意見陳述書
原告 池田頼将
私は、イラク復興支援のために派遣された元自衛官の池田頼将です。
その後十分な治療を受けることができずに後遺症が残りました。さらに自衛隊からのパワハラ、退職強要を受けたことで裁判に訴えています。
私は19歳のときに自衛隊に入隊しました。
親からの勧めと、国の役にたてるならという思いでした。
2006年4月、クウェートに派遣されました。
海外派遣にあたり、自衛官としての誇りをもって現地に向かいました。
現地派遣中の2006年7月4日、この日から、私の人生は変わってしまいました。
この日、私は、現地の基地で行なわれたマラソン大会に参加していました。
マラソン中、突然、背後からバスに衝突され、
そのまま意識を失いました。
意識を取り戻すと、ベッドに寝かされていました。
左の首辺りから上半身にかけて激痛がはしり、とても動けるような状態ではありませんでした。
現地の医療体制では怪我がなおるのか不安だったたため、帰国させてもらうよう、何度も上司に訴えました。
しかし、早期帰国の望みは叶わず、私は、仕事も満足にできないまま、任務期間が満了するまで現地にとどめ置かれました。
ようやく帰国してからも、満足な治療を受けることができずませんでした。
帰国後の検査で外傷性顎関節症やうつ病の診断を受けたため、私は整形外科でなく、口腔外科や精神科など、いくつかの科を受診しなければならない状態でした。
本来であれば、病気休暇を取って治療を受けられたはずですが、上司から海外派遣中に取得した代休を使って通院するよう指示されました。
勤務時間中の通院も認められなかったりして、
通院する時間を満足に確保できませんでした。
また、私の怪我は、クウェート派遣中の事故で負ったものなので、公務災害にあたります。
実際、派遣前には「現地では石につまづいて転んでも公務災害になる。安心して行ってこい。」と言われ送り出されました。
それにもかかわらず、私の怪我は、当初公務災害として扱われませんでした。仕方なく、私が加入していた保険を使って通院しましたが、保険が切れてからは自費での通院となり、とても治療費を負担できませんでした。
ようやく、事故から11カ月ほどして、公務災害と認められました。
私は顎の負傷により、徐々に口が開かなくなってしまいました。2010年頃には、1mm程度しか口が開きませんでした。懸命にリハビリをして治そうと思ってましたが、自衛隊の上司から
「症状固定」とするよう迫られ、病院の診察に同行されて、打ち切られてしまいました。
精神的にもうつ病などに苦しんでいた中で、自衛隊内でのパワハラや嫌がらせを受けて、心身ともに疲れ果ててしまい、退職に追い込まれてしまいました。
今、海外に派遣された多くの自衛隊員が、PTSDなどの精神疾患に苦しんでいます。
「何のために、誰のために戦場に送られたのか」分からないままでいます。
もともと、私が派遣されたイラク戦争が大きな転機でした。
当時の小泉政権は「非戦闘地域」での「復興支援」だから大丈夫だと言っていました。
しかし、大丈夫というのは、憲法違反ではない
侵略戦争への派兵ではないということにすぎませんでした。
当たり前ですが、現地では戦闘地域と非戦闘地域の線引きがされているわけではありません。
復興支援のための部隊だから攻撃を受けない保証などないのです。
現地で事故に遭ってから自衛隊を退職するまでの間、私にとっては、失望の連続でした。
正しいことを正しいと分かってもらえないこと、当たり前のことを当たり前に認めてもらえないことに、何度も、何度も諦めそうになりました。
様々な方の支援をいただいて、ようやく、裁判という場にたどりつきました。
これから、証人尋問が始まり、5月には、私の話を聞いてもらう機会もあります。
裁判官の方々や裁判を傍聴されている方には、どうか、紙の上に書かれた文字としてはなく、私が何を見て、何を聞いて、何を感じてこの場に立っているのか、聞いていただきたいと思います。
以上
2019年2月26日 池田頼将