2018年8月6日 強制不妊手術東京訴訟第1回期日

傍聴席は抽選に漏れた方もでたくらい満杯、遠く仙台から20年余訴えておられた原告飯塚淳子さん(仮名)、三重県からピープルファーストの仲間などが駆けつけました。
弁護団の法廷後の集会報告はこちら
すばらしい原告意見陳述及び代理人の意見陳述でした
代理人意見陳述はこのぺーパーよりも法廷ではさらにわかりやすい言葉を選んでなされ、スクリーンに要旨もスライドで映されました

原告の意見陳述はこちらからPDFファイルダウンロードできます
原告意見陳述

2018年8月6日 強制不妊手術東京訴訟第1回期日
北さんの原告意見陳述

平成30年8月6日
(第1回口頭弁論期日)
意見陳述
原告(閲覧制限)
まずは本日、このような場を設けていただき、ありがとうございます。傍聴席には、 この裁判を温かく見守り続けてくれている皆様にお集りいただき、とても心強い気持ちでこの場に立っています。

5月17日にこの裁判を起こしてから2か月以上が経過しました。優生保護法の問題は、マスコミに度々取り上げられ、被害を訴える声も少しずつ聞かれるようになりました。先日は、北海道と熊本でも被害者が裁判を起こしました。

この裁判が、全国の皆さんに少しでも勇気を与えて欲しいと願ってやみません。

この裁判に向けた私の思いは、訴状の冒頭に「原告の思い」として書いていただき、その後も機会があればお話をしてきたとおりです。ですが、今日のこの第1回裁判期日には特別な思いがあります。是非、裁判官や国の代理人の皆さん、そして傍聴席の皆さんの前で、改めて、私の思いをお話させていただきたいと思います。

私は中学生の時、子どもをもうけることが出来なくなる手術を受けさせられました。私の体には今も、生々しい手術の痕がくっきりと残っています。この出来事は何十年もの間、家族の中で触れてはいけないタブーとなっていました。

私自身、 40年連れ添った妻にさえ、彼女が亡くなる直前まで手術のことを打ち明けることが出来ず、申し訳なく思っています。また、今回の裁判に協力してくれている私の姉は、当時高校生でしたが、私の手術のことは誰にも言ってはいけないと口止めをされ、 60年以上もの間、一人で秘密を抱えて苦しんできました。姉も辛かったと思います。私も姉も、今回の裁判がきっかけで、お互いが長年悩み苦しみ続けてきたことを初めて知り、お互いの思いをようやく話せました。

自分の意思に反して子どもをもうけることの出来ない身体にさせられてしまった私や、その苦しみを共有している家族が、 この話題に触れることもなく、まるで手術がなかったかのように生活してきたことは、今から考えれば本当におかしな話です。しかし、今この瞬間も、手術を受けた事実を誰にも言えずひっそりと生活している被害者が、全国に沢山いるのです。

声をあげることなく一人で傷ついている全国の被害者に、救いの道を開きたい、というのが、私がこの裁判に託した最大の思いです。優生保護法が制定されたのは今から約70年も前です。この法律によって不妊手術を受けさせられた被害者の中には、声をあげることなく亡くなられた方も大勢いることでしょう。高齢で、病気と闘っている方も多いと思います。

その方々を救うためには、一刻も早く、国に対応をとってもらう必要があります。それにもかかわらず、国はこの裁判で、 自分の非を認めないと反論しているようです。とても残念です。ご自分の家族が、愛する人が、 このような非道な不妊手術を受けさせられたとしても、あなたたちは同じように反論するのでしょうか。

なぜ、 このような手術を行う必要があったのか、国に問いたい。そして、私の人生を返して欲しい。

裁判官の皆様には、まず、個人の意思に反して生殖機能を奪うという、人を人とも思わないこの法律が、いかに人々を傷つけてきたのかをご理解いただきたいです。そして、この裁判を、全国に埋もれている多くの被害者に救いの手を差し伸べるような、希望のある裁判にしていただきたいと思います。

以上

代理人の意見陳述は以下からPDFファイルダウンロード
原告代理人意見陳述

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