実はあり、それで平等なのかという事も検討していく必要がある。この6つを基に具体的な提案をしてきたわけです。ここを私達は忘れてはいけない部分だと思っています。

【制度改正の経過と残された課題】

総合支援法が2012年に成立して2013年から施行されたのですが、3回に分けて改正が行われています。まず2013年には、自立支援法からすると目的や基本理念がかなり権利条約を意識したものになりました。また、一部しょうがいしゃ手帳を持っていない難病の方が対象に加わりました。現在300以上の難病の方が手帳を持っていなくても総合支援法の窓口に行って認定審査を受ける事が出来る仕組みにはなりましたが、医学モデルが強いので病名で入る病気と入らない病気が分けられている。原因不明の難病は病気は5000以上あると言われていて、その内の330程度なので、まだ生活上支援が必要でも窓口に行けない。寝たきりでヘルパー派遣さえあればこの人助かるのにと思っても、病名で外れているためにしょうがいしゃ制度の窓口に立てない人達がいるんです。これは本当に見過ごせない格差だと思います。

2014年になると程度区分を支援区分に変えますが、この物差しは外せないという事で、前述したように、今も支援区分という形で認定審査が継続されています。

それから一年後、重度訪問介護の対象が一部知的しょうがい、精神しょうがいのひとに拡大されました。これはしょうがいしゃ運動が頑張ってこじ開けた感じですが、これも「重度」という条件があって、個別的に見たら軽度でも支援が必要な人で、見守りなど、一人暮らしをする時に使いたいと思っても、なかなか使えないという問題は残されています。

一番大事な施行3年をめどに検討されるものですが、重度訪問介護の入院時の利用や、低所得者層の65歳になった時の介護保険料の自己負担分の軽減、これが2018年度のポイントですね。

ただし、施行3年見直しというのは、改正すべき10のポイントが示され、自立支援法から総合支援法に変わる時に、骨格提言を実現できなかった中身をもう一度3年かけて検討するはずだったのですが、結果として見直されたのはごくわずかです。

【「気がついたら、統合」が狙いか?】

今回の3年見直しで、65歳以上の高齢しょうがいしゃについては、2つの大きな改正点がありました。一つは前述した低所得の65歳以上の高齢しょうがいしゃの介護保険の利用料の負担軽減です。

それから、もう一つは「共生型サービス」が創設されて、今まで65歳前で使っていた介護サービスの事業所が、条件緩和で介護保険のサービスも提供出来、逆もしかりで介護保険事業所が65歳前のしょうがいしゃの介護サービスの事業所になる事も出来る、相乗りでサービス提供出来る仕組みを作ったわけです。これも実際には助かる面もありますが、一方でとても危険だと思います。

高齢者の介護保険事業所が、65歳前のしょうがいしゃの介護サービスより、圧倒的に数は多いです。どれだけ参入する事業所があるかは疑問ですが、これがあるとサービス提供システムとしては、65歳を境ではなくいつでも両方できる仕組みとして、すでに埋め込まれていることになります。どちらの制度に合わせていくのかという話になっていくと思います。

かつて2000年に介護保険に統合します、と言った時に、大反対があったわけですよね。まず「制度を統合する」と言うと、またしょうがいしゃ運動側は反対するわけですね。でも気がつくと統合されていたという、「あれっ、気がついたら事業が一緒に入っている、もう統合するしかない。」という方向性を狙っているのかなと思うふしがいくつもあります。反対しようがなくなる。気が付いたら現場は一緒にやっている。だったら財源も一緒にしたらいいじゃないかということになるのでは、と危惧しています。

【社会保障費削減に突き進む国】

何はともあれ、今の日本の社会保障の中では、しょうがいしゃ福祉施策よりも圧倒的に65歳以上の高齢者の社会保障問題は大きなテーマだと思うのです。国は、膨らむ介護保険の社会保障費をどう削減していくか、という検討がされたのが2018年度の介護保険制度改正です。

利用している側の負担を大きくするという事でまず自己負担二割層から三割層を創設した事と、軽度の方のサービスを縮小して、要介護度1・2度の方の使えるサービスの種類を減らす事が出されました。

