Photo by K.Fujiki
2020年3月17日東京の優生保護法被害の裁判は結審を迎えました。判決は6月30日午後2時東京地裁103号法廷です。弁護団の報告はこちら
以下は17日の北さんの意見陳述です
意見陳述要旨
2 0 2 0 年 3 月 1 7 日
原告 北 三郎(仮名)
私は6 2 年間優生被害者として苦しみ悲しみをのりこえてきました。
苦しみをのりこえ幸せを築こうと思い、結婚だけはするつもりはありませんでしたが、結婚をしたばかりに苦しみだけがおそいかかって幸せな人生ではありませんでした。妻にも先だたれ、生きるのぞみもなくなってしまい、 どうすることもできません。優生手術を受けていなかったら他の人とおなじように、孫にもかこまれて幸せな家庭を築けていたのだろうと思います。
親が私の体にこんなむごいやりかたをしたのだと親をうらんできました。そのため一度も親の墓参りをしてきませんでした。裁判を起こした後、姉さんと親の墓参りを一緒にしたとき、姉さんから、親が私の体に子どもをもつことができないようにしたのではない、親が私をにくくて手術をしたのではないと教えてもらいました。親をうらんできたのは誤解だったと思い、国がなぜこんな手術をしたのかと思うようになりました。
うむ、うまないは本人の自由なのに、なぜ国がメスを入れるのか分かりません。法律には、不良な子孫の出生を防ぐために手術をすると書いてあります。手術を受けた人は、夢も希望もなくなり、ただ苦しんで生きていかなければならなくなります。その人の人生をかんがえれば、このような法律は作らないのではないかと思います。
障害のある人や、子どもがうまれてこない方がいい、国の負担だと思う人をねらって、国がメスを入れることは間違ったことだと思います。
とても悔しい気持ちです。
裁判を起こしてから、被害者が大勢いると知りました。私 一人だけが悩んでいるんじゃない、大勢悩んでいる人がいるんだから、その人たちに声をかけてできるだけ名乗りをあげてほしいという気持ちで、顔を出しました。応援してくださっている人たちがいるから、勇気を出すことができました。
裁判を起こした人はまだ 2 0 人くらいです。ぼちぼちですが名乗りをあげる人が出てきてくれたと思いますが、声をあげにくい問題だと思います。白い目でみられるからと思う人も多いと思います。でもその人たちは何も悪くありません。もっと多くの人に声をあげてもらうために活動をしていかなければいけないと思っています。
一人一人悩みは違うと思うけれども、国には被害者としっかり向き合って、どんな苦しい生き方をしたか、話を聞いてほしいです。そして、謝ってほしいです。
国はこの裁判で、2 0 年たったら権利がなくなると言って いますが、国がそういうことを言うのは、あまりにも残酷ではないかと思います。
子どもがうまれなくなる手術をしたということは、妻にも家族にも知られたくない手術でした。知られたら離婚と言われるのではないかと思ってました。その結果、妻や家族を苦しめることになりました。それでも言えませんでした。
優生保護法ということもまったく知りませんでした。
今ようやく訴えていることに対して、そのようなことを国からいわれると、何も言えなくなります。立場がありません。
裁判で、姉さんにも話をしてもらいました。
姉さんも巻き込んでしまって、申し訳 ないという思いです。
6 0何年間、胸の中にしまっていたと聞いて、姉さんもかなり苦しんでいたんだと思います。 私が姉さんのところに遊びに行ったときにも言えなかったと聞いて、姉さんを苦しめていたんだなと思 っています。
裁判を起こしてから二年の年月がたちます。
こんなに大勢の人たちが応援してくださって、本当に心強いです。
最近手話をはじめました。
裁判や集会に、毎回手話の先生たちが来てくださっています。
聞こえない人たちに少しでも話ができればと思い、地域の手話サークルに通い始めました。支えられながら続けてこられた裁判です。いよいよ判決です。
大勢の人が苦しんでいることに対して、裁判官が少しでも私たちの味方になってくれればいいなと思っています。
どうか正義と公平な判断をお願いします。
以上