私は訴えるー精神障害を理由にした不本意な不妊手術について 片方司(かたがたつかさ)

■はじめに
私は、2003年に、精神障害を理由に精管結紮された者です。1996年には、優生保護法が母体保護法に改定され、障害を理由とする不妊手術を認める条項はなくなっていたのに、法律の枠外で手術されたのです。

■私の体験
私の体験を話したいと思います。
私は、昭和25年、岩手県北上市に生まれました。
高校時代、いじめと失恋で統合失調症になり、精神病院に入院しました。8カ月後退院して、高校に復学して卒業し、大学に入学しましたが、再発して3回入退院しました。
22才の頃、安定期に入り、岩手医大を退院しました。その後、数々の職業を経験して、結局、母が経営している酒店を手伝いました。
32才の時、自分のマイホームを建てました。45才の時、Y子さんという人と結婚したいと思いましたが、兄夫婦に反対され「籍は入れるな。子どもは作るな」と言われ、しぶしぶ内縁関係として同居しました。48才の頃、妊娠しましたが1週間で流産しました。流産後、兄夫婦に強く勧められ、Y子さんは県立病院の産婦人科に入院して卵管結紮の手術を受けました。Y子さんも私も、望んだわけではありません。
2002年5月、私は体調をくずし、国立花巻病院に約2年間入院しました。2003年、兄夫婦と、当時の担当の医師とケースワーカーに、パイプカットをするようにと言われました。私は、いやだったのですが、パイプカットしないと一生入院させておくと言われました。
2003年10月15日、岩手医大に連れられて行って、11月26日午後、手術されました。手術は、約30分でした。12月1日に抜糸、12月5日に、医大から花巻病院に戻りました。私は、子どもを失った気分でした。残念だった。
障害者は、結婚も、子どもをつくることもだめなものでしょうか。

■終わりに
私のように、法律の枠外で手術された人も、ぜひ、名乗り出て下さい。よろしくお願いします。

(2018年7月28日「優生保護法に私たちはどう向き合うのか?―謝罪・補償・調査検証を! ―」集会での片方さんのアピールです。ご本人の許可を得て掲載させていただきました。同様のご経験のある方は多いのではと存じます。ご連絡いただければ幸いです。片方さんを孤立させず、仲間の力でなんとか問題化したいと存じます。ちなみに花巻は心神喪失者等医療観察法病棟のあるところです。 山本)

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