もう一は、保険料の徴収開始年齢の引き下げ。今は40歳ですが、これを引き下げるという議論がされました。国は間違いなく20歳から取りたいと思っています。20歳から徴収とした瞬間に、65歳前からのしょうがいを対象にしないと話にならない。年金でもそうですが、介護だって65歳からしか使えないものにお金を払わないですよね。だから、「あなたが明日交通事故でしょうがいしゃになった時も介護保険使えますよ」とか、「あなたがしょうがい児の親になる場合もある。18歳未満の子どもにも使えますよ」という形にしないと、とても20歳からの保険料の徴収は開始できません。

2018年度介護保険改正の中では深い議論はされませんでしたが、議事録を見ると、はっきりと「介護保険を安定的に持続可能にするためには一日も早く徴収年齢を引き下げる。」「65歳前のしょうがいしゃも介護保険統合」と言っている委員もいます。

【地域包括ケアの危険性】

もう一つ、これが一番これから気を付けなければいけない事ですが、次の見直しの時期ではなく、今実際の地域支援のシステムから統合していこうという厚労省の大きな考え方です。それが「我が事・丸ごと 地域共生社会政策」です。

今も現場に行くと地域包括ケアという言葉が飛び交っていますが、これが「我が事・丸ごと 地域共生社会政策」が進められる中で生まれているシステムです。

何かというと、地域の中で縦割りで相談支援をしているのはいかにも弊害がある。窓口がバラバラになっていて利用しにくいので、ワンストップの相談窓口を作るんだという、しょうがいがあっても高齢者でも児童であっても福祉の相談をする時にそこに行けば大丈夫という窓口を作っていく、という事を言っています。ワンストップ相談窓口って聞こえはとても良いですが、サッカーでも何でも後ろが動いていないと繋がっていかないですよね。だから、窓口作っただけではだめで、しょうがいしゃ支援と連携していくかとか、児童・高齢者支援やサービスが地域の中に動いているかという事がないと、相談窓口ありきでサービスなし、という事に成り兼ねません。

それとともに、少ない人材、少ない資源でどう在宅サービスを維持していくか。児童・しょうがい・高齢者の在宅サービスの統合化というのを謳っています。

過疎地域などで、児童・しょうがい・高齢の人達をうまく統合して支援している地域とかNPOはあるんですね。例えば富山の「このゆびとーまれ」とか、色々な所があるのですけれど、たまたま支援の出来る人がいて、さまざまな要素が重なって出来ているのですが、それをモデルにして全国的にやれみたいな形ですが、全部の地域に「このゆびとーまれ」にいるような保健師さんはいないですよね。

そういう考え方でワンストップの相談窓口、そして統合化された在宅サービスで地域支援を回していこうとする。すごく乱暴だと思います。

国が出してきたビジョンをよく読むとすごく怖い事がいっぱい書いてあります。「生産性」という言葉や、公助の前に共助、互助という事も沢山出てきています。これは費用の削減にほかなりません。社会保障費を削減する為にいかに福祉制度を縮小していくか、広げないで「統合」という名前で縮小していくという事が書かれていると思います。

【インセンティブによるサービス削減】

「我が事・丸ごと」の中では、保険者、つまり市町村の機能強化等による自立支援、重度化防止に向けた取り組みの推進というのが強調されています。

前述したようにに介護保険という制度は、予防がとても大事になってきます。それで、とにかく介護保険を使う高齢者を少なくする。減らした自治体に国がインセンティブという形で、よくやったという事でお金を付けていく仕組みを作りましょうと謳っています。

当たり前ですが、高齢者ですから、介護予防に力を入れても、最終的に筋肉隆々なスポーツマンみたいになるわけではない。衰えを維持したり、進行を遅くしたりする事はできたとしても、そんなに急に生活場面で自立するようになるとは思えません。全国的には要介護者は増えているが、和光市とか大分県は要介護認定で認定されたお年寄りが減ったと示されています。こういう和光市や大分県がやっている素晴らしい介護予防策を全国に広げようというのが、国の目指している方向性なんですね。

この数値ですが、数字のマジックで減らすのは簡単です。今まで「出来ていない」としていたものを何とか「出来ている」と付けたら、要介護度が下がるわけです。あるいは、なるべく認定を受けさせないようにする。生活保護じゃないですけど、水際作戦。「あなたまだまだそんな介護保険対象じゃないです。まだまだ頑張れます、」と言って受けさせなければ認定率は下がるわけです。それで「9.6から9.3に下がった。19.6から18.6に下がった。素晴らしい」って思っては絶対いけないですよね。

これがしょうがいしゃ福祉にも適応されたら本当に恐い。私たちはずっとこの30年、介助を受けながら自立する。支援を受けない事が自立ではなくて、重度のしょうがいのある人は支援を受ける事で自立する事が出来るんだと訴え続けてきたし、自立生活センターもそういった考え方をこの30年以上広げてきたわけですよね。

それがこの介護予防という考え方には全く反映されていない、根本の考え方が違うという事を私たちは訴えていけなければならないと思います。

【保険システムでは自立生活はできない】

最後になりますが、これからの考え方として、確かに前述の「共生型サービス」が出来ましたが、これで介護保険としょうがいしゃ福祉サービスとの違いは乗り越えられるのかという事です。少なくとも重度訪問介護の考え方というのは介護保険にはありません。長時間その人の暮らしに沿った介助をしていく。重度訪問介護の支援者に求められるのは利用するしょうがいしゃとの関係性であって、誰にでも一律のサービスが出来る専門性、介護福祉士の資格、さらに上の資格という事よりも、その人の暮らしに合った支援をお互いが出来るかという事であり、考え方が介護保険の介護とは違います。そういう自立の考え方の違いとか、介護の考え方の違いとか、支援者の専門性の違い。もちろん重度訪問介護の支援には大いに専門性があると思います。その人との関係性で成り立つ専門性という事も重要に考えなければなりませんが、介護保険にはその考え方はほとんどありません。

それから、応益と応能という個人の自己負担の違い。これは社会保険である限り応益なんですよね。医療保険と同じ仕組みですから。これをしょうがいしゃ福祉で考えると、命を懸けて訴訟を起こした人達が何故それを国に対して訴えたのかっていう事を考えた時に、やはり応益に基づく自己負担に逆戻りする事は絶対出来ないと思います。

それから誰のニーズなのかという事。介護保険では家族の負担を減らす、家族のニーズに基づく所が強いので、そこを大きく考えて、介護保険としょうがいしゃ福祉の違いというのを見据えなければならないと思います。

根本問題として、保険というシステムにしょうがいがある人の生きる権利を委ねられるか、私は絶対委ねられないと思っています。何故ならば保険にした瞬間にその対象にならない人を増やしていく事になるからです。介護保険でも医療保険でも同様に、健康でそのサービスを使わない人を増やしていくという予防にすごく力を注がれる事になります。そうするとしょうがいがない人が多いほうが良いと考えていくわけですね。

しょうがいのない人の割合を増やしていくとなると、しょうがいののある人を生まれなくする仕組みが評価される可能性は大いにあると思います。何かといえば出生前診断を受けるという事、そして発見された段階で生まないという選択肢が評価される事です。

イギリスで1990年代に社会保障費が莫大だという事になって、当時の政権は出生前診断とその後の対応について無償化したことで、しょうがいのある子どもの生まれる率が非常に減ったという報告があります。もちろん発見されても生むという人はいるでしょうし、出生前診断をしないという選択肢もあるかもしれませんが、今の社会情勢では国がそういう仕組みを作る方向には進まないという保証はないと思います。

社会というのは、しょうがいのある人もしょうがいのない人もいる。しょうがいの幅もとても大きくて、健常者としょうがいしゃがいるのではなくて、ごく一般的な「普通」という範囲の人はいるかもしれませんが、どこからどこまでがしょうがいだと誰も決められないし、日本でしょうがいではないと言われている人が、他の国に行ったらしょうがい福祉のサービス受けているという所は当たり前のようにあります。そういう事を考えた時に、社会保障制度を使う人をどんどん減らしていくという考え方で福祉の施策が進められていく事は、国民全体にとって暮らしづらい社会になっていくと思います。何よりしょうがいのある人たちがこれだけ長く、辛抱強く当事者として運動をして作ってきたこの福祉の仕組みを、これからどう発展させていくかという事を考えていきたいと思います。

とにかく今が正念場だと思います。

2019年2月10日 「骨格提言」の完全実現を求める大フォーラム実行委員会主催講演会より、概要。

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